東証一部上場 大手化学薬品メーカー 太陽電池材料の研究・開発職
東証一部上場 大手電機メーカー 太陽電池事業部 太陽電池技術者
→ ベンチャーの太陽電池製造・販売会社 太陽電池技術者
火野 久志 氏 28歳 / 男性
学歴:大阪大学 基礎工学部 化学応用科学科 卒
大阪大学大学院 基礎工学研究科 物質創生専攻 修了
TOEIC740点 体育会 硬式テニス部 卒部
大阪大学大学院を卒業後、大手電機メーカーへ就職。化学を通して 「便利」 よりも 「地球環境との調和」 に貢献できる 「ものづくり」 がしたかった。また、元々世間で常々議論されるエネルギー問題に興味があり、これらの観点からメーカーで 「太陽電池」 に携わることを強く希望した。
入社後半年間の新入社員研修を経て、晴れて希望していた太陽電池事業部に配属された。配属された部署は太陽光パネルの中の発電素子であるデバイスの応用開発部門で、製造されるデバイスを 「より良い」 ものにする、成果を上げればその分製品を通して世の中に貢献できる、まさに希望通りの部署であった。このように表現すればこの上ない仕事であるが、現実は違った。当時の日本の太陽電池事業は一時の栄光時代が過ぎ去り、不採算事業へと転落していた。配属されてちょうど1年が経とうという時、人員削減が始まり、事業部全体で100人の技術者、約50人の私の部署からは3分の1の16人が第一陣として太陽光パネルの法人営業部に異動になり、私もその対象に選ばれた。技術系の仕事をするために就職した私には受け入れ難い異動であったが、「人生万事塞翁が馬」 という言葉があるように、新たな可能性を信じ、営業部に赴任した。
ところが異動先の営業部はこの人員削減で異動になった人員のみで構成される部署で、誰も営業経験もなく、文字通り右も左も分からなかった。自分達で計画した営業活動は社内の他製品の法人営業部と営業先が重なり、単独での活動を制限された。おまけに事務所でデスクワークをしていると 「営業なら外回りをしろ」 という事業部長の言葉。捉え方は人それぞれではあるが、この営業部は技術者のスクラップで、私は社内ニートになってしまったと感じた。
この時、私は、同世代の若手はキャリアを積み始めている一方で、何も積み上げられない自分の現状・将来が、何より不安でならなかった。充実したビジネス人生を送るために、今実力をつけなければならない。そしてやはり技術者として生きていきたい。これが1回目の転職理由である。
幸いこういった事態を予測して、異動と同時に転職を視野に入れていたため、転職活動は既に始まっていた。数社の転職エージェントサービスに登録し、紹介案件を見ながら自己分析をしていた。最初の転職活動でこだわったのは 「太陽電池」 の技術者であったが、デバイス関係はどの会社も低迷し、材料関係では即戦力になれない、そしてそもそも太陽電池経験1年のどこにでもいる (元) 技術者を採用する会社はなかった。太陽電池以外にも目を向けたことはあったが、「太陽電池をどうしてもやりたい」 というこだわりが私をその気にさせなかった。
ところが、こうして迷走している間に、前の職場で一緒に仕事をした他社の営業マンから1社の太陽電池のベンチャー企業の紹介を受けた。非常にありがたい話であったが、大手電機メーカーでさえおかしくなってしまう時代にベンチャーに進むというのは容易に決断できることではなかった。だからといって会社に残っても、技術者としてどころかまともなキャリアを積めない、かつ、技術者、それも太陽電池の技術者としての強いこだわりを捨て切れない現状を考慮すると、間もなく答えは出た。
「とりあえず」 しばらく営業部に留まり、あるかどうかも分からない経営状況の回復など期待している場合ではない。今決断しなければ世の中の会社人としてどんどん遅れを取るばかり。とはいえ太陽電池を捨てて他の事業に方向転換するチャンスもなければ意志もない。それではリスクはあるが、太陽電池の技術者として全力投球できるチャンスを取る以外なかった。今を大切にしなければならない。今苦労して、頑張って将来戦えるだけの財産を自分の中に作らなければならない。こういった考えが最終決断させた。そして営業職に異動になって半年でその大手電機メーカーを退職、ベンチャー企業に転職した。
仕事内容は1社目とほとんど同じであったため、抵抗はなかった。しかしやはり大企業とベンチャーとの違いは大きく、自分の役割、リソース、その他環境などがまったく異なった。まず自分の役割についてだが、大企業では1年目社員は上司・先輩からの指示による仕事が9割以上で、自主的に考える時間、またその必要性はあまりなく裁量など当然ない。その一方で、ベンチャーでは自分で何から何までこなさなければならない。この大きな違いは私の一技術者レベルでの現場力、専門知識、自主性だけでなく、事業レベルで物事を考える力など大企業ではまだ育つ機会を得にくいスキルを大いに育てた。また、限られたリソースとその他の大企業では考えられない周辺環境は、私に大企業では既に出来上がったものが如何に重要で、かつ、作り上げることが困難かを気付かせた。「出来上がったもの」 という一言で簡略に表現しているが、記述し尽くすのが困難なくらいのこと、かつ、できたばかりの会社でしか肌で経験できないことを学んだ。
しかし、ベンチャー企業でできることは限られ、市場で生き残り、成長するためには障害が多く、また大き過ぎた。やはり技術を通して世の中に貢献するためにはある程度の規模と、その規模に伴うもの (基幹事業と財務基盤、人材レベルなど諸々) が必要であるということが分かった。更に、太陽電池市場特有の性質もベンチャーには不向きで、近い将来の発展さえ見込めなかった。また、仕事面だけでなく、生活面でも将来を考えると厳しいところがあった。こういった理由で2度目の転職を決意するに至った。
2度目の転職は仕事との両立と地理的な問題 (勤務地が本州ではなかった) のため、相当苦しいものになった。更に、1度目の転職と同様で相変わらず太陽電池関連では募集は少なく、また太陽電池以外の分野では4年目の太陽電池系技術者では即戦力になれずとあまり前回と状況は変わらなかった。前述のような経験を面接の中でうまく表現できればポテンシャルとして認められることはあったが、それは稀で、ほとんど1度目の転職と今回の転職の説明に時間をとられ、巧く自分の強みを表現できなかった。
いわゆる転職サイトに複数社登録して半年間転職活動をしたが、上記のような状況でうまくいっていなかった。(株)エリートネットワークさんと出会ったのはそれからで、某大手転職サイトを通じてオファーを頂き、この時は現状打破で手数を増やすため、と思い登録した。まずは面談だが、電話面談という選択肢はなく、東京出張をうまく利用して銀座のオフィスを訪ねた。そこで最初に提案された求人案件以外に数件紹介して頂いたが、いずれも他社では見たことがなく、これがきっかけで(株)エリートネットワークを見る目が変わった。そもそも面談に関しては他社の場合、事務所が近くにない場合は電話面談で済ませてしまうが、直接面談しか提案されず、また人材紹介の方法に関しても登録者本人が興味のある、マッチングがとれそうな会社に提案するという他社とは異なるスタイルでもある。
結局、私の場合は最初に紹介された求人に採用となったため、お世話になった期間は短いが、数多くある人材紹介会社で(株)エリートネットワークは登録すべき会社だと思う。そう言えるくらい他社とは異なるスタイルで差別化していて、かつ、一人ひとりに対して丁寧である。私が1社目で採用されたのはマッチングの精度もあったであろうが、(株)エリートネットワークだったからこそというのも一つの要因かもしれない。真相は分からないにしても、半年以上も転職活動していた私にとって納得のいく転職を実現させてくれたため、感謝してもし切れない。
次はエレクトロニクス関係の材料メーカーで、太陽電池材料の事業拡大に伴いプロセス技術者の募集にマッチし、採用された。同じ業界に通じていることもあり、2度の面接では1度目、2度目の転職理由の説明に時間は割かれず、「入社してから」、「将来的には」 など、技術者、更には会社人としての在り方、今後に関する話ができ、自分らしさもアピールできた。専門分野のマッチングだけでなく、こういった個人の人となりやポテンシャルに関する点も主張する機会を得られたし、汲み取って頂けたことが採用につながったのではないかと思う。
次の会社は既存事業で収益を上げているが、将来的に行き詰まることを想定し、新規事業の立ち上げを目指している。太陽電池材料もその内のひとつで、高収益事業を作り上げた経験があり、財務基盤もある企業で新しいことに挑戦するチャンスを得られたこと、また自分の興味のある分野を続けられることを大変幸せに思う。加えて興味だけでは事業は成り立たず、技術者目線で市場を見極め、会社全体の舵を切っていくことが重要で、これからのキャリアで習得したいところである。
以上の通り、今回の転職活動は無事に終わった訳だが、社会人暦4年という短い間に経験した大小2つの企業と2度の転職活動は大いに私を成長させた。
まず転職活動そのものに関して振り返る。転職希望者にはそれぞれの事情があり、ひとつの正解などまずないとは思うが、それでも共通した教訓のようなものはあると思う。一つは結局マッチングが重要であるということで、自分が行きたいと思っている企業でも求められていなければ、どれだけ努力してもしょうがないと私は思う。「適材適所」、「需要と供給」 など、どこかこれを納得させてくれる言葉はあり、割り切ることが重要である。反対にかなりマッチングが図られていれば、努力はほとんど要らない。
次に、ある程度のマッチングがあると思った応募先企業で如何に頑張るか、面接官に認めてもらうかという点だが、自分のペースを作ることが重要だと思う。何人も面接官を見て分かったが、面接官はプロではなく、その割に主導権を握って限られた面接時間を自由に使うのだから、転職する側から見ると煩わしいというか、歯がゆいところがある。真意は分からないが、意味の汲み取りにくい質問をして、そのくせ回答に深みがないなど偉そうなことを言う方もいれば、最初から理解する気がなさそうな方もいた。私の場合、今回の転職だけでなく、1度目の転職の話もあり、その事情聴取で面接の大部分を取られ、発展的な主張ができず苦労した。後で振り返って気付いたが、自分の話したいことを話すために面接時間をマネジメントできるくらい計画しておくべきである。つまり、一の質問に一で答えて、それを繰り返していたから時間がかかり、発展的にならなかった訳で、一の質問に対して煩雑な状況を全て簡潔に答えてしまえるだけの準備があれば、面接をもっと効率的に、かつ、自分に有利に進められたのではないかと思う。捉え方によってはかなり強引 (ポジティブに捉えると積極的、意欲的になるのだが) で、結局私は実践したこともないが、それをネガティブにとられ嫌われるようであれば、その会社は 「その程度」 ということで、ポテンシャルの部分でマッチしていないという見方もできる。逆にそういった刺激を求める企業も少なくないのではないかと思う。そのくらい限られた面接時間は貴重で、転職本なんかに書いてあるありふれた方法では、転職者の多様な事情を理解してもらった上で発展的な主張をするなど有効に使うことはできないと思う。これを実践していれば認めてくれる企業はもう少しあったかもしれない。
次に、転々としたこの4年間を総合的に振り返る。私の経歴はある価値観から見れば、大企業を辞め、ベンチャーもすぐ辞め、4年間で3社にも渡るとんでもないものかもしれない。しかし、大企業で指示されるまま最初の数年間を過ごすのではなく、ベンチャー企業で自発的に先頭に立って仕事をした経験は今後の技術者としての成長を加速させると確信している。また大小両極の会社を経験することで一技術者として成長するだけでなく、マネジメントの素養、経営者の在るべき姿、間接部門などのサポートの有難さ、チームワークの大切さ (裏を返すと結局ひとりでは何もできない) など大企業では誰かしらかが役割を担い、誰かが意識的に動かなくてもある水準で継続・継承されていることの重要さを知ることができた。これらの経験を大企業に在籍しながら積むことができただろうか? 同世代の技術者で何割の方が理解しているだろうか? そう考えると、不本意な営業部門への異動とそこで体験した矛盾も、ベンチャー企業で限られたリソースに悩まされながら世の中から見てレベルの劣る仕事ではあったかもしれないが、全力投球した経験も意味があったのだと思える。正に 「人生万事塞翁が馬」、この4年間は私にとってのかけがえのない財産で、これにより差別化された人材になる可能性をもたらしてくれた。後は新天地で一層努力し、周囲から評価されることを祈るばかりである。
転職活動期間の私の精神面を振り返ると、会社での仕事が一人ではできないというのは当然だが、今回の私のような苦しい時間を何とかやり過ごすことができたのは家族や先輩、友人といった周囲の支えのお蔭で、独りであれば壊れていたかもしれない。感謝すると共に、今後何らかの形で恩返しができればと思う。
最後になるが、転職、及び転職活動は、新しい視野や価値観といった何かをもたらしてくれるもので、ネガティブな要素ばかりではなく、ポジティブな要素も沢山あると思う。そのため、日本でもようやく終身雇用の是非を問う動きが見え始めているが、まだ転職=ネガティブなもの、と見なされていることは残念である。もちろん闇雲に転職することは良くないが、最近の産業構造の急速な変化を考えると、数年での転職も有り得ないケースではなく、活路を見出そうとアクションを起こせることが評価されても良いと思う。世の中の価値観が世の中の動きに追いついてくれることを願うと共に、今いる会社でやり甲斐を見出せなかったり、自分の存在意義に疑問を感じたりと何かしらもやもやしている方々には、実際転職しないにしても、一度転職活動をしてみることを勧める。それがきっと個人、会社、更には日本のレベルアップに繋がると私は思う。