金融マン、一大決心で、保育事業会社へ

金融マン、一大決心で、保育事業会社へ

No.887
  • 現職

    大手 保育・乳幼児教育事業会社   保育事業責任者

  • 前職

    日系 生命保険会社 国際投資部門の外為ディーラー 及び 代理店事業部門の代理店支援

五十嵐 時男 氏 51歳 / 男性

学歴:慶應義塾大学 商学部 卒
日本証券アナリスト協会資格 (1次) 合格
CFP合格

転職のきっかけは2015年9月11日に業界最大手の会社が今まで勤めていた会社をM&Aすることになった時点まで遡ります。

その日の朝、日頃子供の所属する少年野球チームの監督から電話を頂きます。
「業界の大きな再編ですね。今後、何か困ったことがあったらご連絡ください。力になりますよ。」 という優しく力強い言葉でした。

時は過ぎて翌年3月、私は18年ぶりの転勤の辞令を受けます。

2年前に新規事業を始め、ようやく東京に次ぐオフィスを大阪に出店する。そこの責任者として赴けという任命が下りました。ポジションも報酬もアップする内容でした。何よりも私は大阪に赴任することを転勤のある金融機関のサラリーマンとしては当然のこととして受け止めていました。

一方で、それまで突っ走ってきた心と体にふっとスペースができたのも事実で、仕事についてまた家族とのあり方について、今一度深く考える時間ができました。その時、咄嗟に浮かんだ事は、子供の少年野球の最終学年をコーチとしてサポート出来なくなる事が何とも悔しく、東京に残る手立てはないかとおぼろげに考えるようになりました。

そこで思い出したのが9月に声をかけてくれた少年野球チームの監督の言葉でした。
彼は、元々株式会社リクルート出身で、現在は大学のキャリアセンターの職員として勤務されている方で、転職市場についても明るいと思い、何の構えもなくただ素直にその時の気持ちを電話で話しました。

「50過ぎているし、やりたいこともあるのだが、そんな身勝手な話などないですよね?」 と。

すると返ってきた言葉は、「そんなことないですよ、何社か信頼できるエージェントを紹介しますからまずは相談してみては如何ですか。決めるのは後からでも良いではないですか。」 という言葉でした。

正直、年齢から考えても、そんな都合の良い話はないだろうし、まずは動いてみてから考えるという事もありかも 位のさほど大きな期待を持つこともなく、これも何かの社会勉強にもなるだろうという思いで紹介いただいたエージェントの方と会う事にしました。

その1社が株式会社エリートネットワークさんで、担当は杉本さんという方でした。

その時の印象をとてもよく覚えています。
・とにかく真っすぐこちらを見て、ゆったりと私の話を聞いて下さった事。
・肯定も否定もせず、ただ話を聴いてくれて、私が今までやりたいと思っていた仕事について、本心を吐露させてくれた事。
・紹介者の大学 (学習院) の後輩である事。
・杉本さんのお子さんも少年野球をやっている事。

共通の話題もあり、エージェントと求職者というビジネスライクな関係というよりも、転職市場に明るい知人に相談するような雰囲気で、緊張することなく、不思議とリラックスしてお話する事が出来ました。

そして、今回受けた大阪への転勤辞令について、杉本さんは 「(現職から) とても良い評価をされていると思いますし、断るのはもったいない話だと思います。」 と肯定してくださいました。

ただ、子供の件に加え、教育事業に関わってみたいという自分の本音もあり、未経験ではあるものの教育分野にチャレンジする事が出来、東京勤務で、可能性がある求人案件があればご紹介下さいと半分ダメ元でわがままな希望をお伝えすると、なんとその場で3社の求人をご紹介頂きました。

その中で、なんとなく気になった保育業界大手企業の事業責任者というポジションが気になり、帰宅後、ホームページで閲覧したり周辺情報を集めたりしているうちに次第に応募したいという気持ちが高まり、改めてどのように進めて行けばよいかご相談する為にご連絡させて頂き、再度杉本さんにお会いする事となりました。

そして、履歴書・職務経歴書等の修正や1次面接に向けて事前準備をする事柄等をお尋ねし、早速履歴書・職務経歴書の修正に取り組みました。その中で、これまでの自分の四半世紀の会社生活を振り返る作業はとても有意義でした。実際、教育関係の仕事について40歳の頃から10年以上に亘り永らくやりたいと思っていた事に気付くと共に、自分で自分に対しては嘘がつけないなとも思いました。

書類が整い、応募依頼をすると、杉本さんは希望企業の人事部長に直接書類を持参して下さり、その場で面接の段取りを取り付けて下さったとの事。この手厚い対応にはビックリしました。

そして、実際に面接を受ける日になりました。当日は、杉本さんにもアテンド頂き、待合で雑談しながら、リラックスできた事を思い出します。そして、先方も 『時は金なり』 だったのでしょう、初回から代表にもお目に掛かる機会を頂きました。それは、濃厚な第一次面接の40分間でした。

何をどういう風に受け答えしたか技術的な事は覚えていませんが、正々堂々と自らの考えと入社して挑戦してみたい旨を自分の言葉で話しました。

2回目の面接では、常務から現職について尋ねられました。

私が 「現職については何の不満もなくむしろ感謝しかありません。しかし、これからの家族や友人とのあり方について考えを整理してみると、現職に留まる以外の選択肢も検討する必要があると考え、今後について目を向けてみると、教育に関わるビジネスに関与したいという思いを永く抱いていた事に気付きました。そして保育ビジネスについて調べれば調べる程、社会的大義があるビジネスであり、(常務の考えと同様に) 社会の成長に貢献する観点からもどうしても取り組みたい。」 とお話しさせて頂いた時、(あまりにも正直な発言の為) やや身を仰け反らせて驚かれたことをよく覚えています。

ただ、今振り返ると首尾一貫して自分のこれまでの職業観とこれからやっていきたい仕事の意義や内容について、お会いするどの方にも真正面から正直に包み隠さず話をしてきたことが新しい道が開けた一番の要因だと思います。

転職活動前は、勝手に自分で自分に限界を決めつけていました。その呪縛から振り解いてくれた少年野球チームの監督と杉本さんがいたからこそ、今回の転職の成功につながったものだと思います。最初で最後になるであろう今回の行動が私の家族また友人たちにもたらした影響は、計り知れないほど大きなものだったと感じています。

これまで勤めてきた会社との別れは今まで味わったことのないたいへん辛い経験でしたが、新しい希望を手に入れた今は、転職先で成功することで、必ず恩返しできると信じて、日々、前に進んでいます。

私はフルマラソンの経験がありますが、人生には良き伴走者が必要であると転職活動は教えてくれました。杉本さんのお陰で、転職という42.195kmをなんとか完走することができました。

本当にありがとうございました。

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