一部上場 財閥系 大手非鉄メーカー 法人営業職
財閥系 鉄鋼専門商社 冷延・表面処理鋼板、自動車用鋼板法人営業職
山城 功一 氏 31歳 / 男性
学歴:中央大学 経済学部 公共経済学科 卒
TOEIC 705点
日商簿記検定3級
貿易実務検定B級
大学に入学するまでに2浪した私は、大学受験の時と同様に自分の進路を明確に描くことができないままに新卒の就職活動に突入。今後の進路の融通が利きそうという安易な理由から総合商社を志望していたものの、志望動機の弱さや学歴、学生時代の経験の少なさから内定を得られず、何とか内定をもらった財閥系の鉄鋼専門商社に就職することになった。就職先は財閥系だけあって教育制度や福利厚生は充実しており、企業としての安定度は高く、そういった面ではそれなりに恵まれた環境ではあった。
しかし、自分の中では就活に失敗して、妥協して就職した企業であったこと、また同僚・先輩達の仕事に取り組む姿にどことなく不安を覚え、このままでいいのだろうか? という漠然とした疑問を抱いていた。そして入社4年目の夏頃、仕事の面白さをあまり感じることの出来ない状況にあったことも相まって、転職活動を開始した。
複数の大手転職サイトに登録し、エージェントとの面談に赴き、求人紹介を受けて気になった案件に応募、書類が通過すれば企業の面接を受ける、選考に落ちれば次を受けて・・・・・・を繰り返し3ヶ月ほど経過した頃、漸く、某専門商社 (A社) の最終面接にまでこぎ着けた。一方で、利用していたエージェントから強烈にA社を推されていることに嫌気がさしていた。そこで今一度、一連の転職活動の原点を思い起こした時にこれが自分の望む方向性なのだろうか? 転職すること自体が目的化してないだろうか? という思いが浮かび上がってきた。
そんな折、偶然にもエリートネットワークさんのホームページを拝見し、求職者として登録をしたところ、早速連絡があり、カウンセリングを設定頂いた。そして、面談の席にいらっしゃったのが杉本さんだった。今までにお会いしたエージェントとは何か違う雰囲気を纏った杉本さんにたじろいでいると、初対面だというのに転職動機や今までの転職活動の状況を根掘り葉掘り聴取され、なんて無遠慮な人なのだと思い、正直、第一印象はあまり良くなかった。しかし一通り質問が終わった後、「サラリーマンはビジネスアスリート化してきている、その中でどの様に働くかが大切なのですよ。」 という杉本さんからの一言が私の琴線に触れた。
エリートネットワークの杉本さんは、求職者のより良いキャリアディベロップメントを第一に考え、適切な支援をすることを重視しているからこそ、求職者のありのままを知る為に事細かに質問を投げ掛けている、ということに気づき、求職者をどこでもいいから転職させて実績を上げることだけを考える他社のエージェントとの違いを感じた。また、事前にメールで頂いていた質問の回答内容に基づいて、いくつかの求人を既に用意して頂いていたのだが、私の志望業界と異なる求人案件も提示された。
後になって分かったことだがエリートネットワークさんは、1人の担当者が求職者と企業側窓口の双方を受け持っており (大半のエージェントは片方のみの分業体制)、求人現場に精通していることから、求職者にマッチしそうな案件を事前に用意して下さっていたのだ。その中で、人材開発業界に重点的にエントリーしていくことにした。面談に際しては、企業の特徴や面接官の経歴等の事前情報に加えて、面接後の企業側へのプッシュ等や先方からのフィードバックまで確実なサポートを得て、人材開発業界で5社程度面接を受けたところ、大手メーカー系人材開発会社の最終面接に到達。しかし、万全の準備を以て面接に臨んだもののあえなく不合格となった。不採用の理由は面接官の一人であった社長の一声で、「営業っぽさが足りない。」 とのこと。人材開発業界には非常に魅力を感じていたものの、当時の力不足を痛感した瞬間でもあった。
加えて丁度、選考中の企業がなくなり、仕事も好転しそうな気配があった時期で、杉本さんから一時休止の提案を受けた。杉本さん曰く 「現職で業界のことを極めるぐらいになって、もう一度勝負しよう。」 とのこと。その提案に自分自身も納得がいき、再チャレンジすべく、その後約2年は、現職の業界にどっぷりと浸かってがむしゃらに働いた。
その間も杉本さんとは定期的に連絡をとり、電話の度に 「如何ですか? 年齢が経過すると不利になりますよ。」 とプレッシャーを掛けられた。結果的に、有利な転職をするには残された時間があまりないという危機感を持ち続けることができ、年齢による市場価値の低下と、自分のスキルアップによる市場価値の向上のバランスを強く意識しながら仕事に集中することができたと思う。 (仮に、プレッシャーを掛けられてなかったら、もう少し漫然と働いていたのではないか、と今思い返すとぞっとすると共に、自分自身の弱い部分だなと反省する点でもある。)
転職活動一時休止の後の2年間は、これでもかという位に働いた。自分なりに武器も得た。これなら絶対受かるはず、と確信めいたものを抱きながら、再び杉本さんを訪ねた。杉本さんは、「いよいよ、ですね。」 と2年も経過しているのに待ち構えていたかの様な応対。新しく作った職務経歴書を持参して、この2年間の経歴を杉本さんに説明。今一度、人材開発業界への転身を検討したい旨を伝え、後日案件の連絡を受けた。求人票に目を通すとなぜかメーカー系の企業の求人が混ざっている。
理由を尋ねると、「向いているのではないかなと思って。」 とさらりと答える杉本さん。ただ、この時は人材開発業界へのリベンジに燃えており、杉本さんの言葉に耳を傾けることもなく、人材開発業界1本に絞り応募。職務経歴書の中身も分厚くなり書類の通過率はupし、面接に於いても、この2年間の営業で場数を踏んできたので確りPRができた。しかし、以前に比べて面接での感触が良くない。案の定、面接で落ちた。なぜだろうと思案を始めたところで、会社から転勤の辞令が出た。東京から地方への異動である。転職活動が難しくなるとの不安がよぎったが、杉本さんより、「転勤して少し時間を置いて再開しましょう、落ち着いたら連絡下さい。」 とバックアップの約束を頂く。
加えて、面接での感触が良くない理由の答えの提示を受けた。「昔振られた女性にリベンジしようと必死になって筋トレをしてきたのかもしれないけど、相手の女性はぽっちゃり好きだったのですよ。」 と。その言葉にハッさせられたと共に合点がいった。人材開発業界に転身したいが為、必死になって仕事に取り組んできたが、結果として人材開発業界の好むタイプからはかけ離れてしまっているから、各社の面接での感触が良くないのであると。杉本さんは、「だからメーカーを提案したのです。メーカーが合っていると思いますよ。」 と。
人は時間の経過と共にパーソナリティーやスキルが変化するから、2年のキャリアの積み上げでメーカーへの適性が高くなったと。私は自分の父親がメーカー出身で苦労していたイメージしかなかったことから、メーカーだけは選択肢から外していた為、思いもよらぬコメントを頂き、自分の頭の中を今一度整理する必要がある状況に陥ったまま転勤することとなった。
転勤してから今後の働き方を考えるものの、この2年間ずっと人材開発業界を熱望していた為、なかなかメーカーで働くイメージが湧かない。しかし、これまで長い間、あの杉本さんが仰っているのだから、きっとメーカー適性があるに違いない、まずはトライするしかないという思いの中、転勤後半年弱経過したところで杉本さんに活動再開したい旨を伝えた。 (半年弱の間を空けたのは、転勤直後の転職活動は企業側からの印象が悪いと杉本さんよりアドバイスを頂いていた為。)
メーカーに絞って求人をピックアップしてもらうことにした。そして一社目の応募で、いきなり超人気メーカーの書類が通過し面接に臨むことになった。杉本さんの仰っていた通りだと否が応でも気持ちは昂るも、自分の強みをメーカーで働いたらどの様に活かせるか等の志望動機を明確に伝える準備ができず面接不合格となった。準備不足だったから仕方ないとその時は割り切れたものの、私はその後3ヶ月程度の期間、予想もしない苦境を経験することになる。
超人気企業でも書類が通過するのだから、半分以上の企業で書類くらいは通過するだろうと高を括っていたが現実はそんなに甘くない。[1] 求人の募集要項を全く満たせない、[2] かろうじて募集要項を満たしても書類が全く通らない、[3] そもそも希望に沿う求人がない。[1] 〜 [3] の現状に直面して面接を受けることすらできずに、ただ待つだけの日々を送ることになった。その間に31歳を迎え、このまま転職することも叶わないまま、今の会社で働き続けることになるのだろうか? と焦燥感に駆られる日々。
メーカーに縛られず同業他社への転職も考えた方がいいのではないだろうか? もう少し、採用難易度の低い企業を受けた方がいいのでないか? と軸ブレを起こし、迷い悩む日々。そんな時も冷静に杉本さんは、「転職活動はどうしても波があるので今は待ちましょう。」 となだめて下さった。焦りが極限に達していた自分にとっては、その言葉が唯一の気休めとなり気持ちのバランスをぎりぎり保つことができていた。
又、書類が落ち続ける中で自分の振り返りを開始した。そもそもなぜ転職したいのか? なぜメーカーなのか? を今一度、見つめ直すことにした。
そもそも、なぜ今の会社に満足できないのか? 転職して何を成し遂げたいのか? 今までの経験を活かしていきたいのか? それとも大幅に職種を転換したいのか? それらをじっくりと考え直した時、今までの努力は無駄にしたくないが、現職では企業組織の一員としてロイヤリティー高く働くことを体感出来ないことが転職の動機の根っこにあり、転職先では確りと企業を背負って働きたい、という “潜在意識” があることに気づいた。又、それが実現できて現在までの経験を活かせるのが、メーカーではないかと自分なりに漸く答えを導き出すことができた。そうしたら、ここで転職を決め切るという覚悟の様なものが芽生え、落ちることへの恐れがなくなった。
そして、エントリーの基準を見直し、杉本さんと相談して、募集要項を満しているか否かに関係なく、とにかく応募することにした。 (こんな無茶なことは他のエージェントでは出来ません。エージェント会社の社内でふるいにかけられて求人を出している企業側に応募書類が届かないことも多々あるようです。) そして、ここで杉本さんの言葉でいう “波” が来て、大手メーカー3社から断続的に1次面接の案内を頂いた。3社共に順調に面接・筆記試験を突破し、各社とも最終若しくは最終1歩手前まで選考に進んだ。
しかし、それぞれ業界や社風等、特徴の異なる会社で志望順位を決め切れないでいると、杉本さんから 「3社全てから内定を得て、比較検討しましょう。」 との提案と共に、1ヶ月近く先までの面接スケジュール案の提示を受けた。私はその提示に合わせて面接を進め、結果的に3社から内定を得たのだが、見事な程に3社から同じタイミングで条件提示を受けた。 (これは1ヶ月先までの時間軸を逆算して的中させる、杉本さんの離れ業の賜物である。) 結果的に3社を比較検討して、一番強くここで働きたいと思える1社でお世話になることにした。杉本さんと出会い約4年、ここに私の転職活動は120%の成功を以て完結した。
仮に杉本さんに出会っていなかったなら、転職は成功していなかっただろう。もしかすると、未だに自分がどうしたいかさえも分からないままだったかもしれない。杉本さんと出会えた自分は幸運だったのだとも思う。ここまで長きに亘り最後まで責任を持ってくれるエージェントは、他にいないだろうから。また百戦錬磨のキャリアコンサルタントとの長期戦の果てに得たものは、転職という目に見える成果だけではない。一緒に経験した生みの苦しみがこれからの自分の社会人人生の糧になるとも思う。
経験上、転職は思い立ってから行動に移すまでが早ければ早い程良いです。年齢が少し違うだけで、人材としての市場価値は棄損します。だからまずは早くエージェントと面談して、客観的な自分の立ち位置を教えてもらい、転職すべきか否かの判断をすることをお勧めします。また転職することを選択し、優秀なエージェントがパートナーとなっても、良い結果を出せるか否かは自分次第であることには変わりません。ただエリートネットワークさんを信じて全力を尽くせば、これから転職を目指す皆さんも一つ上のステージに行けるのではないかと確信しています。