出版社の管理部門一筋20年、独立を断念し出版・エンタメ業界に転職

出版社の管理部門一筋20年、独立を断念し出版・エンタメ業界に転職

No.1298
  • 現職

    出版・小売・不動産開発・データマーケティングなどの事業を展開する総合生活・エンターテインメント企画企業の中核子会社 管理本部 内部統制

  • 前職

    老舗 有名出版社 管理本部 経営管理・経営企画

近藤 一臣 氏 44歳 / 男性

学歴:神奈川県立 相模大野高校 卒
中央大学 理工学部 土木学科 中退
青山学院大学 文学部Ⅱ部 教育学科 卒

これまで転職活動は4度ほど経験しているのですが、それぞれの状況やテーマ(悩み)があり、回数を重ねれば慣れるわけではないことを、今回あらためて痛感しました。そして今回は特に、これまでの状況とさらに異なる特別な活動となりました。
ひとつはコロナ。もうひとつはそもそも今回は「転職」でなく「独立」を目指していたという点です。

結果的には、転職することに決めたのですが、そこに至るまでの経緯、考えたことなどを綴ってみたいと思います。いわゆる転職活動の観点からすると個別の事例で、直接的には参考にならないかもしれませんが、自身の振り返りや悩んだりの試行錯誤のプロセス自体は皆に共通することと信じて、できるだけ考えたことなどをそのまま率直に述べたいと思います。

最初から結論めいたことをいってしまうと、エリートネットワークの転職カウンセラーの杉本さんとの出会いが、私の最終的な判断への影響も大きく、詳細は後程記しますが、「就活はご縁」ということを、改めて感じた活動でもありました。また冒頭で就活にはテーマがある、と申し上げましたが、テーマが最初から明確にあってそれに向かって活動をするというよりも、自分でも気づかないテーマを活動しながら探していく、そしてそれが自分の中で見つかったときに、希望する企業とのマッチングもなされるのではないかと、今回の活動を通して、少なくとも私にはそう感じました。

さて、これまでの自分のキャリアを振り返ってみると、複数の会社にてその場その場でさまざまな経験をしてきましたが、俯瞰してみると、出版関連事業における経営管理業務に約20年間、一貫して携わってきたといえます。特に出版業は編集職、書店/取次営業、校閲、制作、デザインなどの出版業特有の職種が多いのですが、長らく出版業界にいながらそれらの職種に一度も就くこともなく、20年も過ごしてきたという事実に自分ながら驚きもあります。長らく出版業界にいながら、果たして自分は出版人といえるのかどうか。なぜこのようなキャリアを歩んできたのか。どこからどう繋がっているのか。こうした問い自体が、今回の活動のテーマともいえました。

まずはキャリアの出発点、就職活動をした大学時代まで遡ります。
学生時代は、就職を意識した活動は全くといっていいほど行っていなかったのですが、自分なりに以下の点には力を入れて行っていました。
①読書 ②演劇活動 ③選考学科の教育学(幼児教育、心理学など含む)
いろいろと悩むところ、考えるところはあったのですが、職業的な選択肢としては①と③に絞り、さらには①と③の双方を含む事業としての「出版業」を営む企業、すなわち出版社に絞り込んで就職活動を進めました。超氷河期といわれる時代だったのですが、とある中小出版社より幸いにも内定をいただくことができ、そこへ就職を決めました。

希望通り出版社へ入社することはできたのですが、しかしながら配属は希望通りではありませんでした。出版社にいきたい=編集者になりたい、という(出版社を志望するごく自然な)希望を持っていたのですが、最初の部署は編集管理という編集部内のスタッフ系業務でした。ただ編集とも接点はあり、いずれ編集に、と考えていたのですが、2年後に異動の内示がでたのは、編集とはさらに離れた経理でした。クソ、もう辞めてやる!という思いもあったのですが、自分の中で「石の上にも3年」という自制も働き、1年はなんとか耐えつつも、1年後に向けて動いていこうと決め、いったんは経理業務と向き合うことにしました。

大学の専攻は教育学科だったのですが、当初は理工学部だったので(途中で転学した)、数字に対する免疫はあったのですが、いかんせん経営・経済ましてや簿記に関してはそれまでの自分の人生において全くの範疇外だったゆえ、ゼロからの学びで苦労しましたが、幸い先輩に恵まれて、教えていただきながらなんとか実務をこなせるようになっていきました。そして異動して9ヶ月ほど過ぎた頃、経理の仕事にも慣れつつあったのですが、一方で編集への想いも捨てきれず、また社内での編集への異動も叶いそうになかったので、そろそろいよいよ転職活動を、と考えていたときに、とあるプロジェクトへの参画を求められました。

極秘とのことで、なんだと思って上司から話を聞くと「経営が悪化してかなりの危機的状態。自立再建はもはや諦めるしかない状況で主要事業(私が担当していた雑誌部門)を他社に譲渡する方向性で進めることになった。そのプロジェクトメンバーとして対応してほしい」とのこと。青天の霹靂、とはまさにこういうときに使うと知りました。譲受候補先はITベンチャー。びっくり驚きはあったのですが、一方で、これはいったいどうなるんだ、という密かなワクワク感もあり、転職活動はいったん脇に置き、まずはこのプロジェクトに専念することにしました。

とはいうものの、事業譲渡、いわゆるM&Aについて知識も経験もない中での対応で、それはそれは大変でした。都度調べながら、急ぎで大量の事務対応に追われながら、連日終電まで作業が続きました。
私がコミットしてから、約5か月後、無事に契約が締結され、それまで私が経理として扱っていたお金とは桁が違う譲渡金の入金があり、経営危機も無事に回避されました。それまでの緊張感が解けたのか、その直後に原因不明の腹痛に襲われ、数日間入院することになりました(過労だったのだと思います)。

さて、会社も体調もとりあえずはいったん落ち着き、今後のキャリアについて改めて考えることになりました。選択肢は3つありました。
①譲渡先に編集管理として移籍する ②そのまま経理として残る ③転職する
結論から述べると、③転職する、を選びました。ただし、編集ではなく、経理(経営管理)業務を第一志望として。

先に述べた通り、編集への強い希望は、ITベンチャーへの事業譲渡という一連の業務を経験して興味・関心が完全に変わりました。このときの事象が象徴的でしたが、当時から業界内で出版不況は囁かれており、また「紙」から「IT・デジタル」へ、変革/刷新ということもいわれていました。そんな状況下で「編集という一業務だけでなく、もっと広い視野で会社全体がみられる経営管理を極めていきたい」、「今後も続くであろう、業界全体の変革の動きに対応できるようになりたい」と、強く思いました。
なんとなく本が好き、から選んだ出版社でしたが、自分のミッションが決まった瞬間でした。そういう意味で、自分のキャリアにとって得難い経験でした。

転職活動の結果、IT関連書籍を出版するIPOを目指すベンチャー企業での経理財務及び経営管理担当として内定をいただくことができ、自分の志向する絶好のポジションに運良く就くことができました。ただ一方で、運の悪い(?)ことに、財務状況が相当に厳しい状態で、いつ倒産してもおかしくない状況でした(入社してから知りました)。
ただ前職の経験もあったので「出版社なんてそういうものだ、いざとなれば事業譲渡すればいい」と、割と楽観的でもありました。仕事自体は、やってみたい、学びたいと思っていたことのド真ん中だったので、大変なことも多かったのですが(資金繰りが特に)、経験から得られる学び、かつ、喜びのほうが勝り、そういう気持ちで前向きに仕事も覚えつつこなしていました。

ただ、徐々に経営状況の悪化が進み、いよいよ自力再生も厳しくなり、私にとっては再度のM&A(譲渡)に関わることになりました。結論、進んでいたM&Aは最終段階のところで不成立に終わり、結果、会社は倒産しました。私が入社してから2年3ヵ月後のことでした。倒産の残務整理含めて最後まで逃げずに「自分のできることはやりきった感」もあり、いろいろと思うこともあったのですが、次に向けてまた前向きに動いていこうと思いました。

経験が次の経験を呼ぶ。2社目でもそのような経験をしましたが、それぞれの詳細は省略しますが、その後もこれらのことに勝るとも劣らない経験を、出版及び教育関連会社にて重ねていくことになりました。M&A、危機対応、会社分割による新会社の立ち上げなど、経営管理担当として度々経験してきました。普通であれば、一生に一度経験するかしないか、と思われるようなことをそれぞれの職場で経験してきました。なにをもって普通というか、難しいことではありますが、普通と特殊、全体と個別ということを、これらの経験を通じて考えることも、一般的なビジネスマンよりは多かったのではと思います。

そして今に至ります。
直近の会社(老舗中小出版社)には3年前に入社し、経営管理担当として業務に携わってきました。そして特に自分では普通と思って行っていることが、所属している方々より「変革」「コンサル」などといわれ、そういうことを意識的に行っているつもりは全くなかったので(そんなことを行った経験もなく)、自分の中でこれまでとは異なる驚きや発見もあり、そして改めて自分を客観視し、自身の経験・スキルなどの自覚を強めるきっかけにもなりました。

そこにコロナという未曽有の状況も重なりました。

一人で過ごす時間が否応なしに増え、それに伴い一人で考える時間も増えたこともあり、現在の仕事のことやコロナという状況、社会などについて考えることが増えていきました。他にも、日本におけるメディア、組織と個人、仕事と家族、そして自分について。特に自分については、これまでのキャリア人生だけにとどまらず、学生の頃、子供の頃まで遡って。

この一年間は上記のようなことを考えるために、コロナ巣ごもりの環境も重なってか、よく本を読みました。主にこれまで読んだ本の再読、積読状態にあった関連書が多かったのですが、いろいろと本を読んでいるうちに、本の内容というよりもいろいろな本があるということ、そして改めて出版の意義ということを考えました。

思えば、高校2年の頃、インフルエンザにかかって学校を休んでいたとき、熱は下がったもののまだ学校に行けず、しかも昼間に寝すぎて眠れない夜に「読んだら眠くなりそうな本を読めば」と、たまたま手に取って読んだシェイクスピアの『マクベス』に、雷のごとく電気が走り、嵐が吹き抜けるような衝撃を受けて以来、いわゆる文学を読むようになったのですが(それまでは自ら本を読むということもなかった)、内容の衝撃とともに、場所も時代も登場人物も自分とはかけ離れているにも関わらず、今、日本人であり普通に日常を過ごしている高校生である自分が「なぜゆえにこんなにも衝撃を受けた」という事実に感動したことを思い出しました。
それ以降、さらに時代を遡り古代ギリシアのもの(ホメロス、プラトン、ギリシア悲劇など)を特に好んで読むようになりました。内容がわかる・わからないは関係なく「二千数百年前に盲目の詩人によって口承されていた文字を、今、読んでいる」ということだけでドキドキしていました。

大学に入ってから、フロイト、マクルーハンといった人文系のものも読むようになりますが、高校時代に読んだ古代ギリシアものの延長線にあったと思っています(当時は意識していませんでしたが)。その後、社会人になってビジネス書を読むようになったきっかけとしてドラッカーがいますが、ドラッカーの『傍観者の時代』という半自伝書に、フロイト、マクルーハンとの象徴的な出会いが書かれており、それによって親近感を持ち、他のドラッカーの本も読むようにもなりました。
ここに記したような本を、このコロナ禍において再読したわけですが、その原点は、学生時代にあったのだなあ、ということを今更ながら感じました。

コロナで、過去ヨーロッパ中世に発生したペストの時代にもフォーカスされましたが、例えばシェイクスピアとともに、ルネサンス時代の傑作といわれるボッカチオ『デカメロン』は、ペスト期に過ごす人間を描いたヨーロッパ初の小説といわれています。
ルネサンスは、ペストやそれにともなう経済危機があり、そこから主体的に乗り越えるべく、古代ギリシア・ローマ文化の回帰、復興の運動を通じて、それまでの神から人間中心の時代へ、すなわち「人間の自我の目覚めの時代」だったといえます。

特にコロナという希有な状況だったがゆえに、そういったことなどにも想いを馳せて、時代や場所を超えて、今起きていることと歴史にアナロジーを感じたりしていました。また個人のレベルにおいても過去を振り返り、あのときの一冊の本から受けた衝撃、私を貫通した電気を思い出し「あれは自我の目覚め、私にとってのルネサンスだったといえるのではないか」と、そんなことも思いました。

転職活動からだいぶ話が逸れましたが、私にとってはこのようなことを考えたことが、今回の活動の出発点、もっというと「自立的に生きていくことへの目覚め・意志」だったといえます。

冒頭で申し上げましたが、今回は転職でなく独立(経営管理業務専門のフリーランス)を目指していた、ということは上記のような考えからでした。
ただ、強い想いが湧き上がりはしましたが、独立するための経験や資格、例えばコンサルティング業務、MBA、中小企業診断士などの経験や資格は皆無でした。一方で、強い想いとこれまでの出版関連企業での経営管理業務、という一貫したキャリアは20年ほどになり、直近の職務経験を通じて「この道では」という自負を持てるようにもなっていました。特に出版業界では、編集やプロモーションなどの経験者は多いのですが、いわゆる経営管理経験者は少なく、また業界が変換期にある中で、経営管理自体へのニーズも高まっていくだろうという予測もありました。

独立の目的も、会社を大きくしてIPOを目指すということではなく「自分の裁量で自分の強みを活かしつつ社会に貢献でき、それで家族を養って生活することが実現できれば最高!」という考えでした。もともと楽観的な性分ですが、幸福論で有名なアランに「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」という言葉があることを知って、楽観的であることは意志を持っている証しだと楽観的に考えて、とりあえず動いてみることにしました。(妻にはもちろん、上記のような希望があり、できそうかどうかの検討を含めてとりあえず動いてみる、という了承を得た上でのことです)

独立している人や有資格者が書いた本や記事を読んだり、直接会いに行って話を聞いたり、またそういった人たちが集まっている勉強会に参加したりしながら、独立に必要なこと、自分のスキル・意志などを検討していきました。独立については、結論だけいうと「とりあえず独立することが一番の経験」となり、なにはともあれやってみながら考えればいいのでは、と自分の中では結論付けました。ただし、家族もいるので生活のことを考えて、「現状の年収以上、2社以上の契約」を最低条件としました。

検討していく中で、ある程度のやっていける自信は持てた一方で、まだ確信し切れないこともありました。
ドラッカーに「自分の強みを知る」という文章がありますが、その中で、次のような二つの資質の選択肢が問われます。
「人と組むか、ひとりでやるか」「前者の場合、どのような役割として組むのがいいか」「トップか、ナンバー・ツーか」「緊張感や不安がある環境か、安定した環境のほうが仕事ができるか」
そして、こう続きます。
「これらのことから出てくる結論は一つである。今さら自分を変えようとしてはならない。うまくいくわけがない。それよりも、自らの得意とする仕事の仕方を向上させていくべきである。不得意な仕事を行おうとしてはならない。」

最後の問いについては、明確に、安定=退屈ということで、安定的な組織、仕事は志向していないといい切れるのですが、その他の項目については、必ずしも独立と一致しないこともありました。ひとりよりチームで、トップとしてでなくナンバー・ツーとして、ということをこれまでのキャリアの中では大事にしてきました。

仮に独立だからといって、必ずしも「ひとり・トップ」とはいい切れず、特に私の目指していたのは「フリーのナンバー・ツー」であり、フリーであってもチームとして動くことも可能です。
ただ、自分の中でひっかかりもありました。
そのひっかかりとは、自分が目指しているのは、必ずしも「自分の独立」でなく、「独立性をテーマにした組織」でも良いのではないか?ということです。ただそんなことをテーマにしている組織があるかどうかも、その時点ではわかりませんでしたが・・・・・。

そんなことを思いながらも、とりあえずは「現状の年収以上、2社以上の契約」を目指して、具体的に動くことにしました。
この時点におけるキーワードは、「出版関連メディア」「経営管理」(表向き)、「独立性」(裏(自分の中の))です。その切り口として「M&A」をもうひとつのキーワードとして、具体的に企業に当たっていくことにしました。
出版業界では変革期にあることもあり、他業種からのM&Aが増えていました。そういった中で、M&Aをされた経験(譲渡)も、した経験(譲受)もあり、そこに「経営管理」のニーズもあるのではと考えたからです。実際に、「出版」「経理(経営管理)」で検索すると、それに関連する求人案件も複数ありました。とっかかりとしてそこから当たっていくことにしました。並行して、現職と社員から業務委託にできないかという相談、交渉も始めることにしました。

検討を始めてから、約1年後のことです。
とある出版社に連絡したところ、経営管理担当者としての採用面談として会ってくれることになりました。その会社の社長が、1回目の面談から出てくださり、また私の経験や考え方(今回は独立(業務委託)も視野に入れている)も理解してくださり、その後も面談を重ねていきました。面談の途中段階では、雇用形態はまだ未定の状態でしたが、私としても、その企業で仕事もしてみたいと感じており、さらに面談を重ねて、お互いの考え、ニーズ、マッチングなどについて詰めていきました。

私の考えを理解した上で話を進めていただいていること自体に有難いと感じ、その会社、社長に応えたいと、面談を重ねるごとに強い想いを抱く状態にありました。自分のやりたいことにも一致していました。また、その出版社の出版物が一社目の会社に似ていて(競合もおり)、さらにはその会社の所在地が、私が通っていた大学の近くにあり、面談に何度も行きながら、当時のことを思い出しました。

大学の授業にはほとんど出ていなかったのですが、そのかわりに図書館にこもって一人でひたすら本を読んでいたこと、古い雑誌をひたすらコピーしていたこと、最初の出版社で「経営管理」をキャリアとして目指すようになったこと。
今新たな道を探し求めているけれど、自分の原点に戻ることこそが、新しい道へ通じるのではないか、そんなことを思いました。
そういったところから、もうひとつのキーワードが加わりました。

「原点回帰」。

先に、コロナとルネサンスのことに触れましたが、ルネサンスは新しい文化や時代へ移っていく運動でしたが、そもそもはギリシア・ローマ文化への回帰・文化の原点回帰ということが直接的な意味です。当時、高校生だった自分とのアナロジーを感じたことは先にも述べた通りです。それと似たようなものを、改めて感じたのです。

ただ自分の中での想いは強くなる一方で、独立の条件、「2社以上の契約」がまだその時点では見えていませんでした。当初の想定では、現職にて業務委託に雇用転換するということが前提だったのですが、こちらの話がなかなか進みませんでした。
このあたりでいったん、自分にとっての優先順位を整理しました。
当初、「独立」を目指し始まった活動であったが、途中から出てきたキーワード「原点回帰」が自分の中で大きくなってきている。また、ドラッカーの「自分の強みを知る」のくだりで述べた通り、自分の目指していることは、必ずしも自分の独立でなく、「独立性」ということをテーマにした組織でもよいのではないか?ということへの結論はまだ出ていない。

上記をふまえてその時点における選択肢は以下の通り。

①現職及び面談進捗中の出版社との業務委託 ←双方がOKの場合
②面談進捗中の出版社への社員として雇用
③その他 →「原点回帰」「独立性」がテーマとなる出版・メディア企業への社員としての雇用

そもそも、③のようなことを満たす企業があるかどうか・・・・・。①も②も選択肢にしているが、その時点ではまだ未定の状況・・・・・。
と考えてばかりいても仕方がないので、①②は並行して進めるとして、③の可能性を確認すべく動くことにしました。この時点では、③がないことを確認して、①②に専念する・方向性を固めるという気持ちのほうが強かったといえます。

ここまで長くくどくどしい文章を読んでいただいた方、ありがとうございます。
様々な試行錯誤はありましたが、考え行動し始めてから約1年後、このあたりで自分の方向性が見えてきました。非常に個人的なことばかりかと思われ、直接的には参考になることは少ないかもしれませんが、いろいろと悩みながら活動しているということが少しでも伝われば何よりです。
もう少しで終わりますので、もうしばしお付き合いください。

というわけで、どちらかというと、そのときの自分のテーマ・方針を固めようという理由で、人材紹介会社に登録することにしました。そこで何らかの話が聞ければいいなと(探してみましたが、ご希望の条件の会社はなかなかないですね、くらいな)。
特にどこに、ということも決めず、「経理」「出版社」「人材紹介」という検索ワードで、それらしき求人案件がでてきた人材紹介会社にとりあえず登録。そこが『エリートネットワーク』というあまり聞き慣れない会社でした(失礼!)。

今回の活動では、これまで述べた理由で人材紹介会社は使っていなかったのですが、以前の転職では何社か利用経験はありました。ただ、正直なところ、検索して応募方法が人材紹介会社経由だという理由(仕方なく)以外で、その他に良かったと思ったこと(適切なアドバイス、自分の希望を超えるような紹介・提案など)がなく、特に今回は自身の志望条件の狭さもあり、あまり期待はしていなかったのが本音です。そういうネガティブな気持ちもあったからか「人材紹介会社は、なぜカタカナの会社が多いのだろう」と、くだらないことをぶつぶつ考えながら、登録したことを思い出します。

登録して「なんか今までと違う会社だな」と思った点がいくつかありました。
まずレスが早かったこと。登録後にやりとりがあり3日後にはエリートネットワークさんとの面談が決まりました。
そしてもうひとつ。面談が今までのような形式的なものでなく、ざっくばらんに話ができたこと。担当の転職カウンセラーの杉本さんとは電話での面談でしたが(結局一度もお会いできませんでしたが、いつかぜひ!)、最初から親しい友人と話をしているような感じでした。

面談の際に必要なキャリア説明、志望動機、希望していること、などを話してお互い確認しましたが、ふと杉本さんからこんな話がありました。
「履歴書をみましたが、〇〇高校ですね。実は私も〇〇高校の卒業生なのです」

「なんですと!後輩?先輩?」「〇期生です」「先輩じゃないですか。ざっくばらんなタメ口で失礼しました」と、まあなかなかない高校の同窓生との出会いがあったというわけです。
あの先生は知っているか、だの、同窓会はやっているか、だのの話で盛り上がりました。

そしてまたふと、今度は私の方からお住まいはどのあたりだったかと伺うと、「〇〇駅と〇〇駅の間あたり」とのこと。
そこは私が通っていた〇〇小学校の剣道会の近くではないか。
その旨を伝えると、「それもしかして、〇〇剣道会?僕も通っていたけど」「なんですと!!高校だけでなく剣道も先輩じゃないですか!!」「〇〇駅の近くの〇〇餃子って知っている?」「〇〇餃子、よく行きましたよ。そもそも最初に連れて行った人が〇〇剣道会の〇〇先生ですよ!」

面談は1時間くらいありましたが、半分以上は過去・地元ネタの話でした。
先に「友人のような」と申し上げましたが、遠からずの関係だったというわけです。

今日は身近な再会があり、いろいろと話もできて満足し、とりあえず申し込んだ求人案件に応募してもらえれば、という感じでしたが、面談も終わろうかという雰囲気が漂っていたときに、杉本さんより唐突に求人案件の紹介があり、このようにいわれました。
「応募されたところよりも、こっちのほうがいいと思います。」

ある程度業界を絞っており、自分がこれまで当たっているところ以上の企業があるのだろうか。その企業は知っていたのですが、自分の中では想定外の企業でした。しかしながら聞いた数秒後には、杉本さんのいう通り、こっちのほうがいいと思いました。
説明するのが難しいのですが、今の自分にとってベストマッチングな企業ではないかと強く思いました。

少し話を先に進めると、私はその企業に応募し、1か月後には内定をいただき、そこに入社を決めました。
エリートネットワークさんに応募するまでの1年間は何だったのか、と思うほど、その後の活動はスムーズに進みました。独立への迷いや進行中の出版社の採用との比較などはありましたが、話は直線的に進み、決まりました。

企業へ就職したことで「自身の独立に対して日和ってしまったか」と、思わないこともなかったのですが、その企業自体が「独立」をテーマにしており、また自分にとっての「原点回帰」にあてはまる事業を推進している企業グループでした。
「出版」に強い想いがあった分、一方で視野も狭くなっていたかもしれません。それを、客観的な目で広げてくれたのが杉本さんであり、内定を決めた企業であったといえます。

その仲介をしてくれたのが、高校かつ小学校時代の先輩であったことも決め手になりました。就職ということで、大学時代、そして高校時代まで遡っての振り返りを行っていましたが、就職だけでなく、自分の人生を含めてさらに深い「原点回帰」のきっかけになりました。

ちなみに余談ですが、杉本さんと話していた餃子屋さんの餃子が無性に食べたくなり、数日後にテイクアウトで買いに行きました。変わらぬ味の美味しさ、食感。体の記憶が活発になっていることが伝わりました。

自分の活動でありながら、自分を超えた出会い、まさに「縁」とはこういうことだと思いました。

冒頭でも述べたとおり、できるだけ自分の考えたことなどをそのまま率直に述べようとしたところ、とりとめのないくどい長い文章になってしまいました。エリートネットワークの杉本さんにはボツにしてもらう相談もしたのですが、「長くてもいい」とのこと。また、この内容での掲載も勧められたので、そのまま載せることにしました。

転職活動は、自分の意志もしくはよほどの事情がなければ発生しない面倒なイベントです。それゆえに自分と向き合う、自分を再発見する良い機会ともいえると思います。そしてそのうえで、新たな出会いもみつかるのでは、と今回の活動で改めて思いました。この面倒な試行錯誤のプロセスを、少しでも感じていただけたのであれば幸いです。

この私の個人的なプロセスにお付き合いいただいた皆様に感謝申し上げます。

この転職者を担当したカウンセラーに
転職相談したい

この記事をご覧になったあなたに

関連する転職体験記

転職体験記を絞り込み検索 全ての記事一覧は
こちら