東証一部上場 丸の内の年商1500億円企業 総務・法務部門 管理職
(株)リクルート 電子メディア事業部 経営企画マネージャー
→インターネット広告代理店 取締役
→外資系 IT企業日本法人 COO
入江 雄二 氏 48歳 / 男性
学歴:東京大学 工学部 産業機械工学科 卒
体育会 軟式テニス部
旧司法試験 二次試験短答式合格
税理士試験 簿記論合格
高校生の頃は、理科と社会と国語が得意で英語と数学はそこそこだったので、理系に進むか法学部に進むかで迷っていた。最終的に、理系の方が記憶量=勉強量が少なくて済みそうなことと、理系の勉強は若いうちにしか出来ないけど、文系の勉強は年取ってからでも出来ると考えて、理系に進学した。その程度の動機で進学したので、当然のように大学では全然勉強しなかった。
もっぱら体育会軟式テニス部と駒場寮での徹夜麻雀。大学3年の夏、就職先を決定づける大きなイベントがあった。それは必修科目の工場実習。実習先の大手メーカーの横浜市磯子の独身寮の部屋に泊めさせて貰って、独身寮から会社のバスで工場に行き、朝はラジオ体操をして、昼はお弁当を食べて、夕方にまたバスで独身寮に戻る。夜独身寮に居ても、楽しみがない。そんな生活を2週間味わって、つくづく思った。工場勤務のあるメーカーには行きたくない、都会で働く仕事がしたいと。
てな訳で就職先はテレビ局、広告代理店、経営コンサルティング会社などを狙い、最終的に転がり込んだのが(株)リクルートだった。(株)リクルートに決めた最終的な理由は、若いうちから仕事を任せて貰えて、結論も早そうだったところ。結論というのは、その会社、その仕事で最終的に上手く出世していくかどうかということだ。40歳を超えて突然駄目って結論を出されてもどうしようもないから、仮に駄目でも若いうちに結論を出して貰えた方が有り難いと考えていた。
入社した頃の(株)リクルートは、情報ネットワーク系のビジネスに人材を大量投入していた。自分も理系だから、当然そちらの事業に配属になると思っていた。ただ、TV局志望だったこともあって、入社前の人事部との面談では、エンターテイメントとITを結びつけるような仕事をしたいと話していた。
そうしたら意外にも希望が通り、旅行情報誌事業に配属になった。職種は法人営業で、JTB、JR東日本、JALなどの担当クライアントに対して旅行情報誌を活用した広告宣伝・販売促進企画を提案して、広告を受注する仕事だ。
その後、新規事業開発や事業企画などを経て、インターネット時代の旅行情報誌事業を検討するプロジェクトに異動になった。幸運だったのは、この時(株)DeNA創業者の南場 智子さんがマッキンゼーのコンサルタントとしてこのプロジェクトに参加しておられて、一緒に働くことが出来たこと。この時の経験は、今でも自分の財産になっている。
11年働いたところで(株)リクルートを辞め、最初の転職をした。直接的なきっかけは元上司からの誘いがあったからだが、裏にあったのは、(株)リクルートは結局人材ビジネスの会社であり、旅行ビジネスは傍流ではないかという思いだった。この先ずっと傍流の旅行ビジネスに携わっていくより、この辺でインターネットに軸足を移した方がいいのではないかと考えた。
転職先はIT系T社と広告代理店A社が合弁で設立したインターネット専門の広告代理店I社であり、いきなり常勤の取締役に就任した。こう書くと理想的な転職のようだが、勿論現実はそう甘くない。I社に対するT社とA社の思惑が全く食い違っていて、高々50〜60人しかいない社員もT社系とA社系で2つに分かれてしまっている。会社としての強みも殆ど無く、全員が個人プレーでなんとか毎日を乗り切っている、という状態だった。
そんなこんなで、経営陣の一員だと意気込んでみたものの、ほとんど成果を出せないまま、1年ちょっとでI社を離れることになった。その後T社でインターネット系ジョイントベンチャーの経営指導業務を担当していたが、都合3年ほど経ったところで、2度目の転職に踏み切った。
I社で短期間ながら経営の仕事に携わり、自分の中では中小企業のプロ経営者としてキャリアを積みたいと考えるようになっていた。そんな時に紹介されたのが、北京大学系IT企業の日本法人H社だった。親会社は中国では大企業だが、H社は売上8億円足らず、社員数60名足らずの、文字通り中小企業だった。COOとして入社し、その後CFOも兼務した。CEOは中国人でスーパー営業マンタイプ、中国と日本を行ったり来たりという状況で、営業部門以外の全てを担当していた。社員も1/3は中国人であり、文化・価値観の違いに驚かされることも度々だった。11年経った今でも時々驚かされる (笑)。
興味深かったのは株式公開準備業務。日本の証券取引所が如何に細かいことにこだわって、形式主義なのかがよく分かった。入る時ばっかり厳しくて、入った後は放任というのは、日本の大学に似ている。また、I社で管理系の知識不足を痛感したこともあり、税理士試験の会計科目、その後司法試験にも取り組んだ。高校時代の思いを実現したともいえる。勿論両者とも片手間で受けて受かるほど甘い試験ではないが、基礎から体系的に勉強したことは、間違いなく糧になったと思う。
今回、親会社の経営体制の変更があって、3度目の転職をすることになった。48歳にもなって行き先があるのかどうか、心配していた。自分が人事担当なら、この年齢の人材は採らないから。(株)エリートネットワークの転職カウンセラーの高橋さんのご尽力のお蔭で、東証一部上場、売上高約1500億円の大企業に採用して貰えた。サラリーマンをするのは12年ぶりだし、中小企業の経験が大企業で活かせるのか、かなり不安はある。しかし、大企業ならではのパワーやビジネスチャンスがあるのは間違いないので、この転職を千載一遇のチャンスと捉えて、精一杯頑張りたい。