倉庫会社 営業管理職
建築資材メーカー 営業管理職
山田 俊之 氏 39歳 / 男性
学歴:立教大学 社会学部卒
「そもそも何故転職することになったのか」と振り返ってみることにした。前職では新卒後約17年間勤めて、沢山の経験と実績を積み重ねてきた。その会社を辞めようと決意したのはつい3ヶ月前のことであった。
昨年4月末に人事異動により東京都新宿区の本社に勤務することとなり、新規事業である新しい部署の課長職として事業構築に携わっていた。部署といってももう一人の転職してきた年配の方とのコンビで、直属の上司はオーナーというまだまだ形のない事業へ向けてのスタートであった。具体的な方針を持てないまま進んでいた新規事業も9月末になり約半年が過ぎたが、まだ事業方針すら固めにくい状況で、オーナーの方針変更が早くも伝えられることとなった。約束では1年間と言い渡されていたが、今の時代そんなに流暢なことを言える時代でないことはわかっていた。しかし言い渡されると、自分としてはやり切った結果ではなかったことに非常に虚しさを感じた。オーナーからは新たな異動を告げる形で話がなされた。この時、かなり強烈な私個人に対するパッシングも浴びせられた。オーナーの性格は十分にわかっていたが、オーナーに調子を合わせていくようなことはせずに、自分自身として納得できる事業構築を作り上げようと決意して望んだ仕事であったため、今回の方針変更に対しては非常に残念な気持ちと同時に冷静に受け止められる自分がいた。このまま会社方針に従っていくだけでは、自分の人生に悔いが残ると強く感じた。だからこそ今十分に考えて結論を出すべきだと思った。
結論は「会社を辞めよう、そして新たなフィールドで自分を磨こう」というものであった。葛藤がなかったわけではないが、実は本当のきっかけは数年前から芽生えていたものであった。私も管理職で会社方針に基づき部署責任と部下の育成を任される立場であったが、ここ数年における度重なる経営方針の変更や物づくりに対するオーナーの考え方において沢山の疑問を持ち、このままでよいのかと長い間自問自答して職務を進めていた。もちろん改善や改革を自分が自ら行動で示したり、提案をしたりと多くの場面において努めてきてはいたが、結果として何も変わっていない現状に非常に思い悩んでいた。若い部下や後輩が一連の経営方針の変更に我慢できず退職する場面に多く接するようになり、自分自身の責任を大きく感じていた。「何故」をきちんと解決せずに進めてきた代償は非常に大きく、ストレスとなって自分自身をネガティブにさせていた。昨年のオーナーとの話の中で、このままではいけないと痛烈に感じて、自分がやりたいことや自分自身が変わらなければと強く感じられ、会社に甘え過ぎている自分に気づいた。だからこそもう一度自分自身を磨き直せる職場へとの本心を大事にし、異動を断り、結果として退職することをオーナーと話し合った。オーナーも驚いていたが、最後には応援して下さることで了承して頂いた。
10月2日にオーナーとの話し合いを行い、引継ぎ事項や退職日についても具体的に詰め、転職活動に向けてのスタートラインに立ったのであった。
在職中に転職先を決めれば良かったのだが、きちんと結論を出してからでないと中途半端なことができない性分であったため、退職を決意してから転職活動をスタートした。10月初旬初めて『B-ing』を購入して求人情報を確認してみたが、なかなか大変だとすぐに実感した。希望職種を考えたり、履歴書を作成したりと準備しなければいけないことが沢山あることを目の当たりにして戸惑った。まずはインターネットの転職サイトを確認し、「大手のR社」が目に留まり、一通りの転職情報を確認してみた。サイトに出ていた適職相談に個人情報を登録した。また退職を決めた直後の引継ぎ中に、部署で一緒だった方にアドバイス頂いた東京都内の「東京就職サポートセンター」や「東京人材銀行」にも出向いて登録を行った。わからないことも多く転職活動を知るために、活動に必要となる情報について専門書で確認も行った。
登録したR社のキャリアアドバイザーという方から、メールにて転職相談の打ち合わせ日について連絡が入ってきた。予定を返信し、相談日を10月17日に決定した。40代の男性の方がキャリアアドバイザーで、面談を行い、転職相談をした。また提出依頼のあった職務経歴書を作成し、既に渡してある履歴フォームと写真を提出し全ての登録手続きを終えた。希望職種は営業職で営業における管理職も含めて、敢えて業種を絞らないことを条件とした。これは自分として今までと違った業種への挑戦を第一に希望していたことによる。なぜなら今までと同じ業種なら、前職の職場で頑張るのが一番だと退職を決めるにあたって考え抜いて結論を出したからである。条件面を踏まえ求人情報を約20件まずは資料として頂き、その中で希望のものがあれば紹介するとのこととなった。頂いた求人情報をチェックし、7件の紹介を求めた。
すぐに返事が返って来たのが、千葉県の不動産会社S社の募集についてであった。S社は新規事業として新しい人間だけでチームを編成し、不動産の資産活用に対する提案事業を行うものであった。10月28日第1回の面接としてS社が今回の事業を立ち上げることに協力を求めていた都内の某コンサルティング会社に出向き、その担当者と面談を行い今回の新規事業について説明を受けた。そこですぐに次回訪問についても説明があり、参加の意思を伝えた。これも同コンサルティング会社に出向き、一日かけての研修に参加することであった。グループディスカッションやロールプレイング、そしてある課題に対するプレゼンテーションなどを行い、かなりハードなものであった。退職してすぐの研修参加で、内容に戸惑ったものの、参加したことにおいては非常に有意義に感じられた。当日の参加者は8名であったが、その他の日程もあり、かなり多くの方が受けられていると厳しさを感じた。結果として11月15日に最終面接へ進むこととなったが、この最終面接の際に、初めて私が応募している求人企業S社に伺いその企業の方とお会いすることであったため、すごく不安を感じていた。最終面接は企業側3名で、既に今回の新規事業のチームリーダーとして中途採用で採用された2名の方と人事の担当者との面接でした。今回の新規事業についての説明を受け、私個人に対する質問や企業に対する質疑など約1時間程度行われた。結果としては面接後すぐに紹介会社R社へ断りを入れた。理由としては事業の内容と求めている人物像は自分には合わない仕事だと直感したものであったからである。特に求めている人物は兵隊でリーダーの指示に真面目に従ってもらうことだと言われ、自分自身が挑戦するに値しないと感じた。紹介会社R社からはその都度メールにて日程や研修及び面接の対策を含めて連絡を頂いていたが、物足りなさが残った。
紹介会社R社からS社を受けている頃、紹介を依頼した7社のうちで他2社が面接に進むことができた。1社はベンチャー企業J社で、かなり急成長している企業であった。11月14日に面接に伺ったが、求人内容が社長の参謀役でスーパーマン的な人を募集していたこともあり、結果としては企業側から不採用の連絡が入った。もう1社は千葉県の広告会社T社で、この会社は地域密着でフリーペーパーを扱い着実に結果を出し、これから他地域への事業展開を図ることを目標にしたマネージャー候補の募集であった。従来広告会社は経験者を採る傾向にある中、ここは実績としてほとんどが異業種からの転職組であり、特に問題なく進むことができた。採用における説明会を大規模に実施しているため、そこに参加することとなった。説明会までの期間があったこともあり、J社の面接前に筆記試験を紹介会社Rが代行して行ったため、11月12日それを受験していた。説明会は11月29日で、約50名の方が参加されていた。企業側からは社長がまずビジョンを話し、取締役が業界説明と企業そのものの説明を行う内容で、約2時間を費やして頂いた。その後筆記試験を受けていた者はすぐに一次面接となり、取締役と採用担当の2名との集団面接となった。内容は企業側からの質問がほとんどで、説明会の感想も含めて20分程度であった。結果として12月2日に二次面接に進むこととなった。二次面接は社長と取締役によるもので、最終面接と考えてよいとのことだった。質問は新卒時に受ける面接内容のものも数多く、特に学校でのことや部活など色々と懐かしいことを思い出しながら応えた。またビジネス上における課題や部下育成の目的など面接としてはかなり長く1時間を越えるものであった。説明会で会社のビジョンを聞いた時に目からうろこが落ちるような思いをした。それは前職では考えられない内容のものであったからである。始めに経営理念として「働く人の役に立つ」「地域社会の役に立つ」「国家の役に立つ」と話されたとき、まずは「働く人」がいなければ企業は成り立たないと言われたことであった。これは当たり前のことではあるがその時の自分には強烈なインパクトのある言葉であった。またその後で話された長期基本方針でも非常に興味深い観点で物を捉えていることに驚いた。「こんな会社があるのか」と感動を受け、話を聞けただけでも伺って良かったと素直に思えた。何か前職の仕事で悩んでいたもやもやしたものが解け、今までに得られない自分に強さが身に付いたような気がした。残念ながら結果は不採用であった。
紹介会社Rではその他求人案件は一週間に1件程度eメールにて照会があり、確認後紹介を依頼した。他のインターネットサイトでは『en』にも登録したが、ここはインターネット上でのみの活用であり、なかなかエントリーしても面接に進めなかった。紹介会社Rも『en』もスカウトを活用したものがあったが、これは登録していた「東京人材銀行」における企業側からのスカウトと同様で、生命保険や損保会社が中心でほとんど興味がないものであった。履歴フォームの内容も数回見直して訂正したがあまり結果には結びつかなかった。
その他で具体的に進んだものとしては、11月25日に東京人材銀行の関係でコンサルティングファームT社からのスカウト募集に対して面接に伺った。全く考えていなかったコンサルティングファームの話を聞き、興味をひかれた。取り扱う内容が製造会社における生産性向上を具体的な数字としてコンサルティング実績を上げるというものであったからである。もちろんコンサルタントとなるスタッフには専門性が必要で、契約を含め外部に協力関係を持っているが、その開拓営業として異業種、特に製造会社に居た人間を募集していた。ただし実際に働いている方は40代以上で50代の方がほとんどであるらしく、入ってもなかなか続かない仕事で、本人と仕事が合わないと難しい仕事だと言われた。とにかく研修期間はあまりなく独自に工夫をしてなるべく早く一人で営業してもらいたいとのことであった。営業先を開拓できるかどうかは、こつさえつかめば非常におもしろい仕事だという反面、企業側はあまり強く入社を求めてはいない様子に感じた。大変悩んだ。全く考えていなかった仕事ではあるが、自分自身に合っている仕事ではないかと感じ、経営に携わる分野の仕事として、とにかく学ぶことができる仕事であった。詳しい内容がわからないながらも、企業のホームページでの実例モデルを見れば見る程興味を持ち始めていた。また11月26日に二回目の面接でお会いした社長との話の中で、10年くらい営業で経験すると努力次第では、コンサルタントになることも可能ではないかと言われたことも好印象であった。考えていなかった分野の仕事であり、少し考えることとして1週間程時間を頂いた。丁度この時期は広告会社T社を受ける前で、考えをまとめる意味でT社の説明会に参加するのを止めようかと考えていたくらいであった。
以前に前職D社をお辞めになった先輩からのお誘いで、同業種のN社の話を伺うことにしていた。N社は外資系企業で来年1月からの新年度において新事業として、前職D社の市場に参入するため営業のわかる人間をスカウトしたいとのことであった。先輩の手前もありお話だけは聞くこととし、神奈川県の本社と工場施設まで見せて頂いた。もちろん日本法人の代表者にも会い、条件面を含めて非常に良い提示を受けた。
これらは結果として、広告会社T社の説明会と面接を受けたことにより、コンサルティング会社T社と外資系企業N社への転職を辞退することを決意した。これは広告会社T社に行く事が決まったわけでもなく、もう少し自分自身として沢山の企業と出会い、そして自分が納得できる会社を選択したいと考えたからである。結局広告会社T社も不採用となってしまったが、その時は結論を出していたので、早めに連絡し相手に失礼にならないようにと結果が出る前の12月第1週に両社に辞退を申し入れた。
12月第2週半ばに広告会社T社の不採用について紹介会社Rのキャリアアドバイザーから電話が入った。その時に感じたことだが、キャリアアドバイザーの対応と自分自身の転職活動に疑問を抱いた。もっと情報を幅広く受けるべきだと気づいたのであった。12月10日に新たな人材紹介機関への登録を行った、これは以前よりインターネット上で情報の確認のみしていたサイトで、紹介会社R社だけでは駄目だと感じたことが原因である。1社が「エリートネットワーク(以下エリート)」ともう1社が「紹介会社I社」である。これは紹介会社R社には出ていないような情報が掲載されていたことが選んだ理由である。
反応が早かったのがエリートで12月13日(土)に担当者から直接電話を頂いたのである。転職相談をする日程を打ち合わせ、12月16日にアポイントを取り、早速伺い現状を含めて相談をした。担当者のカウンセラーの杉本さんは紹介会社R社よりは若く30代前半で私よりも年下の方であった。出会いは面白いもので、この担当のカウンセラーの杉本さんは前職D社を担当していたこともあり、採用実績もあった。その企業の話も含めて話をしていることで、私の前職に対する説明が特に要らないと思うと気持ちが楽になった。6社の企業について紹介頂くこととなり、実際に企業の確認を行った。紹介頂ける企業は全て興味深いものであったので、6社全ての企業について紹介を依頼した。カウンセリング中に私に相応しいのではないかと特に担当者が押していた企業が1社あり、この会社が早くも面接に応じて頂けた。
12月20日に東京都の倉庫業O社に伺った。とても寒い日で少し早く着いてしまい近くを散策していたが、時間になって伺うとアンケートを書かされた。正直言って寒くて手が悴んでいて書くのがやっとの状態であった。アンケートを書いて面接に臨むと、社長と副社長が初めから会って頂けた。面接では様々な質問がなされたが、自分自身考えていることを正直に話した。すると今までの企業では感じなかった反応が得られたのである。私が話したことに共感して頂けたのである。事業内容がどうであるとかよりも、不思議な企業の魅力を感じた。これは広告会社T社や不動産会社S社でも全く感じられなかったことで、次の機会を頂けたらと思った。今回の募集は管理職候補として3名の方を採用するもので、今までの新卒者採用重視から採用方針を切り替え、キャリア採用を求め組織作りを行うとのことであった。二回目の面接は12月22日に決めさせて頂いた。今度はなんと作文を始めに書くこととなり、その後で面接となった。面接は前回同様に社長と副社長によるもので、色々なテーマで話が進む中、社長から私に内定を考えているとのお言葉を頂いた。特に本来募集していた管理職候補ではなく、その方たちを束ねる役割として入社を求められたのである。これはエリートのカウンセラーの杉本さんが私を紹介して頂いたことで起きた結果で、非常に驚いた。少し運命を感じたと言うか、自分自身も真剣に受け止めて考えようとこの時に強く感じた。最終的に年内に内定通知を頂き、年明け早々の1月5日に条件面を含めて入社の意志を固めた。決めた理由は自分として頑張れると素直に感じられた会社であり、自分にできる仕事だからである。もちろん仕事は難しいかもしれないけど、こう感じたところが大きい。
エリートからはその他1社駐車場会社P社の面接の機会をいただき伺った。最終的には不採用ではあったが、12月26日仕事納めの日まで転職活動ができたことに感謝した。もう1社の紹介会社Iとは連絡がうまくいかず、特に同社側が忙しいとのことで、12月25日に転職相談を行った。事務的な対応で2時間に渡り面談して頂き、特に職務経歴書の指導にはかなり強烈に駄目を出された。また現状では紹介する企業はないとはっきりと言われ、自分自身にとって縁がない人材紹介会社だと感じた。結果としてはO社を選択したため、登録前で断ることとなった
自分自身にとって今回の経験は決して忘れられないもので、人生において大きなターニングポイントとなった。転職活動をしたほうが良いということは十分にわかったが、何故今まで自分を同じように客観的に見たり視点を変えたりができなかったのか、これは転職しなくても十分にできることであり、リフレッシュするために長期の休暇を取ってみたり、ボランティアに参加したり、何か現実と違ったことを体験することで得られる可能性もあると気付いた。
今回の活動において一番良かったことは、自分自身の客観的な棚卸しができたことで、「こんな自分がいるんだ」と正直に向き合えたことである。また自分がやりたいことやできることを、企業を知る中で創造していくチャンスを数多く得たことでもある。日本の社会において、働く中で自己を成長させ社会に貢献することは、とても重要なことである。自分自身を忘れて、犠牲になって働いていても決して新しいものは生まれない。楽しく働くためにはもっと自分自身を高めていかねばと痛感した。壁にぶつかり悩んだ時こそ、自分自身ばかりを責めるのではなく、足りないところをどのように補い、助け合えるかが必要だと感じた。これから転職活動をする方が同じような体験をしていく中で、相談を受けることもあるだろうが、今回の転職活動を通じ、出会いや勉強できたことを思い出し、助けていければと思う。私自身が短い期間で得たことではあるが、自分に新たな自信と力が加わったと実感できるこの様な有意義な経験を参考にして欲しい。
沢山の貴重な出会いに感謝して、新しい職場において、社会人として、一人の人間としてこれからの人生を楽しんでいきたいと思う。