バス会社 総合管理部長
大手流通業 経理部 主計課(約100社のグループ企業担当)
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半導体製造装置メーカー 業務部 主幹
佐々木 剛 氏 56歳 / 男性
学歴:富士短期大学 企業経営学科 卒
平成19年、年の瀬も押し迫ったある日、本社の専務が突然、話をしたいと言ってきて会議室に呼ばれる。
そこで専務の口から出た言葉は、「我が社は本日をもって解散し、法人は清算する」というものだった。
私を含め社員全員の解雇がこの日に決まったのである。
私の求職活動はこのようにして始まった。
転職は4回目であるが、内一回は学校の会計学教授の紹介で無試験で採用された経緯もあり、本格的な求職活動は今回が3度目である。
今までに一番長く在籍していた企業は、流通大手の名門S社で26年間を勤務した、私のスキルはこのS社で形成されたと言っても良いと思う。
S社での職務経験は、本社経理部に10年、この間に主計(決算・連結・税務・債権債務管理・貿易経理)など全般の経験をし、次の10年は関係会社の経理支援・指導・人事・総務などを数ヶ月〜約3年おきに転勤を繰り返し基盤整備をすることだった。
その後、勤続20年を超えたところで本社のトップ組織である経営企画室に転属となり子会社・関係会社の経営管理を担当する。
関係会社100社を超える企業グループの経営管理を担当する部門で、私は経理・財務の知識と人事・総務の経験を元に、M&A関連の実務を約6年ほど専門に従事していた。
法人の合併・営業譲渡・解散・清算である。企業のゴーイングコンサーンを視野に入れたスクラップ&ビルドである。
会社は作るのは簡単だが逆に清算となると、それまでの負の資産が白日の下に表面化し、修羅場となる局面が少なくない。
毎日毎日、深夜に及ぶ業務の中、家に帰り着くのは翌日になることも多かった。
そんな中で家族の病気をきっかけに、私は26年間勤めたS社を退職した。
理由は、今までの家族を放りっぱなしのサラリーマン人生を反省し、少しでも多くの時間を家族と一緒に過ごすため、住まいとする同じ市内で仕事を見つけることにしたのである。
運良く自宅から5Km程に職場を見つけ、そこに再就職したのであるが、倒産の憂き目に遭おうとは、思いもしなかった。
私は、56歳になっていた。
労働基準法によると解雇通告は退職の一ヶ月前に行わなければならず、私の場合も同様に、平成20年1月半ばが、離職表発行となって、とりあえずハローワークへ登録に出かけた。
ハローワークのパソコンで求人情報を検索する日々を幾日か過ごしたが、家族を養うに足る賃金の求人はとても少なく、多くは派遣社員・アルバイト・パートが大半を占めている。
そこで私は、国内有数の規模と歴史を誇る、民間人材紹介会社、R社へ人材登録を行ってみた。この段階では「履歴書」「職務経歴書」の書き方も自己流で通り一遍の物である。
登録から一週間後に、R社から面談のスケジュールがメールされてきた。面談通知のメール文面に、「貴殿に合う求人は非常に少ない」旨の文章が一番最初にあって、私は少々ヘコみながらも、せっかくの面談の機会を得たので行ってみることにした。
R人材会社の担当者と面談の時、具体的な紹介企業はなく、担当者は私にこのように進言する。
「もっと沢山の人材紹介会社に登録をしてみては如何でしょう」
……これを言うために私を呼びつけたのか……
56歳という私の年齢に見合う案件がなかったのである。
しかし、この時のR社の応対に、私は転職活動に対して逆にファイトが湧いてきた。
私は最終学歴は短期大学卒業です。学歴(有名大学)では勝負出来ません。
私にあるのは、今まで経験してきた職務のキャリアただ一つです。
困難な職務を遂行するに当たり「けっして諦めない」そのことだけです。
R社に進められた事もあって、インターネットでいくつかの人材会社を検索致しました。
検索エンジンで(転職 M&A実務)と入力したところ、(株)エリートネットワークという人材紹介会社がヒットしました。
早速、登録するべく手続きをしましたが登録フォームへ入力するのではなく、私の「履歴書」と「職務経歴書」をWordで作成し、メールへ添付して送ったのです。
すぐに反応がありました。(株)エリートネットワークの転職カウンセラーの岩川さんから、お会いしたいとの連絡を受け取ったのです。
銀座一丁目の地下鉄出口を約束の30分前に出て、エリートネットワーク社の所在を確認した後、近くの喫茶店で本日の面談に於ける、私のスタンスをもう一度確認しました。
自分という人間を、転職カウンセラーの岩川さんはどう見るかが気になっていたのです。
いつもの自分どおり落ち着いてお話をしよう、得意な分野を中心に私のキャリアを説明しよう、このように心を落ち着けつつ、おいしくもないコーヒーを飲みました。
そしてオフィスに伺い、受付のベルを押したところ、お待ち頂いていた岩川さんが現れました。どうやら休日出勤で私を迎えて頂いたようで、オフィスには岩川さん以外の人影はありません。
爽やかな笑顔の岩川さんに安心したことを思い出します。二時間近くの面談の中で、私のキャリア説明に大半の時間を使用してしまいました。
少し饒舌になってしまい、私という人間の印象はどうだったのだろう?と
帰宅してから岩川さんへ、本日の面談のお礼をメールしました。
私が(株)エリートネットワークさんへ面談に向かう前に、(株)エリートネットワーク社のHPを一通り拝見しました。
そのHPの中で、「社風・企業文化」に関する記述があり、ポイントを得た論説に深く共感したことがあります。
私のキャリア(業務経験)の中で、私は色々な取引先企業に出向に行き、色々な経営者や社風・企業文化を見てきました。
その経験で思っていたことが、(株)エリートネットワーク社のHPにズバリと文字で表現されていたことは、私の転職活動にどれほどの勇気を与えてくれた事でしょう。
私はかねてからこう思っています。「社風とは、そこで働く社員ではなく経営者もしくは、その会社を引っ張っている経営部門の特質が多くの影響を与える物」まさに社風とは経営者の顔なのです。
岩川さんとの面談から2日〜3日後に今回就職内定の会社を紹介されました。
面接の当日は、会長・社長・相談役の方達と3時間にも及ぶ面接でした。
その後内定も決まっていない私を、営業会議にオブザーバーとして参加させて頂いたり、会長と昼食をご一緒させて頂いたりと、その会社の雰囲気(社風)をかなりな範囲で知ることが出来ました。
そのことでこの会社が私に期待していることや、私が一番に知りたかった経営者の人となりが大体解ったのですが、社長の経営ビジョンに多く共感するものがありました。
会長・社長は私に経営者の右腕の役割を求めているのです。
右腕といえば格好がいいのですが、時には「憎まれ役」を買って出なければならないことも多くあると想像がつくのです。
ある目的を達成する場合、「物事を成し遂げる実行力」が必要なのですが、56歳の私には、あるかどうかは自分では解りません。
しかし、この「物事を成し遂げる実行力」とは、それは「けっして諦めない事」ということなのではないでしょうか。
今までのサラリーマン生活で、幸いにして目標を達成したことは沢山ありますが、振り返ってみますと「決して諦めない自分」を想像して業務に当たったことが勝因のように思います。
少し落ち込んでいた自分に、(株)エリートネットワークの転職カウンセラーの岩川さんは笑顔で勇気づけてくれたように思います。困難な局面で多くの場合、ともすれば怒ったり、落ち込んだりの連続になりがちな物ですが、このような心理状態では単細胞な浅い思考に終始する場合が大半です。笑顔で事に当たれば、心の余裕が生まれ、多面的な思考で仕事に向かうことが出来るはずです。
転職カウンセラーの岩川さんは私に笑顔を思い出させて頂きました、深く感謝しています。
ありがとうございました。