早稲田大学は明治15年(1882年)、創立者の大隈重信侯が44歳の時に設立した東京専門学校を前身としています。1902年に早稲田大学と改称され、1908年には日本で最初に「理工科」を開設し、先ず機械科と電気科の2学科の予科を開設しました。
大隈重信侯は後に総理大臣を二度務めた政治家ですが、1889年に爆弾による襲撃で右足の切断という不幸に見舞われ、義足を用いていました。大隈侯はこの義足の改良に注力する過程で実学の重要性に着目し、早稲田大学では理学と工学を融合した教育を追求しました。
このような背景から社会との接点を強く求め、様々な問題解決に資する理工学教育に取り組んできた長い歴史があります。現在、国内に先端的な研究を担う大学は数多くありますが、早稲田大学は先端的研究の追求を第一としつつも、学問の応用としての実践にも思い入れを持った教員が集まっているように感じます。
そして、大きな変革があったのが2007年です。それまでの理工学部・研究科は「基幹理工」「創造理工」「先進理工」の3学部・3研究科体制に再編されました。
基幹理工学部・研究科は、英文名に“Fundamental Science and Engineering”とありますように、数理科学と基礎工学に重点を置いた教育体制のもと、現代科学技術の基幹を担う数理、機械、物質、材料、情報、通信分野から、メディア・映像分野を含む表現工学まで幅広い専門分野の教育を行っています。
創造理工学部・研究科の英文名は“Creative Science and Engineering”です。人間、生活、環境の3つのキーワードのもとで、科学技術の観点から人間生活と環境分野で起きている様々な問題を解決するため、建築学、総合機械工学、経営システム工学、社会環境工学、環境資源工学の5学科を設置し、新たな豊かさを創造できる人材を養成しています。
先進理工学部・研究科は、自然科学(物理学、化学、生命科学)を基礎として、「物質」「生命」「システム」をキーワードに先端科学技術の分野で最先端の研究を担うと共に、学際的新領域の創成を目指しています。他研究科の学問領域を横断する学際型専攻や他大学との共同専攻も設置されており、英文名は“Advanced Science and Engineering”です。
現在の体制になって10年以上が経ち、それぞれの学部・研究科で特色ある教育プログラムが実施されています。また、理工学術院では学部生の約7割が大学院に進学し、修士修了の段階で約90%の学生が就職しています。
先に述べたように、創造理工学部のキーワードは「人間・生活・環境」の3つです。5学科6専攻がありますが、各学科・専攻はそれぞれの専門分野から人の活動を支援し、地球環境に調和するオリジナリティに秀でた技術を創出するための教育と研究に取り組んでいます。私自身も、研究室の研究成果で学問分野の発展と社会への貢献を果たし、学理と応用の両面からフィードバックを受けて研究をすすめたいと考え、2007年に創造理工学部・研究科に着任しました。
創造理工学部の中で、私が本属とする経営システム工学科及び研究科では、社会や企業における様々な問題に対し、数理工学的なアプローチや情報通信技術などの工学的手法を用いてこれを解決することを目指しています。
対象となる問題領域は、生産、物流、交通、組織、金融、医療、サービスと幅広く、卒業生の進路も極めて多様な業界にわたっているのが特徴です。学科・研究科には、生産管理から数理工学、情報学に至るまで幅広い専門領域を持った教員が集まり、学生は各分野の知識をバランスよく学ぶことができます。また、理工系の学びに限定することなく、経営学やマーケティングといった領域への知見を広げることも可能です。
多様な知見を培った卒業生・修了生はそれぞれが社会の第一線で活躍し、キャリアを積み重ね、チャレンジングな環境で自らの発意を試して社会や企業の困難な課題解決にトライしています。教員からみて、多くの可能性を秘めた多数の学生を育成することで、次世代への期待を託せる醍醐味が感じられる学科・専攻です。
現在行っている活動の一つに、戸山地域の商店街活性化に向けた取り組みがあります。これは、東京都新宿区の「大学との連携による商店街支援事業」に採択され、理工学術院のある西早稲田キャンパスに隣接する2つの商店会と連携して実施している事業プロジェクトです。このプロジェクトでは第一弾として、2017年12月に「My Shop発見ツアー」という社会実験を兼ねたイベントを実施しました。
参加者はまず、学生が制作したスマートフォンアプリ「まちなび」にユーザ登録をします。登録者が「まちなび」を利用すると商店街の店舗に誘導され、店舗にチェックインするとポイントがもらえる仕組みです。更に「まちなび」の画面にその店舗にまつわるクイズが出題され、これに正解すると追加的にポイントがもらえるというインセンティブを設けました。一定のポイントが貯まると学内のツアーデスクで500円分の商品券と交換することができます。この商品券を2つの商店会の店舗で使ってもらうことで、商店街の活性化を図るのがイベントの狙いです。
このような地域連携プロジェクトでは、学生は地域社会に密着したフィールド実践の機会を得て、貴重な社会経験を積むことができます。また、このイベントから得られた知見を地域のマーケティング活動に活かしていくことも可能となります。
このプロジェクトを担当した大学院生は、昔からある商店街で長年商売を続けている店(その多くは若者が普段あまり利用しないような業態の店)を1軒ずつ訪問することから始め、フィージビリティスタディを遂行しました。「お店のことを聞かせてください」、「チラシを置かせてください」といった調査や相談を地域の方々との間ですすめることで、コミュニケーション力の大切さを痛感するようになりました。
また、商店街全体の活性化というエリアマーケティングの発想から、一般に学生が利用しやすい飲食店や大型チェーン店のポイントを低くし、あまり利用しないと思われる衣料品店や日用品店などのポイントを高くするなど、インセンティブの設計にも工夫が必要でした。イベントを告知するポスターやチラシについてもオリジナルのものを制作しています。
「まちなび」は商用クラウドサービスを利用して稼働しており、当然ながらシステム開発や運用管理の知識が求められます。コンテンツ制作は学生が取材から行っており、若者世代に合致したクイズも考案されオリジナリティの高いものに仕上がりました。
イベント実施期間を経て300枚以上の商品券が各店舗で利用され、一定の効果がありました。ただし事前に予想した通り、学生の利用店舗が飲食店や大型チェーン店を中心とした店舗に限られるなど、今後に向けて課題も残りました。
来年度は、更にこれまで利用したことのない店舗にも足を運んでもらい、馴染みの店をつくれるような仕掛けをどのように展開していくかが課題です。現在、学生と様々な方法論について議論を重ねています。
また、今回のイベントを通して改めて分かったことは、地域の商店街の方々や近隣住民の方々が、早稲田の学生を大切にしてくださり愛着を持って接してくださっている、ということでした。例えば高齢のご夫婦が切り盛りしている店では、若い学生の利用をとても喜んでくださり、一度訪問した学生の顔をよく覚えていてくれました。飲食店の経営者と顔馴染みになると、注文していない料理が一品プラスされることもあったようです。
地域との繋がりを感じながら、研究を通じて学生が新たな気付きを得ていく経験は、研究室の中にひきこもっていては得られない学びです。このような現場志向の研究プロジェクトを中心に、私の研究室では毎年30名程度の学生がそれぞれのテーマで研究に取り組んでいます。
私の父は、たまたま私の職場である早大の数学科出身で、大学卒業後出版社勤務を経て、当時米国から本格的に輸入され産業界に普及し始めた電子計算機にまつわる仕事をしていました。そのため私が幼い頃から家にはコンピュータ関連の書籍が多くあり、大型汎用機のプログラムを記述するための紙のコーディングシートもありました。そのような環境で育ち、計算機を動かすソフトウェアに自然に興味を持つようになりました。院生時代は「分散人工知能」に関心を持ち、多様な能力を持つ多数のエージェントが自律的に競合・協調することで問題を解決する「マルチエージェントシステム」の研究をしました。
職業人のキャリアとしては、早大は4つめの職場です。うち2つは民間企業で、残り2つは大学です。最初の勤務先であった銀行では国際銀行間データ通信システムSWIFT(Society for Worldwide Interbank Financial Telecommunication、本部:ブリュッセル)の行内システムを担当した他、銀行合併に伴う預金勘定系のシステム統合の仕事に取り組みました。その後、通信自由化により設立された新規電気通信事業会社に転職し、情報システム関連の業務以外に幅を広げ、株式上場審査準備や設備投資審査、資材調達業務など、新たな業務もチャレンジしました。その後、社内の留学制度を活用し、大学に戻って研究するチャンスに恵まれました。博士号を取得した年に大学教員へ転身する決心をしましたが、民間企業でのキャリアは延べ17年間に及びました。そして現在、大学での勤務も通算13年目になりました。
キャリアアップのために転職したり、会社を辞めたりすることには、それまで拠り所にしていた何かを捨てる覚悟が必要ですし、誰もが新しい世界に飛び込む際には期待と共に不安もあると思います。今、教員として学生を指導する立場では、シンプルに「自身に訪れる転機に対し、ポジティブに新しいステージに挑戦し、タフでいられる人になってほしい」という思いで接しています。
今生まれてくる人が100年以上生きるという前提に立つ時、これからの社会では「教育を受け」、「働き」、「引退する」という3つのライフステージのあり方が今より多様化すると言われています。一人ひとりの労働のステージは今より確実に長くなり、教育のステージも大学を出たら終わりということではなく、個人のキャリアプランに応じて、継続して学び直す期間が必要になります。
また、今の社会では情報技術は重要なスキルとなり得ますが、50年後もそうであるとは限りません。ビジネスを取り巻く環境変化のスピードは速く、新たに別な技術が台頭してくるでしょう。そういった意味でも、変化の中でタフに生き抜いていける人材を育成したいと思っています。
学生時代について言えば、もっと試行錯誤をしてほしいと思っています。例えば一つの研究について、「どこまでやればいいですか?」と質問する学生もいますが、研究には「ここまでやればおしまい」といったゴールはありません。研究に終わりはないし、試行錯誤しながら自分で苦労して考えた経験こそ、社会に出て役に立ちます。
そもそも世の中の大半の問題に明確な「答え」はなく、誰かが正解を教えてくれる訳でもありません。常に自分で考えて解決方法を見つけなければならない。研究室で学んだ学生の多くは、社会に出てそれなりのポジションで役割を担うことになりますし、経験と共により重要な役割を担って欲しいと思っています。そのような局面に立つ人は孤独です。自分で考え、判断を下さなければなりません。
学生時代から試行錯誤をする訓練をできるだけ積むことで、自分で判断し、決断し、問題を解決できる人になって欲しいのです。高度な知識やスキルを身につけることは重要ですが、むしろそれ以上に自律的に考える姿勢を大切にしてほしいと思っています。
技術革新のスピードが加速する時代では、本人のバックグラウンドに関わらず、絶えず知識やスキルをリフレッシュしていく必要に迫られます。そこで大学が役に立てる場面があると考えています。
社会人が学び直す時期は、社会に出て2、3年して一通り仕事にも慣れた時期かもしれませんし、業務経験を積み重ね、プライベートでは結婚して子育てが一段落する時期でもある30代半ばから40歳位も多いかと思います。或いは、子どもが独り立ちした55歳から上の世代、更には定年が延長し、生涯現役を目指すような時代には、70代で学び直すニーズも浮上するでしょう。
長いレンジで、人材の学びを支援する環境が整備されれば、就業人口が減少していく中でも、現役世代がより産業社会に貢献できる生き方、働き方が可能になると思います。個人や個々の企業の問題というより、社会全体の活性化という意味で、このような学びの機会を機能させる仕組みづくりが必要だと感じています。