背伸びせず「身の丈に合った」転職を

背伸びせず「身の丈に合った」転職を

No.85
  • 現職

    東証2部上場 不動産金融会社
    経営企画室 ヴァイス・プレジデント

  • 前職

    中央官庁 →
    外資系戦略コンサルティング・ファーム 
    アソシエート

姉川 俊幸 氏 34歳 / 男性

学歴:東京大学 理学部 化学科卒
ジョージタウン大学 経営学部卒(MBA)

大学卒業後、中央官庁に勤める

私は、理科系の大学卒業後、研究者にはならずに中央官庁にキャリアとして勤務する道を選びました。理由は、世の中の動きに疎そうで象牙の塔の中に閉じこもっているといった印象の研究者ではなく、科学技術の成果をもっと世の中に結びつけるような仕事をしたいと思ったからです。

ただ、実際に勤めてみると、頭を使うよりも体や気を使う仕事がほとんどで、かつ、あまり世の中の役に立っているという実感はありませんでした。組織の中で仕事を各部門に割り振り、回答を催促するような仕事や、国会の質問取り・答弁書きといった茶番の手伝いのような仕事が大半で面白くなく、当時は大変がっかりし、悶々とした毎日を送っていました。

丁度、役所での生活が実質4年半過ぎた頃、世間を騒がせた大変な原子力事故に遭遇し、それから半年は事故対応で私生活がほとんど無い毎日が続きました。上司達が汚れ仕事を避ける中、反対派の陳情、質問対応、国会対応等、怒涛のように止め処もなく私に面倒臭い業務ばかり振ってくるようになりました。役所の1年目に経験した以上の雑巾がけのような仕事でした。3ヶ月程経った頃には、精神的にも少々疲れを感じており、役所を辞めようと決心していました。しがらみの無い環境でのびのび仕事をしてみたい、役人出身の私が民間部門でどの程度通用するか試したいと強く思っていました。

事故対応の激務の中、何とか遣り繰りして転職活動を行い、幸いにしてMBAを持っていたことも寄与して、間もなく某戦略系コンサルティング・ファームから内定を頂くことが出来ました。そして、事故から丁度半年経った3月末日に役所を退職しました。

戦略コンサルタントで目から鱗が落ちる

私が勤務したのは、社員数が40名弱(当時)の外資系の戦略系コンサルティング・ファームでした。同社は、当時、成長途上にあり、日本支社社長の方針・人柄の甲斐あって、外資系企業にありがちな無意味で殺伐とした社内ポリティクスは無く、クライアント企業のために若手が思う存分力を発揮できる環境が整っていました。

私は、同社で戦略コンサルタントとして実に多様な業種業界の企業を相手に、これまた取り留めない程色々なプロジェクトを手掛けてきました。最初の頃は、本当に新鮮で、全くしがらみにとらわれず自分の地頭でゼロベースで考え抜いてアウトプットを出せること、社内調整といったものは皆無で自分の創造した提案やプランを直接にクライアントに届けられること等、活き活きと仕事できることに感動しました。

組織に属さない中立的な立場から、クライアント企業の組織改革に貢献したいというのが、私が当時戦略コンサルタントへの転職を志望した動機で、いくらかは貢献できたと思っています。

しかし、3年程経った頃から、徐々に「物足りなさ」も感じるようになってきていました。「取り組むプロジェクトの内容が多様過ぎて、深い知識やスキルが身に付かない」、「かといって幅広く経営の勉強・経験を積むための最適な場所でもない」、「業務の現場まで降り立ってコンサルティグを行っても、依然として靴の上から足の裏を掻いている感じは拭えない」等等が理由です。

丁度、転職を考え始めた頃、別の戦略系コンサルティング会社と合併することとなりました。私は、多少面白い展開もあるかもしれないから1年程様子を見ようと考え、すぐには辞めずに新しい職場で確固たる自分のポジションや専門領域を確立しようと努力しました。

ただ、合併の結果として移籍した会社は、私にとって、あまり仕事のし易い環境の会社ではありませんでした。

私は、戦略コンサルティング・ファームでの経験は、自分のキャリアの時間軸においては差し当たり十分との結論を出し、これまで培った問題解決能力、短期間で知識・スキルを吸収しアウトプットする能力を、より特化した領域で活かすべく、転職活動を始めました。

(株)エリートネットワークとの出会い

転職先としては、主に金融か不動産金融のいずれかを考えていました。なぜなら、私は元来、数字に強く、また投資に大変興味があり、自分でも色んな投資モデルを寝る間を惜しんで考えては、自己資産を投じて実践しており、金融に深く関係のある分野であれば、心底打ち込めると考えていたからです。また、多少大上段から物を言わして頂ければ、日本は産業資本の分野では成功してきましたが、金融資本の分野は弱く、ここを固めないことには、結局、いくら製造業で頑張っても諸外国から掠め取られる一方という思いを、最近、強くしていたことも挙げられます。

とはいえ、金融、不動産のいずれも直接の職務経験は無く、どのように転職活動を進めれば良いか、また、本当にこの分野が自分に向いているのか等、本当は良く分かっていませんでした。

そんな時に(株)エリートネットワークに出会いました。担当のカウンセラーの松井さんは、2時間余りに及び、私の置かれた現実、陥りがちな失敗、私に似たキャリアを持つ人間の必ずしも幸福でない末路について、豊富な事例に基づいて、関西弁(滋賀弁?)でずけずけと指摘して下さいました。

カウンセリングの中で私が出した断片的なフレーズ、キーワードや履歴書の記載から、私には、しがらみの少ないしなやかな組織で、プロフェッショナルな仕事或いは経営者の直下で知恵袋として補佐的な仕事を行うのが向いていることを言い当ててくれました。また、コンサルティング・ファームではなく、事業会社において、視点を実業レベル・現場レベルにしっかり据えなおした方が良いこと、特にエスタブリッシュされた事業分野ではなくイマージングな領域でこそ力を発揮できること等、指摘してくれました。同郷の好(滋賀県出身)か、或いは私も薄々同じようなことを感じていたためか、ご担当カウンセラーの松井さんの指摘は素直に受け入れることが出来ました。また、カウンセラーの松井さんは、たとえ十分な職務経験が無くても私が本当に興味の持てる分野を選択しそれに特化すべきことを進めてくれました。

例えば、履歴書の端っこに、趣味・関心として金融・不動産投資を書いていたのですが、これは、他の多くの人材紹介会社のカウンセラーは、たかが趣味と目にも留めなかった部分です。しかし、そこにこそ私の本音があり、担当のカウンセラーの松井さんはそれを面白い!と取り上げて下さり、2社程、実に興味深い活動をしている企業を紹介して下さったのです。

志望先の社長との面接

(株)エリートネットワークが紹介してくれた2社はいずれもしなやかな組織の大変活き活きとした優良企業でした。特に、その内の1社は、東証2部上場企業でありながら、不動産金融に特化した若い会社で、私が応募するポジションは、社長の補佐的な役割でした。同社は、社長自らが、国内外のマクロ・ミクロの環境をしっかりリサーチできるアナリストを探していると聞き、大変面白いと思いました。

私にとってラッキーだったのは、第一志望先と心に留めていたその企業の社長に最初の1次面接でお会いすることができ、同社の経営ビジョンや同社が置かれた環境に下で、私に期待される役割等について、Top自ら直接、要点を得た説明を受けることが出来たことです。 

私は、社長からの質問に対し必ずしも上手く応答ができない部分もあったのですが、経営ビジョンに共鳴でき、社長の仰ることが自然にすっと頭に入ったことを記憶しています。私のやりたいことはこれだ!と感じました。

社長、経営企画室長から、私なら仕事をこなせそうとだ判断して頂けたのか、幸いにしてとんとん拍子で同社から内定を得ることが出来ました。

転職活動を終えて

私は、今回も、(株)エリートネットワーク以外にもいくつかの人材紹介会社を活用しました。ただ、ほとんどの会社は、履歴者のみや、私が口頭で伝える要望のみからひたすらマッチングしようとします。

比較的丁寧にキャリア・コンサルティングをしてくれるところでも、あまりにも分不相応でチャレンジング過ぎる会社、自分の興味とずれた会社を紹介され、ピンと来ないことが多々ありました。

転職においては、背伸びをし過ぎても、かといって挑戦が全く無くても駄目です。まさに「身の丈に合った」転職をすることがとても重要なことですが、(株)エリートネットワークは、転職志望者の10年後を的確に見極めて、本当の意味で各人に「身の丈に合った」ポジションを紹介してくれます。

面接のアレンジや待遇面等最後の詰めの段取りも申し分なく、知人が求職活動をしていれば、間違いなく真っ先に薦める会社です。

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