一部上場 大手インターネットサービス会社 事業開発
一部上場 大手部品メーカー 経営企画
井上 康仁 氏 25歳 / 男性
学歴:慶應義塾大学 総合政策学部 卒
TOEIC985点
14歳まで海外に在住し、中学校から大学まで日本で教育を受けました。大学では総合政策学部で主に法律や国際関係を勉強しました。大学卒業後は米国の法科大学院に進学したが、諸事情により1年で中退する事になりました。帰国後に急遽就職活動を行い、一部上場大手部品メーカーに就職しました。
「新卒」 といっても、私は大学院を中退していたので 「新卒」 ではなく、「既卒」 でした。なので、そもそもの枠が非常に狭かったのです。当時は、ほとんどの会社が 「既卒採用」 を行っていませんでした。様々な会社に大学は既に卒業しているが、応募できるか否か問い合わせましたが、応募すら出来ない企業がほとんどでした。その時から数年経って社会問題となり、法律や慣習が変わったようですが、私が就職活動を行っていた時は非常に厳しかったです。そもそも就職氷河期と呼ばれていた中で、「既卒」 は更に不利な状況となってしまっていました。よって、ある程度 「仕方ない」 とも思いました。
大学の就職センターに行って紹介して頂いた 「既卒採用」 を行っている企業から選んで、応募をしました。大学院を中退したため、とりあえず早く働かないといけない、早く親を安心させたいといった想いがあり、ある程度妥協する他ありませんでした。ただ、その中でも 「グローバル展開中」、「M&Aを積極的に行っている」、そして 「社長のリーダーシップ」 が魅力的に映った一部上場の大手部品メーカーに就職することにしました。
私の数少ない長所の1つは 「英語がネイティブレベルであること」 です。しかし、就職した会社での英語の使用頻度は1 %未満でした。私は語学力をフル活用して世界を舞台にして仕事をしていきたいと考えていましたし、それが出来ると言われて入社を決意しました。しかし、実際にはほとんど自分の長所を活かすことができず、今後も英語を使用する機会はほとんどないだろうと感じました。仮にあるとしても、早くても 「数年後」 でした。私は、「今すぐ」 にでも英語でビジネスをしたかったのです。
また、就職した会社の社風が自分には合わなかったと感じていました。保守的・コンサバ、アクションコントロールが極端に強い会社だと感じる事も多く、非常に閉鎖されている空間で仕事している様にいつも感じました。私が海外で育ち、高校や大学も非常に自由な雰囲気を謳歌しているからこそ、すごく窮屈に感じる社風でした。保守的な社風が故に、意思決定は遅く、改革は行われず、グローバル化に出遅れ、今後シェアが減少する一方だと感じました。
その上、私は管理部門ではなく、もう少し 「お金を生む」 仕事に従事したいと考えていた事も、転職したいと考えるきっかけでした。更に、部品等、エンドユーザーにとっては遠い存在である物を扱う会社ではなく、顧客にもっと近い仕事をしたいと考えるようになった事も理由の1つです。
私は 「“若くして”成功すること」 が人生の目標の1つです。働くうちに、それを達成することが出来る会社に移りたくて仕方なくなりました。当時働いている会社は 「実力主義、絶対評価」 であると標榜していましたが、実際のところ完全なる年功序列の相対評価でした。
私は転職活動を本格的に開始する前に、徹底的に自己分析を行いました。これは、新卒時の就職活動で行う 「自己分析」 とは全く別の内容とレベル感の自己分析でした。「今後どの様に生きたいか」 といったテーマにフォーカスし、「何を達成したいか」、「死んだ後にどう覚えられたいか」、「自分はなぜ今の会社が不満なのか」 等を徹底的に分析しました。時間さえあれば、ワードのドキュメントを開いて、自己分析に時間を割いたりもしました。
そこで以下の項目を 「こだわる条件」 としました:
・英語をフル活用したい
・事業戦略、又は経営企画をやりたい
・より自由な社風の会社で働きたい
・もっとお金が欲しい
・エンターテインメントに興味がある
ただし、入社2年目という事もあり、ある程度お金へのこだわりは捨てました。完全に捨てた訳ではなく、前の会社の収入より上回る金額を条件とし、極端な収入アップは望みませんでした。とにかく、語学力を活かす事ができ、「戦略」 に関わる仕事に従事していける会社を強く希望しました。これが、シンプル且つ自分の素直な見解でした。
この条件をご担当の転職カウンセラーの杉本様に伝え、いくつかの企業様と面接をセッティングして頂きました。当初はコンサルティングにも興味があり、いくつかの外資系戦略コンサルティングファームに応募し、面接も受けました。しかし、途中から事業会社を志望する様になりました。その理由としては、「アドバイスをする立場」 ではなく、「ビジネスを実行する立場」 に居たいと考えたからです。
また、私が求めている 「自由な環境」 はコンサルティングファームにはないと感じました。その上、興味が強かったエンターテインメント業界の仕事に関わるには、コンサルティングファームではなく、エンターテインメント会社に転職するのが自分にとっては自然な流れでした。
今回転職する会社を選んだ理由は、上記の条件を全てクリアしているのは勿論ですが、面接でお話しした社員の方々に非常に魅力を感じた点が大きかったです。皆様が非常に頭の回転が速く、個性的で、興味深い方々でした。
また、ここでは他社とは違うものをたくさん学ぶことが出来ると感じました。更に、企業理念にも強く共感すると共に、今回の転職を考える理由の1つであった 「社風」 も自分と非常にマッチしていると感じ、今後の自己の成長にも大きく繋がると考え、総合的に考えた上で転職を決定しました。
私が働いていた会社は関西にある会社でしたので、転職活動はより一層難しかったし、費用もかかったと思います。定時後からどれだけダッシュで新幹線で東京に向かっても、到着するのは夜20時半でした。そもそも休暇が非常に取りにくい風土であった会社で働いていたため、有給を取得して面接に行くのもなかなか難しかったです。対処方法としては、まず可能な限り遅い時間に面接を設定して頂く事でした。また、一次面接はWEBでも良いか、又は関西で面接して頂くことは出来ないか等も、ご担当の杉本さんに聞いて頂くこともありました。しかし、大半の企業は夜遅い時間や土日は面接して頂くことが出来ないため、有給休暇を取得して面接に行く必要がありました。せっかく休みを頂いて面接に行くのですから、可能な限り一日に複数の面接を入れて頂きました。
また、応募する会社も確実に行きたいと思える会社に限定しました。内定をもらっても行くか判断に迷う会社は、早い段階から選考を辞退したり、そもそも応募しないようにしました。応募する会社にも優先順位をつけることは、遠方から転職活動する人にとっての成功の秘訣の1つだと思います。
また、働いている会社側のまわりの人間に 「明らかにこいつ転職活動している」 と思われない様にも色々と工夫しました。それこそ、体調が悪いフリとかもしましたし、何かしらの理由を作って会社を休みました。面接の前の日はマスクをして、いかにも体調が悪い様に振る舞ったりもしました。面接が確定している日に重要な会議が入りそうでしたら、必死にその会議を違う日に移したこともありました。
しかしながら、どうしても面接を実施して頂く企業様に日程変更をお願いすることもありました。更に、夜20時から面接を実施して頂く必要がある場合もありましたが、そうしますと最終電車で関西に戻ることが出来ません。その様に確実に最終電車が無くなると分かっている日には、夜行バスを利用しました。面接が終了し、夜行バスに乗ると関西には朝の朝6時頃に到着します。そのまま会社に行くこともありましたし、一度帰宅してシャワーを浴びてから会社に行くこともありました。いずれにしろ、寝れたのはバスの中のみでした。いくら若くても、その日の仕事はめちゃくちゃシンドイです。
だから、関西でフルタイムで働きながら関東で転職活動するにはそれなりの覚悟が必要だと思います。時間、労力、そしてお金も投資することになります。実際、転職活動のために私生活を少し制限し、「転職活動費用」 を作っていました。会社を辞めずに遠方から転職活動する人は、そのぐらいしないと蓄えもなくなっちゃいます。最終的に転職が決まるまでお金は結構かかりましたが、結果としては非常に良かったと思います。そして、次の職場では、Google や Fecebook 等の企業と対等に戦えるグローバルIT企業に出来るように全身全霊を傾けて取り組んでいきたいと思います。
最後に、今回の私の転職活動を通じて、これから転職活動を始める方へ僭越ながらアドバイスをさせて頂くとすると、実際に転職活動を行い、色々な業界を見て、色々な方々とお話しすることによって、「自分が何を目指したいのか」、「自分の立ち位置はどれぐらいなのか」 を具体的に認識することが出来ました。そして、上記のような困難を乗り越えて、良いご縁を頂く事が出来ました。
一方、「時間がない」、「遠い」、「お金かかる」 という理由で転職活動を始めない人は、いつまで経っても自分の目標を達成出来ないと思います。本気で環境を変えたい、転職をしたいと考えるのであれば、無理矢理でも時間とお金を用意し、物理的距離も乗り越えて行かないと、現状を変えることはとても難しいと思います。行動あるのみです。大変だと思いますが、皆様の転職活動が成功する事を祈っています。