海外営業・海外駐在を生かして、貿易会社への転職

海外営業・海外駐在を生かして、貿易会社への転職

No.419
  • 現職

    創業80余年 貿易会社  セールス&マーケティング部

  • 前職

    一部上場 大手電機メーカー  海外営業部門

福崎 留美子 氏 31歳 / 女性

学歴:東京大学 教養学部 広域科学科 卒
TOEIC 905点  漢語水平考試 5級

はじめに

「中途での転職は、“ご縁”が大きな要素。あなたにも必ずご縁があるよ」と多くの転職経験者に言われるたびに、それはたまたまご縁に恵まれた人が言う言葉だと思っていました。
しかし、結果的に、とてもニッチな貿易会社と、私のニッチな経歴が、タイミング良く、ピンポイントで一致して転職が決まりました。履歴書を見ただけで、この「マッチング」を提案下さった(株)エリートネットワークの松井社長の「目利き」には驚くばかりです。松井社長とお会いできたことが、最大の“ご縁”であり、数ヶ月にわたり親身にお世話下さった事に深く感謝申し上げます。

転職の動機

「知的好奇心が旺盛」と、よく言われる自分は、「何事にも広く」興味がある一方で、裏返せば、これといって極めたいものが無く、よって新卒時の就職活動でも、やりたい職種や、興味ある業種を絞ってうまく自己PRすることもできず、たいした企業研究もOB訪問もせずに幅広く色々な業種を受けまくっては落ちる、という実に恥ずかしい状態でした。大学受験以上に、人生を左右する会社選びを、なぜもっと真剣にやらなかったのかと、後悔もしました。
しかし、たまたま大学OBとの出会いがきっかけで受験し、入社した大手電機メーカーでは、総務人事、資材購買、役員秘書、事業企画、海外営業などの職種と、二度の海外勤務(香港、中国)など、「知的好奇心」を満たしつつ、社内に人脈を広げつつ、実に多様な経験を8年のうちに積むことができ、結果的に、良い就職をしたと思っていました。

一方で30歳を過ぎた頃から、「文系卒の自分にあり得る選択肢は、一通り経験した。次はどこだろうか?」「エンジニア主体のメーカーの主力事業所で、文系で女性の自分が上に行くことがあり得るだろうか?」「独身のまま、この地方で生きていくのだろうか?」という不安と疑問が、日に日に大きくなりました。
会社の経営状態は、新聞記事で「“経営再建中の“○○電機」、という枕言葉がつくのが数年前から「常態」と化していました。実態は、本社への提出資料が増え、しかも「関係者に波風立てない無難な言い訳資料」のパワーポイント作りを頻繁に課されることに、どうしようもない苛立ち、虚しさを感じ、「今までと同じ新年度(4月)を迎えたくない!」と、「初めての転職」を決意したのが、31歳の年明けでした。

転職活動開始

大手転職エージェントのサイトに登録するも、各職種を2〜3年ずつ、「何でも屋」的にやってきた自分には「応募職種」を選択するところで手が止まってしまう、という状態でした。こちらのポイントも絞れていないので、送られてくる求人案内も、当然「ピンと来ない」ものばかりでした。
「営業」「企画」「経理」など、従来の分類にあてはまらずに、自分に合う仕事は無いものか、と悩み続け、ネットで偶然目に付いたのが、非常にニッチな業界のX社。会社名は伏せてありましたが「これだ!」と思い(そのサイトがエリートネットワーク社であることも知らずに)簡単な経歴を入力して、「応募」をクリック。その2〜3日後、松井社長から「ご登録ありがとうございました」とお電話を頂き、転職活動が本格的に開始したのでした。

松井社長とのカウンセリング、そして各社との面接

初めてのお電話で「きっと知的好奇心の強い方ですね」「組織全体を俯瞰できるような仕事が良いのでは?」と私の趣向を汲み取って下さったこと、そして「年齢的にも、はっきり言って厳しいです。」「私は転職を煽りません。現状にとどまることも、悪くない選択肢ですよ。」などとズケズケ(?)言って下さることに、驚きつつも、信頼を感じられました。
「それでは、応募頂いたご希望のX社、責任持って推薦させて頂きます。 それから、“A商事”という会社のホームページも、時間ある時に見ておいて下さい」で、その晩の電話は終わりました。(この時初めて聞いた“A商事”に約6か月後に入社するとは、想像もしていませんでした。)

この電話の2日後、正式な履歴書と職務経歴書を完成させ、(株)エリートネットワークの銀座の事務所にて、松井社長とお会いし「10年後にどうなっていたいか?」という話から始まり、自分では思いも寄らなかった選択肢(急成長中の新興企業や、大手コンサルファームなど)をいくつか提示頂きました。まもなく、この面談で応募を決めた会社と、次々と面接の日程をアレンジ頂き、また面接官のほとんどが役員クラスであることは、驚くべきことでした。
しかし書類が通ることすら稀な人気企業というのに、私自身の準備や気合が十分でなく、最初の第一志望であったX社を含め、手ごたえある面接が出来ず、そのたびに松井社長からお電話で厳しく、時には温かく、アドバイスを頂きました。
唯一、5次面接まで進んだ企業に落ちて「転職やめようか、今のメーカーでちょっと我慢すれば、いずれは会社も変わるかも」とも思いました。

松井社長は引き続き、親身になって、新たな視点で企業を紹介下さいました。
しかし、気持ちがやや弱気になっている状態で、「とりあえず応募」しても受からないだろうと思い、「見送り」させて頂きました。

いつしか桜の季節も去り、いったん「転職活動」から離れ、GWをゆっくりと過ごし、自分のキャリアの「これまで」と「これから」、そして今までも薄々とは気付いていた「ニュートラルな思考を邪魔する、実にくだらない小さなプライド」などを見つめ直した結果、「”何でも屋“的な自分の経験をフルに生かせるのは、むしろ小さな組織ではないか?」と思い、「一番最初に提案頂いたA商事に挑戦してみよう」という結論に至りました。

「今更ですが、A商事、まだ募集していますか?」と、久々に松井社長にコンタクトを取ってから、二度の面接、食事会、内定、電機メーカー退職の手続き、転宅、A商事での勤務開始まで、約2ヶ月でした。

A商事では、最初から社長と面接でしたが、その前に、(株)エリートネットワークの事務所で、「本気で行ってこい!」と松井社長に肩を叩いて気合を入れて頂き、転職カウンセラーの高橋様に同行頂きました。この時「A商事に落ちたら他社か、現職続けるか」という発想はなく、「必ずA商事に入るのだ」という、今までに無い気持ちになっていました。
面談でも、観念的な話、抽象的な話は一切無く、これまでの経験を正直に具体的にお話することで、今、A商事が求めている人材と、自分がやってきた経験が非常にマッチすることがわかり、これが「手応えある面接か!」と感じることが出来ました。また、これまでに受けた会社の多くは「社会人になってから」を聞かれましたが、A商事では「中学生の時から」の話を求められ、会社名や大学名の影響を良くも悪くも受ける以前の、人間としての根っこを、とことん追求され、それだけ人物重視なのだな、という印象でした。
「落ちる面接」というのは、面接の最初から最後まで、面接官との距離が縮まらないものですが、この時は面接中に、私自身がどんどんA商事に惚れていき、また逆に好意も示されて、自分が更にリラックスして、自信を持って話をすることができました。
一次面接の後は、高橋様がスピーディに二次面接につなげて下さいました。

複数の企業で「珍しい履歴書ですね」と言われた私の経験は、よく言えば「多様性に富み」、悪く言えば「中途半端」、そのような“何でも屋的”な経歴がピンポイントでマッチし、規模は小さくても、とても誠実で活気ある企業を、最初の電話の段階で紹介して下さった松井社長のプロの目利きには、感嘆するばかりです。
「初めての転職」で不安もありましたが、入社1ヶ月が過ぎた今、違和感なく雰囲気に溶け込めていると思っています。自分で判断して、主体的に実行していく大変さもありますが、以前の大企業の細分化された組織の中では、決められたことだけをこなすことだけが次第に当たり前になり、「課題を打ち立てよう」という意識すらも、年々薄れていたので、「あれも、これもやりたい」と思える今は、とても新鮮で幸せです。
(株)エリートネットワークの松井社長、転職カウンセラーの高橋様と出会えた「ご縁」に感謝するばかりです。
本当にありがとうございました。

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