薬剤師48歳、パート・派遣を経て、大手食品原料メーカーの管理薬剤師に

薬剤師48歳、パート・派遣を経て、大手食品原料メーカーの管理薬剤師に

No.933
  • 現職

    大手 食品原料メーカー 工場   管理薬剤師

  • 前職

    一部上場 大手 日用品・トイレタリー用品メーカー  化粧品の商品開発研究担当
    民間病院 薬剤科  薬剤師 (パート)
    一部上場 大手 調剤薬局チェーン  薬剤師 (派遣)

宇佐美 礼子 氏 48歳 / 女性

学歴:京都薬科大学 薬学部 薬学科 卒
薬剤師

「品質管理の薬剤師としての仕事は、絶対にやらないといけない業務はあるが、とても少ない。後は、キミがやりたいと思うことをとにかく好きにやってくれたらいいよ。」
これから入社する食品原料メーカーの社長との面接で言われた一言が、この会社が如何に人を育てようとしている会社なのかを表現していると思いました。

派遣薬剤師として働いている調剤薬局は、派遣社員であるがゆえに、やるべき業務も固定され、かつ、「あれダメ、これダメ、あれはやらない」 などと、自社独特の調剤監査ルールがありました。また、そのルールも日々コロコロ変わったり・・・・・。

2人の娘を持つ母親として、子供の立場に立った子育てを考える時、親にあれダメ、これダメと、いけない事ばかり多くのルールで縛られるよりも、あなたがやりたいと思うことを自由にやったらいいと言ってもらえると、子供はどれだけワクワクして、やる気が出てくる事でしょうか??

まさにそんなワクワクを感じた社長との面接でした。

京都の薬科大学を卒業した時は、まさにバブル時代の真っ最中。周囲の大方の人が企業に就職し、病院薬剤師や薬局薬剤師として働く人はごくわずかでした。
私も、就職先に困ることもなく、家の近所の大手日用品・トイレタリー用品メーカーに、化粧品の商品開発研究職として採用されました。おもしろそうかな? 位の軽い気持ちで入社し、いくつかのヘアケア商品を世の中に送り出し、5年半ほどで結婚を機に退社しました。

薬剤師としての仕事は、結婚して地元・大阪を離れ、愛知県に嫁いできた29歳からです。
愛知県に来て最初の2年は義母 (義母のみ薬剤師) が一人で営んでいる薬局を手伝う日々でした。2年後に長女、更に3年後に次女を出産し、育児だけに明け暮れる日々を7年過ごし、長女の小学校入学に合わせ、義両親と敷地内同居をし、薬局を本格的に手伝う予定でしたが、同居直前で義母が亡くなり、薬局の閉店を決意しました。

義母の薬局は、近所の病院 (196床) に出店していたのですが、嫁 (私) が薬剤師だという情報が伝わり、採用試験なしでそのままこの病院に採用となり、働くこと9年。最初の5年は娘たちも小さかったので扶養内の短時間勤務で、残りの4年は病院の説得で夫の扶養内から外れ、主軸の薬剤師として働いていました。

病院に在籍していた9年間で薬剤師が10人辞めていくという厳しい職場環境の中で、正社員は薬剤科の科長一人だけでしたので、パートの薬剤師数名で日々の業務をこなしていました。入院患者さんと老健 (介護老人保健施設) の入所者の薬の調剤監査や、持参薬の処理など、パート薬剤師が担う仕事は正社員並みでした。かなり忙しく、時間内に仕事を終わらせないと家のことが回らなくなるので、必死の毎日でした。

そんな中、次女が小学校6年の時に、医療事故を起こされました。
あろうことか、日本脳炎の予防接種で通常の5倍量を投与されたのです。(結果として、次女の健康被害は何もなかったことは幸いでした。) また、その医療事故をめぐる病院側の謝罪の方法も大変ひどく、理不尽なことが続き、どうにも我慢の限界がきたのは次女が中学1年の時でした。

長女も高校1年生に成長し、薬剤師になりたいと言い出したのを機に、調剤薬局の薬剤師を経験してみたいと思いましたが、まだ正社員で働くことは正直ハードルが高いと考え、派遣薬剤師として転職をする事にしました。
そして、地元愛知で手広くやっている大手の調剤薬局に派遣薬剤師として入職しました。
実は、この時点で、今回ご縁を頂いた食品原料メーカーの管理薬剤師の募集は目にしていたのですが、採用が正社員のみで、次女がまだ中学1年でしたので、ハードルが高いと感じ見送っていました。

病院薬剤師としての後半の4年は、人手不足の病院を象徴している病院薬剤科で日々調剤監査に追われ、入院患者さんが持ってくる持参薬を整理して薬剤情報書を作成するだけで一日が終わっていく日々でした。忙し過ぎて、薬の内容に深く関心を持つ時間もないまま日々の業務をこなすのが精一杯でしたが、調剤薬局に転職して、薬を通じて患者さんとお話する機会が断然多くなり、私の中で多くの疑問が芽生え始めました。

本当に薬を飲み続けないといけないのか?
本当にこの病気はこの薬で良くなっているのか?
なぜこんなにも自己免疫疾患で苦しんでいる人が多いのか?
血圧の基準値は何をもとに決められているのか?
本当にコレステロール値を下げることはいいことなのか?
骨粗鬆症の薬で、骨折は本当に抑えられているのか?
がん患者さんが癌を克服していくことはできないのか?
うつなどメンタルを患う方があまりにも多いが、本当にこの薬はいつかやめられるのだろうか?
認知症は薬で本当に進行が抑えられているのか?
認知症の症状が出ているのは、実は降圧剤を長年飲んできたから脳血流が抑えられ、且つ、メンタルの薬の抗コリン作用による副作用なのでは?

・・・・・・・など、多くのなぜ? どうして? が、非常に気になり始め、片っぱしから、本を読んで調べていく中で、日本の医療に対する不信感を持つようになってきました。
本当は、9割方いらない薬ばかりなのではないだろうか? 薬を不必要に出し、逆にそのことで健康になるどころか、健康を害しているという現実に直面することも多くなりました。

私の本心としては、薬は毒なので、飲まないほうが絶対にいいと考えています。薬を長期的に飲むと副作用のリスクが出てくるとわかっていながら、患者さんに飲んでくださいというのは、短期的には病気の重症度を考えて必要であればいいけれど、そうでない場合が非常に多い。私が疑問に思っている薬を、薬局の儲けや医者の体裁のために患者さんに渡す仕事に限界を感じ始めていました。医者も製薬業界も儲け主義に走り、日本の医療は、本質を見失っていないのだろうか? と思うようになってしまいました。

次女が中学3年になり、高校受験まで数か月を切ったので、薬とは関係のない仕事に残りの現役生活を賭けてみたくて、正社員として働くことを希望し、転職活動を始めました。
そして、無事に食品原料メーカーで管理薬剤師として働く機会を得る事ができました。
冒頭の社長の一言が、これからお世話になる職場の雰囲気を端的に物語っていると思います。
独身時代にやっていた化粧品開発の仕事に近いことを、本業の品質管理の仕事以外でやっていくことになると思います。
社長との面接で、入社が楽しみになりました。

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