名門 マーケティング会社 制作部門 プランナー
広告制作会社 コピーライター
- 読売広告大賞 協賛社賞 受賞
- 消費者のためになった広告コンクール 新聞広告部門銀賞 受賞
井上 舞 氏 35歳 / 女性
学歴:神戸親和女子大学 文学部 児童教育学科 卒
パーソンズ美術大学 (NY.USA) サーティフィケイトプログラム 修了
私は約8年間、大阪の広告制作会社でコピーライターとして働いていました。大手広告代理店からの発注が多く、様々な業種のポスターやパンフレット、新聞、雑誌といった紙媒体を中心に従事していました。在籍中は駅をジャックするといった大きなプロモーションに関わったり、広告賞なども頂き、仕事内容では恵まれていた方だと思います。
しかし、現在の広告業界はWEBやサイネージといったデジタル媒体が主流。今後も広告に携わりたい私にとって、現状ではスキルアップにつながらないのでは、という懸念がありました。また、経験を重ねる毎に企画やディレクションといったことも少しずつ行うようになり、上流工程から参画したいという思いも強くなり、もっと自分が成長できる環境に移ろうと転職を決意しました。
しかし、このまま転職しても前職の経験だけでは自分の思うようなポジションには就けないのでは?、という不安がありました。そこで自分がとった行動が、NYにある美術大学へのデザイン留学でした。コトバだけでなくクリエイティブ全体を見渡すスキルを習得し、説得力のある企画・ディレクションを行いたいから、というのが理由です。また、前職でデザインソフトを使用した作業やレイアウトの作成、デザイナー・カメラマンへの指示も行っていたので、「学びに行く」 というより 「自分の制作物について海外の反応を知りたい」 という想いがありました。勿論、語学習得や文化の違いを肌で感じることで様々な考え方、作り方を吸収し、日本に持ち帰ることも一理ありました。
留学を決めたのが33歳だったので、のんびりと優雅に学生生活を送れる年齢でもなく、リミットを1年に設定。留学先は以前から憧れていた美術大学でしたが、そこには社会人や留学生を対象とした、4年間通学しなくても決められた単位を取れば修了できる夜間コースが設置されていて、学費も授業料のみだったので無理なく通うことができました (それでも生活はギリギリでしたが……)。NYでは、作品に関してプレゼンしなければならない授業を積極的に専攻しました。また、滞在中も日本から仕事の依頼を受け、現地での取材やアメリカ人へのインタビューなど貴重な経験をさせて頂きました。
そうして早くも1年が過ぎ、帰国後はすぐにでも就職! と気合いを入れていました。しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。まさか、半年も転職活動を続けることになるとは、思いもよりませんでした。
帰国後、NY滞在中にまとめた履歴書・職務経歴書と英文つきの作品集をいくつかの転職エージェントに送り、転職活動を始めました。エージェント側も、8年の就業と海外留学の経験があるので転職はし易いだろう、ということでした。しかし、離職期間が長いこと、35歳という世間的には転職の年齢制限ギリギリであることがデメリットになることも言われました。活動開始1ヶ月後、早速2社からの内定を頂きました。しかし、そのどちらも前職の経験を評価頂いたものの、「自分が成長できる環境か」 という条件には当てはまりませんでした。内定を辞退した時、エージェントから 「コピーライターは特殊な職種で求人も少ない。なかなかない機会を断るのか」 と責められることもありました。それでも素直になって考えると、答えはノーでした。その職場で働いている自分をイメージできなかったからです。
その後も広告代理店や外資系、制作会社など様々な広告会社のコピーライター求人に応募しました。落ちる度に反省し、作品を練り直し、自己分析や希望条件について再考しました。「行きたい」 と渇望していた企業に最終面接で落とされる事もしばしば。その理由は 「年齢が高過ぎる」 「代理店出身者ではない」 といったものでした。経験値だけではどうしようもない自分の無力さに愕然としました。次第に応募可能な求人案件も減り、新たに転職エージェントに登録するも、既に落ちた企業や面接中の企業を紹介されるばかりで、進展には至りませんでした。
(株)エリートネットワークさんとの出会いは、絶望に打ちひしがれつつも必死に求人サイトをチェックしていた、そんな時でした。
(株)エリートネットワークさんに登録した理由は、他社にはない案件を紹介してくれるのではという期待からです。登録後、早速担当転職カウンセラーの安藤さんから、紹介したい案件があると返信がありました。しかし、既に数社の転職エージェントに登録し、毎日求人サイトをチェックしていただけに、「また同じ案件ばかりなのでは」 「紹介する案件がないと言われるのでは」 と疑心暗鬼になり、面談当日も暗い表情を隠せずにいました。何を伝えても相手にされないようなネガティブな心境に陥っていたのです。しかしながら、自分なりの自己分析 (メリットとデメリット)、希望条件、将来について、お伝えしました。もう、必死でした。その後安藤さんから 「思った以上に真剣にお考えのようなので、もう少し案件を広げて進めてみましょうね」 と多くの求人案件をご紹介頂きました。驚いたことにそれらの求人は、コピーライターという職種に囚われず、留学以前から念頭に置いていた 「企画・ディレクションができる」 企業ばかりでした。正直、ご紹介頂いた当初は 「私、未経験だけど大丈夫かな」 と疑問に感じました。それでも安藤さんは 「意外とヒットするんですよ」 と薦めて下さいました。
そして、その後、まったく予想していなかった企業から内定を頂くことになるのです……
応募早々に書類選考が通過した企業は、一部上場の大手広告代理店グループのマーケティング会社。マーケティングの知識も経験もなかったので、書類通過の知らせが来た時は 「なぜ?」 と思いました。安藤さんに問い合わせたところ、「マーケティング専門会社ですが様々な部署があり、今回は外資系クライアントに対応するコピーライター経験者の求人です」 とのこと。一次面接を受けたところ、実は面接官の方と私の元上司が知り合いだったらしく、以前の会社の雰囲気も分かって頂いていたようで、緊張しながらも話はスムーズに進みました。
一次選考通過と最終面接の知らせは、面接終了後、1時間もしないうちに来ました。最終面接は入社の意思確認ということでしたが、最終面接で落ちたこともあるので油断できません。実際、最終面接では自分が上流から企画・ディレクションを行いたいことなどを真摯にお伝えしました。すると、取締役の方から職務経歴書に書いていた 「企画における自分の考え方」 について感銘を受けた、というお話を頂きました。そして何より驚いたのが、私の将来目指していることと上層部の目標が合致していたことです。会社概要を見ただけでは縁遠いと思っていた企業でしたが、現場の方々や上層部の方達と面接を重ねるにつれ、「ここだと自分の希望したことが叶うのでは」 という思いが強くなっていきました。面接を終えた時、他社の面接も進んでいましたが、8割はその企業に行きたいという気持ちでいっぱいでした。
正午に面接を終え、夕方には内定の連絡を頂きました。安藤さんから 「【祝】 内定通知書の送付」 というメールを頂いた時、それまで暗雲たちこめていた気持ちが晴々と変化したことを覚えています。「終わった。妥協せずに良かった!」 と。
私は条件を下げることはしませんでした。落とされた企業についても、早々に内定を頂いた2社に関しても 「縁がなかったんだな」 と捉え、後悔することはありませんでした。強気ではありませんでしたが、「いつか自分に合う企業と巡り合う」 という信念がありました。就業を決定した企業については、様々な希望条件があったにも拘わらずどれも当てはまっているように思います。
しかしながら、安藤さんからご紹介頂いた時も、一次面接通過の時も、なぜ選考に通ったのか疑問に思うほど畑違いの企業だと思っていました。ただ、最終面接の連絡を頂いた時 「これは縁だな」 と思いました。実は、面接が進んでいた頃、他社のエージェントからも同じ企業を薦められたのです。もし、安藤さんからご紹介がなかったら、少しでも遅い応募だったら、このチャンスを逃していたかもしれません。奇跡のようなタイミングですが、多分これも信念を貫いた結果だと思っています。
そして、転職カウンセラーの安藤さんの迅速なご対応と熱心なサポートがあったからこそ、信念を貫き通せたと思います。 本当にありがとうございました。