東証一部上場 食品メーカー 中国部 (近く中国駐在予定)
東証一部上場 消費財メーカー 中国駐在 (華南地区総監)
田村 豪太 氏 48歳 / 男性
学歴:早稲田大学 法学部 卒
2011年7月、私の父が他界したため、駐在先の中国広州から急遽日本に帰国し、父の葬儀に出席。その時日本には1週間ほど滞在し、再び広州に戻りました。
日本から広州に戻った直後、すぐ当時の上司から 「至急、昇進面接の準備をして欲しい」 と連絡がありました。どうやら私にも昇進の順番が回ってきたようです。上司は上海駐在の中国現地法人の総経理。来年には上司が定年退職を迎えます。東京本社での昇進面接は翌週に迫っており、本社人事部も事前提出が必要な職務経歴書、昇進に対する意気込み(論文)、面接での発表資料(ppt)を大至急送付するよう矢のような催促が入っていました。
それら面接資料の準備に追われるその一方、(株)エリートネットワーク高橋様から 「是非紹介したい案件がある」 との突然の連絡がメールで入っていました。以前には面識もなく、ほんと突然のメールだったのですが、「来週ちょうど面接で東京に行く予定があるので、休日に会って話しを聞くくらいなら問題ないだろう」 と思い、高橋様との面談をお受けすることとなりました。
8月、東京での面談時に高橋様から紹介された案件は、食品メーカーで、「必要としている人材は、これから中国市場に入っていく際に、先頭を切って現地で働いてくれる現地法人の責任者クラスの人」でした。
紹介された会社自体は知名度もあり興味のある会社だし、中国市場開拓の仕事は自分にも合っているし、「今ここでこの話をストップさせる理由もないかな?」 と考え、社内昇進と転職の両天秤で進展させることにしました。
9月に入ると、他界した父の法要に合わせて帰国した際に、高橋様から紹介された食品会社の役員の方と会食をすることとなりました。食事をしながらの面談で、私の経歴やその会社の今後の方向性等ざっくばらんにお互い話をしました。面談後の先方からの返事は、「私が入社したいと思えるのであれば、CEOと副社長の最終面接をセットします」 とのことでした。条件的には 「現状以上」 とだけ伝え、「問題ない」 との返事を先方からは頂いていました。
一方、当時の会社からは9月下旬に本社副社長から中国駐在中の私に直接電話があり、昇進面接合格の通知と今後は中国全体を見て欲しい旨の話がありました。
これでいよいよ自分の選択・決断の時がやってきました。タイミングとしては実に“妙”なのですが、父の他界後、法要で住職さんが 「49日の法要を終え、いつまでも後ろを振り返っているばかりじゃなく、これからの道を前を向いて進んでいくことを亡き父は望んでいるはず」 と仰っていました。父との永遠の別れ、と同時に何か人生の転機と言うか、父がくれた人生の選択のチャンスのように感じられました。
これが今回の転職の背景です。
ちなみに、10月初旬中国の国慶節休暇に1週間日本に帰国している時に、食品メーカーの副社長面接、CEO面接を終え、合格の返事は休暇中に既に頂いていました。あとは正式オファーレターを待つだけの状態でした。
最終的には、 「自分の人生をどう生きるか」 をもう一度考え直してみて、自分で転職することに決めました。
その後、(株)エリートネットワークの高橋様からは、当時の会社への退職理由や対処方法についてのご指導を受けたり、次の会社との条件交渉をして頂いたり、色いろとお世話になり本当に感謝致しております。
50歳を前にして自分の人生を振り返ってみますと、大学を卒業する前から 「将来は海外で活躍するビジネスマンになりたい」 と思っていました。
大学卒業後、JT (日本たばこ産業) に入社し、入社1年目から社内での海外留学選抜試験や海外事務所研修生選抜試験を毎年受けていました。そして入社3年目で海外事務所研修生試験に合格し、4年目に台湾に派遣され、国立台湾師範大学で北京語の習得を始めました。1年経過した時、研修生としての身分から駐在員として現地居留ビザ取得をし、その後6年間(27歳〜33歳まで)駐在することとなりました。日系企業の海外出先は人数が少ない割に業務範囲が多く、勉強になることが非常に多かったと今でも思います。この台湾駐在時代に担当した業務は、事業企画、マーケティング、営業(現地販売代理店政策&管理)、物流、法務、財務、ITなどあらゆることを現地でオペレーションしていました。
JT本社に戻ってからの2年間(34歳〜35歳)は、海外マーケティング次長としてクロスボーダーマーケティング施策の企画&オペレーションを担当し、中国を中心としたアジア各国で連動して広告活動を行う大型イベントを担当しました。
その後、香港に4年間(36歳〜39歳)駐在し、マーケティングディレクターとして香港・中国全土のマーケティングを統括していました。
大学卒業後39歳までの期間は、大企業で一生懸命働いた時期でした。
しかし、30歳台後半あたりから“人生”というものを意識するようになりました。
「一生この会社で働いていていいのだろうか?」
「自分はたった一度の人生で何をしたいのだろうか?」
「どう生きたいのか?」
「海外で活躍するビジネスマンって何?」
等、色いろ考えた挙げ句、39歳にてJTを退職し、香港と上海に自分でマーケティングサービス会社を立ち上げ(独立創業)、ある意味、人生の勝負を賭けてみました。
当時は、北京オリンピックを6年後に控え、世界中の企業が中国市場を目指して参入強化をしていた時期でした。私は日系企業の中国事業のサポートができないかと思い、その当時起業に踏み切りました。
ところが実際は、私のこの人生の選択に協力してくれる人もあれば、そうでない人もありました。継続的に業務を発注して頂ける企業もあれば、詐欺的行為で資金的に圧力をかけてくる企業もありました。立場が変わると今まで見えてなかったことが見えてくる場面もありました。
41歳までの約2年間という短い期間でしたが、海外で自分で会社を興してみて、資金繰りの大変さを一番実感しました。それと同時に、世の中の仕組みというか、現実の裏側というものをまざまざと垣間見ることもできました。
そして、41歳のこの時(2003年)初めて転職活動をしました。当時2社から内定を頂きましたが、海外で活躍できる企業のほうに入社することとしました。これが前職の企業 (東証一部上場 消費財メーカー) です。そして入社後翌月には中国への出張が入りだし、7カ月後から中国広州に駐在することとなりました。この会社で中国駐在6年5カ月間(42歳〜48歳)、中国華南地区 (広東省、福建省、広西省等) での当社商品販売の責任者として従事していました。
冒頭にも書いたとおり、このままこの会社で勤めていても良かったのですが、この時にももう一度 「自分の人生をどう生きるか」 について考えてみました。このままこの会社に勤めていたら、自分の人生で住んだことのある海外の都市は台北、香港、上海、広州の4か所だけとなっていたでしょう。客観的に見れば、これだけでは中国のことをよく知っているとはとても言えないだろうと思います。そして 「もっと自分のキャリアの幅を広げたい」 「もっと異なる経験を積みたい」 と思うようになり、更に前に向いてチャレンジしようと思うようになりました。
「自分の人生をどうデザインするか」 (株)エリートネットワークの高橋様にもお話ししましたが、私は自分の人生を10年単位で評価し、見直してみて、次の10年をどう生きるか、その都度考えてきました。
30歳台までは大企業の海外事業で死にもの狂いに働いて、40歳台では新たなチャレンジをしたものの、挫折も経験し、路線修正をかけて自分のキャリア形成のために海外で仕事をし続けることを選択し、50歳台には別のステージでまた海外でのキャリアを積み重ねようと転職を図りました。
私は、自分で納得のできる人生にするために 「日々をどう生きるか」 が重要と考えます。 「いついつまでにどうなりたい」 とか 「人生のゴールや目標」 を設定する人が多いと思いますが、設定した後に 「そのために何をどうするのか」 、そこが重要です。前職で中国に駐在していた約8年間で多くの中国の人から慕われ、一緒に仕事ができて嬉しかったと言われます。これは一人の日本人として、また人間として非常に嬉しいことでした。そして多くの人から 「早く中国に戻ってきて欲しい」 とも言われています。 「海外で活躍できる人間」 というのは、海外の人たちから慕われ、信頼されなければいけないような気がします。そうでなければいい仕事ができません。
「海外で活躍するビジネスマン」 というのは、「国籍を越えた多くの人たちから信頼される人間であること」 が大切です。そのためには自分を切磋琢磨することも大事ですが、周りの人たちとの付き合い方もまた大切です。自分が周りに良い影響を与えることができる人間であり続けることが大切です。
私はそんな人間であり続けたいと思い、「日々をどう生きるか」 についても考えています。
2012年1月から新しい会社での人生の新たな第一歩が始まりました。現在、新しい職場で働き始めてまだ1週間も経っていません。職場の雰囲気もよく判らない状況です。
しかし、自分がこの会社に何をするために入ってきたのかは明確です。今まで積み重ねてきた自分のキャリアを基にこの会社にどう貢献するかも明確です。企業である限り業績向上は第一ですが、そのために自分が 「国籍を越えた多くの人たちから信頼される人間であり続けること」 がこの企業の組織力を向上させる上でも大切だと思います。
今回の転職により、 「この会社が中国市場で多くの中国人を雇用し、多くの中国顧客を育て、商品が中国市場で愛され続けていく」 ために、私はこれから貢献していきたいと思います。
最後に、(株)エリートネットワーク高橋様には、今回私を見つけ出して頂いたことに感謝致したいと思います。
素晴らしいチャンスを提供して頂いて、本当にありがとうございました。