エネルギー・環境・水関連ビジネスコンサルティング会社 事業推進部長
NY上場 工業用水処理薬品 大手メーカー ダイレクター(事業部長)
堀田 理人 氏 54歳 / 男性
学歴:同志社大学 経済学部 卒
2012年08月に前職を離職することとなった。
思い返せば、それ迄は恵まれたサラリーマン人生であった。大学卒業後、中堅の一部上場商社に入社し、シンガポール4年、ジャカルタ3年の海外勤務を含め、北米材、南洋材の木材製品の海外仕入先開発と国内市場開発に携わった20年間は、愛社精神の塊の様な猛烈社員であった。
帰国後の2000年、私を育ててくれた出身本部が解体となり、不本意ながら、他部門に異動となるものの、一部上場住宅メーカーから、経営幹部候補として招聘を受け、同社の新規事業にコアメンバーとして経営企画と営業推進に携わった。
その後、米国系のグローバル企業(A社)から北アジア日系企業営業責任者としての招聘を受け、経済成長著しい中国を中心に、グローバルな営業展開の指揮をとった。
冒頭のとおり、その後、自らが天職として信じて止まない前職を2012年08月に失うこととなる。米国系グローバル企業(B社)による前職企業(A社)の吸収合併と、(B社)による(A社)の組織解体と再編が進む中、(A社)を吸収合併した(B社)により、私の職制 (約150名の部門) 廃止が決定された。直接、私に会社都合の解雇通知を行ったのも(B社)の日本法人人事担当役員からであった。
そして、人生初めての転職活動 (再就職活動) が、齢54才にして2012年08月から始まることとなったのである。
初めの1か月こそ、『海外の豊富な事業経験』 『グローバルコミュニケーション能力』 『マネージメント経験』 の3つで、A社同等の処遇をする企業への再就職は出来ると考えていたが、2か月、3か月と時間が経過するうちに、現実は甘くないことを痛感することとなる。
私が希望した『営業幹部』、『海外事業』、『高収入』の求人案件は、複数の人材紹介会社を通して行われるのが一般的である。人材紹介会社1社当たり30人〜50人の求職者応募→人材会社による選考と絞込み→求人会社による選考と面接候補者の絞込み→内定1名 というプロセスを考えると、少なくとも200人程度の応募者の中から1名という狭き門となる。オリンピックでいう金メダリストのみが、内定、採用ということになる厳しい現実を思い知らされた。
今回の辛い経験 (会社都合解雇) から、私が実感したことは、
あくまでも希望する職務を追求する場合、
(1)求める人材 (同業種・同業界経験、海外事業経験、マネージメント経験、語学力&コミュニケーション能力) にピンポイントで一致しなければならない。
(私の場合は、招聘を受ける度に業界、業種を変更してきたことが痛手となった。)
(2)中小企業 (製造) ほど、年俸の割には厳しいスペックを要求する。
(例. 英語、中国語共にビジネスクラス→そんな日本人ビジネスマンを私は知らない。)
(3)募集年齢が45才〜55才対象の上級管理職の場合、殆どの企業が、40才代を望んでいる。
(4)人材紹介会社の中にも年収1000万円以上を謳い文句に、有料でサービスを提供する会社があるものの費用対効果は、必ずしも高くない。
僭越ながら、40才代、50才代の転職希望者に対してのアドバイスは、
(1)転職先が決まる迄は、どんなに辛くとも現職を辞さない。
(2)現職の競合企業に打診を行い、自らチャンスを創れるぐらいの実力がなければ、現職にて頑張った方がいい。(私の場合は、日系の中国同業種に打診を行い、A社の70%程度の処遇でジョブオッファーを受けた。)
不幸にして、私と同じ状況に陥った場合 (会社都合退職)
(1)高い実績を誇る人材紹介会社のコンサルタントと緊密な関係を持つこと
(株)エリートネットワークの転職カウンセラーの杉本氏は、行動力、アドバイス、スピード、人間味の全てにおいて、登録した人材紹介会社7社の中でも申し分なしの実力派コンサルタントである。
(希望条件100%ではないものの、希望職種、待遇に近い企業の求人案件に、杉本氏の迅速なご対応、企業情報のご提供、アドバイス等によりお陰で内定を獲得出来た。)
(2)上記から、就職とは詰まる所、運、縁、時、のものであるのかも知れない。
月並みながら、日頃から、縁を大切にすることが重要である。
皆様の成功をお祈りします。