大手銀行 社内情報システム
メガバンク系システムインテグレーター 金融システムSE
梅川 良枝 氏 31歳 / 女性
学歴:津田塾大学 学芸学部 情報数理科学科 卒
金融SEとして約8年間務めた後、個人的な事情で退職しました。その個人的な事情がなければ、おそらく今でも以前の会社に勤めていたと思います。
理由は、
・給与面、福利厚生も充実していた。
・職場の同僚も良い方が多かった。
・自身もその場で求められていた。(と思いたいですが。。。。。)
確かに激務であった、尚且つ、年次と役職の割には、頼られ過ぎていないか?と思うほど、仕事をどっさり任せて頂き、2008年リーマンショック後の不況感漂う雇用状況の世間から見れば、嬉しい悲鳴をあげるべき環境だったのかもしれません。
事実、私が自主的に退職することについての、周囲の方からは「なぜ?恵まれているのに」「もったいない」「この不況に次の就職は難しいんじゃない?甘いよ」と口に出さずとも、しっかり伝わってきました。そんな中、自分の心の中でも、変化に対する恐れや不安がものすごい大きさと勢いで育ってきてしまいました。
退職後、個人的な事情が解消するまで約半年、そもそもの事情が好転することを願うのみで、就職活動を始められる状態でもなく、ただ自分でもどうなるか全くわからない日々を過ごしました。1年後、自分がどうなっているかまったく見えない状態に陥ったのです。
多分、8年間というもの、メガバンクの合併再編の中で金融SEとして休むことなく走り続けてき過ぎて、休む、とか、ゆっくり、ということに慣れていなかったので、余計、いざ退職してみた時の、焦りが大きく自信を失ったり不安に駆られてしまったのだと思います。
退職後約半年が経った頃、もとの事情が解決し、解決した際には、上記の通りすっかり社会から身動きのとれなくなった(物理的にも、気持ち的にも)状況にピリオドを打たせるようなイベントが2つありました。ひとつは母校である女子大のOG会、もうひとつは祖母の1周忌でした。(少ししめっぽくて申し訳ないです)
母校は、‘世紀を超えて女性を勇気づける’をポリシーにしている通り、あらゆる年代の諸先輩方が集まったOG会では、60代、上は80代とお年を召した先輩方のパワフルさと華やかな姿と、実際にお話しして「30代なんて若い。まだ何でもできるじゃない!」と言葉でも勇気づけて頂きました。
もう一つは祖母の1周忌。家族へのサポートも少しはできたと考えました。また、「良枝が生きられない時は、たいていの人は生きられない」となぜか私のことをものすごく逞しく強いと信頼してくれていた祖母のためにも、やっぱり頑張るか、と再起動のスイッチを自分の中で入れました。
スイッチを入れたはいいものの、新卒時の就職活動からは10年近く経っており、今まで転職活動がどういうものかも知らないので、とりあえず数社のよく耳にする紹介会社様へ登録しました。その中で、(株)エリートネットワーク様に出会えたのは、ネットの検索で「‘母校の名前‘&’転職‘」のキーワードから検索し、転職体験記を読んで、その対応の柔軟性とフットワークの良さに魅力を感じたからです。
事実、ファーストコンタクト(ネットからの申し込み)から、セカンドコンタクトまで早かった。転職カウンセラーの廣重さんに出合いました。時に厳しく、エネルギッシュに転職活動を支援して頂きました。一番印象に残っているアドバイスは「応募企業様のホームページ、最低10時間じっくり読んで下さい」。そのアドバイスは有益で、尚且つ、前職の際は忙しさを理由に学ぶことを停止していたのが、企業研究や業界研究、自分自身のやりたいことが実現できそうな企業、と調べていくうちに、勉強熱もあがり、TOEICを再受験したり、資格勉強等、以前にも増して、勢いをつけて知識吸収に努めました。
約1年の離職期間の後、ご縁があって無事新しい企業へ就職できました。
就職活動を振り返ると、以下のことが良縁に導いたと思います。
・今まで真面目にやってきた実績&それを簡潔に職務経歴書に表現すること
・働くことへの熱意と社会人としてのマナー(挨拶、清潔感は大事だと思います)
・運と縁とタイミング(身も蓋もないですが。。。。。これらを生かすには、いつでもチャンスが巡ってきた時に、掴み取るための日頃の準備が必要)
今現在、まだ新しい職場で半年にも満たないですが、つくづく思うのは、当たり前のことをきちんとやることの大切さ、その積み上げが、どこにいっても必要とされる能力を養ってくれると深く感じます(ex.コミュニケーション能力等)。
目下の目標は、採用してよかった!と半年後位の、飲み会で同僚に言ってもらうことです。
最後に、今何らかの理由で転職活動をしている皆さん、どうか頑張って下さい。
(株)エリートネットワーク様がつないでくれようとする良縁を、掴み取って下さい!