週刊文春 臨時増刊号
ビジネスサバイバル2002 保存版
必ず元気になるヒント100
松井隆 (まつい たかし)
1956年滋賀県大津市生まれ。80年、同志社大学文学部卒業後、(株)リクルート入社。『とらばーゆ』『月刊ハウジング』の創刊に携わる。その後、新都心営業部部長、『ガテン』事業部部長、『週刊住宅情報』営業部長などを歴任。97年、(株)エリートネットワークを設立し、同社で正社員の紹介、人材スカウト業を行う。著書に東洋経済新報社刊『バカな部・課長につける薬』。ホームページhttps://www.elite-network.co.jp/
以前なら、居心地のいい会社や職場から人材が流出することは、ほとんどありませんでした。民間企業でいえば、都市銀行など大手銀行は、その代表的な存在です。
ところが、今や銀行業界も様変わりしました。ご存じのとおり、大手銀行の経営破綻が相次いだ四、五年前から経営統合・企業合併で縮小していく組織に嫌気がさして、人材流出が続いています。
一例を挙げると、ある大手名門銀行を辞めた三十歳のビジネスマンのケースです。彼は社内選考をパスして、会社負担で海外の著名なビジネススクールに留学する権利を獲得し、MBA(経営学修士)を取得して帰国しました。ところが、その後まもなくして彼は、その銀行を辞めてしまったのです。
会社の費用負担で留学してMBAを取得した場合、帰国後、数年間は退職できず、それでも辞める時は、その時にかかった費用を弁済しなければならない。そんな約束を、会社側と個人の間で交わすことがあります。教育投資をした会社側からすれば、一方的に辞めていかれては困るわけです。このケースも、そうでした。
そこで彼は、どんな行動を取ったのか。なんと彼は、その費用七百万円を支払って辞めてしまったのです。七百万円といえば、大金です。大手名門銀行ですから、給与は比較的高いとはいえ、そう簡単に貯蓄できる金額ではありません。普通なら、まず躊躇するところでしょう。にもかかわらず、彼は全額支払って、あっさりと新天地の外資系企業へ飛び出してしまったのです。
有名大学のMBAを持っている若手であれば、引く手あまたでしょう。たとえ拘束期間が解けるまでの数年間辛抱してからでも、まだまだ転職は可能です。
しかし、自分にとってはそれまでの貴重な時間を浪費するのはもったいない。大金を支払ってでも、今すぐに方向転換したいという本人の強い希望があったわけです。
もちろん、このようなケースは稀です。依然として、ビジネスマンの多くは、今いる会社の枠組みの中で努力していこうと考えています。しかし、彼のように先陣を切って、大金をはたいてでも転職して、伸び伸び働きたい、という動きが出ているのもまた、事実なのです。
他方、政府の進める一連の規制緩和の流れは、労働マーケットも一変させてしまうことになるでしょう。というのは、従来の日本の労働行政は、大まかに言えば、雇用主である企業側よりも、明らかに従業員側に肩入れしてくれていました。
その証拠に、法の下の平等の精神や民法の契約自由の原則が存在するのに、労働基準法等の労働三法が労働マーケットの中で、雇い主である企業側に対して様々な規制を設けるかたちで企業に手かせ足かせを加え、比較的弱者であるという理由で、従業員を守ってくれていました。
この規制が緩和されるということは、日本中の企業で働いているすべての従業員を庇護してくれていた防波堤がなくなり、就労者は全員否応なしに、過酷な市場原理が支配する労働マーケットにじかに晒されることになっていくわけです。
他の分野の規制緩和は、我々の市民生活にとって自由度が高まったり、生活者としての選択肢が広がったりと、歓迎すべき点が多いわけですが、こと労働行政の規制緩和に限っていえば、決して生活者としての国民にとって、心地よいものではないのです。
にもかかわらず、ほとんどのビジネスマンは、この労働行政の規制緩和がいったいどんな事態をもたらすのかということには、まだ気づいていない。私自身は、その本当の怖さについて警鐘を鳴らしたいという気持ちです。
その証拠に一例を挙げると、従来の正社員のポストや待遇が現在、急速に派遣社員というコストの安い労働力に侵食されつつあります。各企業内において、相対的に単純労働と呼ばれる仕事だけではなく、従来は派遣社員が認められていなかった基幹的な業務の分野にまで派遣社員が進出するようになった。
実はこれも、正社員の求人の絶対数が減少傾向にあることに拍車をかけている大きな要因の一つなのです。
要するに、正社員として腰を落ち着けて、中長期的にじっくり働き続けたいという人にとっては、まさに「受難の時代」、つまり「終身雇用制度の崩壊の時代」が幕を開けてしまったのです。
これからは日本社会も、冒頭にお話しした銀行を飛び出したMBAホルダーのような、超積極的な転職者が増えてくるのと同時に、古きよき時代の気楽なサラリーマン生活を決め込んでも不可能な時代になる。定年まで安住しようとする、競争力に劣る正社員が容赦なく篩にかけられて、出ていかざるをえない社会へと変わっていくのです。
こうした流れの中で、「転職できる人」と「転職できない人」の違いも、大きく様変わりしているのです。
転職ではよく"スキル""実務能力"のある人が有利だと言われます。たとえば、経理をずっとやってきた人であれば、三十歳の経理マンよりも五十歳の経理マンの方がスキルは格段に高いはずです。ところが実際は、五十歳の経理マンは、なかなか転職が難しいのが実情です。なぜ、実務能力があっても蹴られてしまうのでしょうか。
その理由は、二つあります。
ご承知のとおり、今、積極的に求人活動を行っている企業はそう多くはありません。外資系ではアメリカ、ヨーロッパ、アジア系の各企業がありますが、アメリカ系を中心に、金融やIT関係での求人は凍りついています。
国内系では、エスタブリッシュメント企業と呼ばれる、歴史のある名門企業で人員の余剰感がある一方、最近株式を公開した企業や株式公開予備軍の若い企業、優良オーナー系企業、バブルに踊らなかった優良中堅企業では求人があります。
つまり、現在は、伸びている会社しか人材を募集していない。その伸びている会社は、ことごとく社員の平均年齢が若いという特徴があります。必然的に経営者や役員、管理職も若い。課長クラスのほとんどは、三十歳前後といった会社がたくさんあります。
では、仮に三十歳の管理職が、五十歳の部下を預かったとして、果たしてマネージメントしやすいでしょうか。やはり、どことなくやりにくいはずです。
というわけで、"スキル"や"能力"とは次元の異なる"人間関係"という面で、年配の社員は採用されにくいのです。いくら応募者が「年下の上司の下で働くのは構わない」と言っても、上司となる人間が使いづらいと感じる以上、受け入れられにくい。労働行政側から年齢制限を撤廃せよと言われても、採る側は「それが理由ではない」といくらでも方便はあります。
つまり、転職できる、転職しづらいの明確な一つの分岐点は、分かりやすく言えば、年齢ということになります。
"団塊の世代"と呼ばれる年齢層は、相対的に人口が多く、必然的に企業内においても、余剰気味です。このことに加え、採用意欲の旺盛な企業の多くは、平均年齢が若く、人員構成上、その世代を受け入れにくくなっているというわけです。
もう一つの理由として、応募者にたとえ十分なスキルや実務能力があっても、「元気がない」「スピード感がない」ことが、採用されない大きな要因となるのです。
伸びている会社で、社員の平均年齢が若いということは、経営者からヒラの社員までみな活気があり、スピード感がある。ところが、名門企業と呼ばれる官僚的な風土の企業で十年、二十年、三十年と勤めた社員に、若さやスピード感が残っているでしょうか。ほとんどの社員は、それを失ってしまっていることの方が多い。ましてや、業績不振の名門企業ともなれば、会社全体が意気消沈していることの裏返しとして、社員の活気が失われています。
もし、あなたが人事採用担当者だったとしたら、どうでしょう。自分の会社の二十代、三十代の、元気がありパワーに溢れている社員の上に立つ管理職を採用する場合、どんなタイプの人を選ぶでしょうか。間違いなく、彼らの元気をさらに活性化させてくれる人を選ぶはずです。実務能力があっても、「元気がない」「スピード感がない」人は、成長企業のカルチャーに合わないという理由で、面接では不利になってしまうのです。
若い伸び盛りの企業に転職するには、変化に適応できるだけでなく、変化を好むくらいの方がいいし、元気があり、かつ柔軟性を持ち合わせていなければならないのです。転職を成功させるためには、単にスキルだけでなく、ご本人のメンタリティが求人企業のニーズに合っていることがポイントであることを肝に銘じるべきです。
次に、採用担当者や人事マンは、面接の場で応募者のどこを見ているのか、という点についてご説明しましょう。
大まかに言うと、実務スキル、そして人柄・メンタリティの二つになります。
まず、実務スキルについて言えば、たとえばIT分野の技術者であれば、どのくらいC言語に強いか、UNIXに詳しいか、Linuxを駆使できるか、あるいは製造業とか流通業など、特定業界の業務フローに精通しているか、大規模なシステム開発のプロジェクト・マネージメントまで任せられるかなどが、実務スキルの指標でしょう。
人柄・メンタリティの面では、任された仕事を最後まで完遂する責任感があるか。精神的にも肉体的にもタフか。組織人としてチームワークが保てるか。取引先とのコミュニケーション能力は十分か。本当にスキルアップしたいという前向きな向上心があるか。明るく、他人から好感が持たれる人柄か。そして、全人格的に見て精神面での成熟度が高いか、などです。
加えて、各社の企業理念や経営者の信条と合致するか、という点も見逃せません。
採用担当者にしてみれば、応募者がそれぞれ何か一つ光るものを持っていればよいのです。あるいは、応募者の持つ実務スキルが自社にはない、もしくは自社内で育成するには、相当な時間を要すると判断されるものであれば、即採用となるはずです。
さらに、昨今の厳しい雇用環境の中で比較的スムーズに転職できた人たちの特徴を挙げてみると、まず実務スキルの点から言えば、「ダブルスキル」を備えていることでしょう。
具体的に言うと、経営企画部門で自社の事業計画を練り上げた経験があり、かつ対外的な提携や協定の折衝もでき、内にも外にも強い人。経理のプロでありながら、社内の情報システムが分かる人。財務にめっぽう詳しくて、体外的なIR(株主や投資家向けの広報活動)の勘どころを心得ている人。法務部門で企業法務に精通していて、英語もできる人。コンピューターのシステム開発に携わっていて、他人とのコミュニケーション能力も高い人。新規開拓の法人営業が得意で、部下の育成もできる人。日本国内の不動産の知識があり、英会話ができる人。人事制度全般に明るいことに加え、経営全般の数字に明るく、社長補佐のできる人。物流やロジスティックス(物資の移動についての体系的・効率的な運営方法)の部門の経験があり、社内システムやERP(企業の各部門の基幹業務をコンピューターにより統合して処理する方法)が分かる人……といったところです。
要するに、昨今の労働マーケットの求めているダブルスキルとは、自らの職種に精通していることに加え、1.語学(特に英語)、2.コンピューター関連の知識、3.財務・経理の数字が分かり、経営感覚を兼ね備えていること、の三つに集約されるのです。
実務スキルの方は、どのような職種の人であっても、応募者本人が冷静に社会人になって以降のキャリアを振り返ってみることです。丹念に自己分析すれば、自分のスキルのレベルというものは、概ね察しがつくと思います。
ところが、人柄やメンタリティについては、本人の就労観や仕事に対する取り組み姿勢、精神的成熟度の高さなど、なかなか一人では客観的な答えが出にくい。また、企業が求めている人柄・メンタリティと自分のパーソナリティとの間にズレがないかどうかを検証するのは、さらに困難です。
では、その部分をクリアにするためには、どうすればよいのでしょうか。
それにはまず、信頼できる転職カウンセラーと一度じっくりスリ合わせをすることです。そうすれば、自分の心理状態を映す鏡の役割も期待できると思います。
因みに、転職に成功する人は、就任するポジションに求められる実務スキルを満たしているのみならず、先方の企業のカルチャーとご本人のメンタリティがピッタリと合うことを重要視しています。
つまり、本来の自分をネジ曲げなくても、自然体で組織とうまく調和してやっていけるかどうか、じっくり見定めている人が結果的に成功しているのです。
企業が欲している人材像は、まだ他にもあります。
たとえば、どの部門、組織、事業であれ、これをゼロから立ち上げた人です。それまでにない新規のビジネスや売上げを創出した人は、いくらでも引っ張りだこです。なぜなら、そういう人材は、プレーイング・マネージャーもできる上に、経営者的マインドを持っているとみなされるからです。
ここで言う経営者とは、平たく言えば、給与を支払う側の人間という意味です。給与を支払う側の意識に立って、会社というものを見渡さないと、経営者の気持ちは分かりません。
たとえ一社員であっても、ゼロから事業を立ち上げ、収益化したことがあれば、経営者と同じ視点と発想で会社全体を見ることができると評価され、安心して業績に直結する責任ある仕事を委ねることができます。その上、プレーイング・マネージャーもできる人であれば、どの企業だって欲しいと思うものです。従来の日本の大企業では、人事考課は行われていても、個人の業績評価によって、年収が二割も三割も変動するということはあまり見られませんでした。
そのような中で、現在の年収よりアップ、もしくはほぼ同等の待遇で、新たな企業に迎え入れられることができた人たちは、理想的ではあります。
しかし、現在の雇用情勢からみると、現在の年収よりもダウンにはなるものの、うまく望み通りの企業や仕事に就くことができた人たちのことをご紹介した方が現実的かと思います。
彼らは、新天地で活き活きと働いて、新しい職場に満足している人たちです。そんな彼らが転職に成功する決め手となった共通点とは、いったい何だったのか。その点についてお話しいたしましょう。
彼らの中には、将来を見据えて、計画的に転職を考え、たとえ複利厚生が充実している名門企業に在籍していても、その手厚い保護下にある安楽な暮らしに、あえて決別している人たちがいます。軽い負担で入居している社宅を出て、自己負担で賃貸のアパートやマンションに移り住んで、会社から自立の一歩を踏み出すのです。
最近では、家賃補助や社宅制度を廃止したり、制度のない企業も増えましたが、従来であれば、家賃月一、二万円の負担で入居している社宅でも、いざ民間で同様の広さの物件を探そうとすれば、十四、十五万円の支出になることもあります。
社宅を出ることで、たとえ将来、いったん年収に占めるベースサラリーの部分が下がるようなことがあっても、それに耐えられる抵抗力がつくというわけです。
このように、家族の協力や夫婦でコンセンサスを得て、"助走期間"を設けた上で、本当に自分がやりたい仕事や、自分が心から賭けてみたい会社を見つけて転職した人は、真剣味が違ってきます。そして結果的に、新天地に早く馴染み、高いパフォーマンスの仕事を続けられるようになるのです。
逆に、社宅にとどまりながら転職活動をしても、何かと踏んぎりが悪く、決断が鈍ってしまうことも否定できません。なぜなら、そういう人たちの深層心理には、会社から自立の一歩を踏み出すことに強い抵抗感があるからです。
これは、最近、株式公開されたあるベンチャー企業の三十代後半の経営者A氏の話ですが、彼は、比較的自社の業務内容を理解してくれている応募者が多かったということで、金融業界から十人余りの人材を採用してきました。
その会社は、どんな有能な人材を採用する場合でも、本人の前職での給与がいくら高かろうが、入社当初の年俸は、八百万円以上は出さないと全員にクギを刺しています。このA氏自身も、もともと名門と呼ばれる一部上場企業に新卒で入社しているので、大企業や金融業界の賃金水準がいかに高水準かは、熟知しています。
その上で、「現在、所属している会社や組織が嫌で、転職を決意したのであれば、初年度の年収ダウンは我慢して、飛び込んできてください」と言って勧誘しているのです。
A氏は、「いったん、年収が下がるという、"踏み絵"こそ、ベンチャーらしい活力のある企業風土を支える。これは一体感を醸成していくためにも、絶対譲れない」と言います。なぜなら、「上場は果たしたものの、本当に社員全員がいつまでもベンチャー企業のマインドを持ち続けないと、企業は瞬時に衰退してしまう。健全で、リスクを恐れずにトライしてくれる人に入社してもらいたい」からなのです。
ところが、応募者の中には、この成長企業の社風に魅力を感じ、かつ仕事内容にもやり甲斐を感じているにもかかわらず、この年収ダウンというハードルを越えられずに、諦めてしまう人が少なからずいるそうです。
目先の給与を取って、魅力的のある仕事とチャンスを手放し、元の金融機関や大企業にとどまってしまう。そこで、尻込みしてしまった人の多くは、「リスクが大きい」「いったん下がった年収が上がる保証はない」と言います。
しかし、私に言わせれば、転職者にはいったいどんなリスクがあるというのでしょうか。会社を移ったからといって、連帯保証人にさせられますでしょうか?出資金を出せと言われますか?個人の実印を使われますか?預金を拘束されることがありますか?「転職して新しい職場で働くことは、オーナー経営者や創業者に比べて、リスクは皆無に等しい」(A氏)のです。
最後に、「労働ビッグバン」の時代を生き抜くための、ささやかな助言をさせていただきたいと思います。
ビジネスマンとしての経験が十年以上経った人は、仮に自分の属する会社が経営不振に陥ったり、不幸にも倒産してしまったような場合でも、取引先、知人、友人も含めて、支援してくれる人、「よかったら当社へ来ないか」と誘ってもらえるような、人的ネットワークをつくり上げるようにしておくことが重要だと思います。
人的ネットワークといっても、相手があってのことですから、一方的に依存する関係ではいけません。普段からきちんとした、折り目正しい仕事ぶりや、変わらぬ誠実な仕事への姿勢などの積み重ねがあれば、必ず誰かはちゃんと見ていてくれるものです。
また、そのことは、人づてに想像以上の各方面へ広がっていくものです。これは別に、内勤の人には不利で、営業職のように社外との接点が多い仕事が有利だとは限りません。信頼できるビジネスマンであるならば、会社からリストラの対象とされることも少ないでしょうし、「自分の一身上の都合で退社することになりました」というアナウンスをした途端に、身近なところから、もしくは、思いもかけなかったところから声がかかることもあるでしょう。
意外にも、日々自らの本分を愚直なまでに、とことん深堀りしていくこと、そのプロセスを自然と周りの関係各位が認識してくれてよしと感じてもらえること。これらこそ、厳しい時代に、最も確実で自らを助けるセーフティネットになるのです。
すべからく男性も女性も、ビジネスパーソンは、「自分の顔は履歴書」なのです。