当社は1942年機械式腕時計の製造から事業をスタートし、企業成長の中で多角化を遂げてきた歴史があります。
1964年に開催された東京オリンピックの際、公式計時を担当し、卓上小型水晶時計(※1)と記録をプリンティングできるシステムを開発しました。その後、1968年に世界初のミニプリンターであり当社のブランドの由来である 「EP-101」 (※2) の発売を皮切りに情報機器事業を手がけ、これまで家庭やオフィス、産業用等の各種インクジェットプリンターを世の中に先駆けて開発してきました。また、1989年には液晶ビデオプロジェクターを発売し、PCによるプレゼンテーションという新しい用途を開拓しました。(※1:1969年に世界初のクオーツ腕時計を発売 ※2:EPSONの由来はEP (エレクトリックプリンター) のSON (息子) を世の中に送りだすという意味です)
デバイス精密機器の分野では、クオーツウオッチの製造で培った水晶デバイスや半導体、高性能金属粉末、薄膜形成の表面処理技術を、今では様々な産業分野のメーカーに外販しています。
また、昨今では、ウエアラブル型端末とクラウドサービスを組み合わせた脈拍計などの新しい商品を健康・スポーツ分野に提供しています。
このように製造業として培った 「省 (省電力)・小 (小型)・精 (高精度) の技術」 を核として、「プリンティング」、「ビジュアルコミュニケーション」、「生活の質向上」、「ものづくり革新」 という4つの領域でお客様の期待を超える製品、サービスを提供できるよう取り組んでいます。
いずれの事業もキーとなる技術を自社で持ち、基幹デバイスを作り込み、また完成品まで一貫して内製することを大切にしてきました。国内・海外の販売ネットワークもグループの販売会社を中心に自前で構築し、各国市場のユーザーの声をきめ細かくキャッチして新商品の開発に活かすマーケティングを展開しています。
プリンターは当社独自の 「マイクロピエゾ」 という技術をコアにして、機械的な制御でインクを吐出させるインクジェットプリンターを製造しています。熱を使わないので非常に多様な種類のインク材料が使えますし、インクジェットのヘッド部分の寿命も長くなります。印刷する対象も紙だけでなくフィルムや繊維など多様性があるのが特長です。
また、プリンターに限らず全ての商品において、画質など品質へのこだわりを非常に強く持っています。社内では社長の座右の銘である 「究めて、極める」 という表現を使いますが、開発スタンスとして、コア技術を極みのレベルまで徹底して突き詰めていくことを重視しています。
すでに家庭用では 「Colorio (カラリオ) 」 シリーズが広く認知されていますが、これまでレーザープリンターが主流であったオフィス市場に向けて、インクジェットプリンターの拡販を推進しています。美しい画質とレーザープリンターの約2分の1で済むプリンティングコストを競争上の優位点として、日本市場は勿論、アジアの新興市場ニーズに応える大容量インクタンクを備えた製品をはじめ、グローバル市場の開拓に取り組んでいます。
一方、プロジェクターでは、レッド・グリーン・ブルー3色の高温ポリシリコンTFT液晶を使った 「3LCD方式」 を採用し、小型でありながら明るく表現力に富み、高精細な映像の投影を実現しています。現在、プロジェクターの世界シェアは約30%、2001年から13年連続で数量シェア世界No.1 (富士キメラ総研調べ) となっています。液晶・光源・レンズを全て自社で製造し、画質での差別化を実現すると共に、教育現場などのニーズに応え、投影画面への文字書き込みなどインタラクティブな機能を備えています。
当社で捉えているプリンティング市場は非常に大きな範囲です。これは、当社のマイクロピエゾ技術が、メディアとして紙だけでなくさまざまな媒体に印刷でき、適応範囲が非常に幅広く、高いポテンシャルを有しているためです。インクジェットプリンターによる産業用および商業用印刷への戦略的な進出を図っています。
スカーフやネクタイなど繊維に印刷する捺染機(なっせんき) や、液晶テレビのカラーフィルター印刷用のインクジェット技術など、各種産業用プリンターによって様々な分野の製造プロセスをデジタルプリンティングで革新しています。また、写真印刷や印刷プルーフ、POP作成用など幅広いフォーマットに対応した商業プリンターをラインアップしています。
例えば繊維への染色を行う捺染工程では、従来の工場では染料や薬品、大量の水を使用して色ごとに染色・洗浄を繰り返す上に、一度にまとまったロットを刷るため在庫が膨らむリスクがありました。これをインクジェットプリンターに置き換えることで、デジタル印刷により多品種少量生産に迅速に対応できるようになり、省エネと環境負荷の低減にも貢献しています。
2015年度のセイコーエプソンの目指す姿を示した長期ビジョン 「SE15」 に沿って、ここ3年程かけて既存の事業構造の 「選択と集中」 を強力に推し進め、並行して新規事業の開拓に積極的に取り組んだことが相乗し、収益を押し上げることができました。
社内では、セイコーエプソンの原点を見つめ直し、お客様のニーズは何か、どんな価値を提供できるかを愚直に突き詰めてきました。そして、コアとなる 「省・小・精の技術」 を “究め、極める” 事で、満を持して、新規事業に展開してきています。
例えば、プロジェクターで培った液晶技術を活かし、シースルータイプの新型スマートグラス (ヘッドマウント ディスプレイ) を商品化しています。視界を遮ることなく必要な情報の表示と検索ができ、航空機や自動車の整備手順の表示といったビジネス用途から、臨場感溢れるAR (Augmented Reality:拡張現実) 体験などのエンターテインメント用途まで、今後の市場の広がりが期待されています。
さらに、この事業構造改革によって一定数の余剰人員が生まれましたが、希望退職者の募集などのリストラは一切実施しませんでした。社員一人ひとりの雇用を守りながら、要員のグループ内再配置によって人員を最適化し、固定費の削減を進めました。
ルーツとなる時計事業から多角化を進める中で、多様なバックグラウンドの人を歓迎するオープンな社風があります。大手電機メーカーから中途入社した社員に聞くと、職場ですぐに意見を求められ、実際に採用されたようです。中途入社した人も、10年選手も、同じエプソンの社員として、議論できる風土があります。その意見がロジカルに納得でき、責任感を持って仕事に臨む人であれば、若くして重要な仕事を任されます。
もともと機械式腕時計に確固たる強みを持っていた当社が、世界に先駆けてクオーツウオッチを手掛けるためには、新たに小型で省電力である電子デバイスの開発が必要でした。プリンターの開発においてはハードに加え、ソフトウェア開発も重要な役割を果たしました。
つまり、長野県で生まれた中堅企業がグローバル企業へと成長する過程では、それまで社内に蓄積してきた技術だけでなく、常に新しい技術が必要とされました。その繰り返しで、新しい技術を持った人材を受け入れ、育成し、共に独自の技術を創り上げていく土壌が自然に醸成されていったのだと思います。
現社長の碓井 稔も中途入社の技術者出身であり、マイクロピエゾ技術を用いたインクジェットプリンターの生みの親です。技術に対する姿勢は非常に厳しいものがありますが、今も社内で若手技術者と議論の輪にも飛び込んでいく、現場を重視した経営者でもあります。
そうした風土、環境の下、当社では自分の技術や企画力、提案力を活かして新しい商品を世界の市場に問うことができます。ただし、実際にリリースに至るまでには、その技術が本当に確固たる価値を持ち得るのか、お客様に感動を与えることができるのか、社内で徹底的に議論され、時に厳しく叩かれます。しかし、努力次第で自分の夢を実現させるチャレンジができますし、そこが当社の社員のモチベーションの源泉だと思います。
新卒で当社を選んだ理由は、世界で通用する技術のあるメーカーで、当時は大企業ではなく、これから大きくなる可能性を持った中堅規模の企業だったから。その方が自分の成長が企業の成長と重なる実感が得られるだろうと考えたのです。
本社の人事部で採用関連の業務を一通り経験した後、液晶事業部門の人事に異動しました。開発やものづくりの現場に足を運び、人材の働き易い環境づくりなどを試行錯誤する経験を積みました。そして32歳の時、台湾の製造工場に赴任しました。
1,000人規模の台湾の工場では、日本人は私を含めて6人のみ。必然的に人事業務だけでなく、生産活動に関わる様々な管理業務、経理や情報システムの整備など、より広い視野で工場全体の運営をサポートする仕事に携わるようになりました。
折しも携帯のモノクロ液晶の需要が大きく伸びていた時期であり、台湾工場は活気に溢れていました。ローカル採用の人材がゆくゆくは経営まで担えるように新しい給与体系を導入し、本格的な採用活動にも取り組みました。当社グループの世界の生産拠点の中にあって確かな役割を果たせるモデル工場にステップアップすることを目指し、従業員一丸となって取り組みました。
ところがその後、市場環境のニーズは急速に縮小していきます。台湾には6年いたのですが、赴任していた期間で、“成長と縮小”の全く異なる環境変化がありました。一転して苦しい業務とも向き合わなければなりませんでした。私としては、これまで一緒に頑張ってきた台湾の従業員に対して、何とかしなければと思いました。自分にできる事は、事業の方向や、従業員の進路を決めていく事だったのです。人事担当として 「限られた選択肢であっても、従業員と向き合って、ベストを尽くす」 という姿勢が大切だと考えましたね。
どこまでできたかは分かりませんが、毎年、同窓会が開かれて、当時のメンバーで、日本人も台湾人も笑顔で集まってきています。
会社が再び成長フェーズに入った今、殆ど全ての事業領域に中途採用ニーズがあり、年間の中途採用人数は100名を予定しています。
特に採用を強化したいのは、技術系ではインクの要素開発などの 「開発」、プリンターやプロジェクターの機械・電気・ソフトにまたがる 「設計」、海外工場にプリンター新製品の量産体制を整える 「生産技術」 の3領域の職種であり、事務系では生産管理と営業の他、人事等の管理部門になります。
エプソンでは、主要な拠点を長野県に集約させて、技術・人材の交流など、組織間の連携を強め、総合力を発揮しています。このため、全ての職種は長野県内の当社各事業所での勤務となります。
技術系・事務系に関わりなく、求める資質は 「誠実と努力」、「創造と挑戦」、或いは “EXEED YOUR VISION” といった言葉に集約されます。自らの体験や常識を超えて挑戦し、お客様に驚きや感動をもたらす成果へのこだわりを大切にして頂きたい。
自ら一国一城の主を目指すような、「自分はこういう夢をこの技術で実現するんだ」 という強い想いを持ち、自ら行動する人が活躍していますね。新しい商品をカタチにするという夢の実現に向けた険しく長い道のりは、そういう気概がないと乗り越えていくことは難しいと思います。
中途入社される方にとっては、ご家族も含めた大きな決断になりますので、勤務地は重要な要素になるでしょう。当社は長野県11カ所に事業所を持つ企業ですので、勤務地としての長野の魅力についてお伝えしたいと思います。
各種の調査で、常に 「住みやすい県」 「移住したい県」 の上位にランクされる長野には、基本的に働きやすく、生活しやすい環境があります。通勤ラッシュはありませんし、ウインタースポーツは勿論、年間を通じて様々なアウトドアスポーツを楽しめます。週末のゴルフやテニスも、予約が取れずに困ることはありません。クルマ好きには近場に魅力的なドライブコースも揃っています。長寿県でもありますので、きっと都会の暮らしより、ストレスが無いんでしょうね。(笑)
生活面では、中・大規模のショッピングセンターも多く、日常生活に不便を感じることはありません。私自身も入社を機に京都から長野に移り住み、年を重ねるごとに長野ファンになっていることに気が付きます。マイホームを建てる際には土地の安さに改めて驚きました。保育所の待機もなく、教育や医療機関等も不便を感じません。人々は面倒見が良くてちょっと議論好き、物事に自分なりのこだわりを持っている人が多いと感じます。
東京まで特急で2時間程のアクセスですが、それでいて身近に豊かな自然があります。週末に家族と家で過ごしているだけで、窓の外の風景に自然を感じる生活はとても魅力的。精神面でゆとりあるスローライフが実践でき、無理をしないでオンとオフにメリハリをつけられるので、理想的なワーク・ライフ・バランスが実現できると感じています。
少し視点を変えて、都会を離れ、地方都市での勤務という選択肢を見つめ直して頂ければ、素晴らしい人生の再出発になると思います。