元・国家公務員2児のママさん、キャリアダウンから1年で復活。晴れて財閥系海運会社へ

元・国家公務員2児のママさん、キャリアダウンから1年で復活。晴れて財閥系海運会社へ

No.1390
  • 現職

    プライム上場 財閥系 大手海運会社 総合職

  • 前職

    前々職:霞が関勤務 国家公務員 総合職 課長補佐
    前職:非上場 空調・給排水設備専業のサブコン 法務課 主任

船橋 景子 氏 34歳 / 女性

学歴:大阪教育大学附属高校 卒
東京大学 法学部 卒
行政書士(未登録)
TOEIC 940点
中国語検定3級

国家公務員を退職

霞が関で働く国家公務員は、憧れの職業だった。

今でこそ、ヤングケアラーという言葉がメディアでも取り上げられ認知されてきたが、病気の親の世話と家事に追われた小学校生活は、暗く長い日々だった。
私の人生を変えてくれたのが、平成12年に始まった介護保険制度。中学生になる年だった。寝たきりの親の要介護認定により、介護のプロによる支援を得られるようになり、解放された私は部活や勉強に集中、そして地元を離れ上京し、大学進学。
自分だけの人生をスタートすることができた。
国の制度設計が国民の生活や生き方を大きく変えることができることを実感し、感謝の思いとともに、長期的に日本の未来を見据えた制度設計を担える国家公務員に憧れ、自分もその一員になることを目指すようになった。中でも、政策ツールに専門性を持ちつつ、好きな英語を活かし国際的なフィールドで活動できる省庁に就職を決めた。

当時の選択は、間違っていなかった。産業界から要請を受けての貿易協定の締結など、政策立案や国際ルールメイキングから、現場での着実な法執行に至るまで、思い描いていたようなダイナミックで責任の大きいプロジェクトをいくつも 手掛けることができた。
また、途上国協力の機会も数多くあり、アジア、中南米、アフリカ等多くの国の政府職員と信頼関係を築いた。国内留学、研究所への出向を含め11年間、国家公務員としてのキャリアを積めたことには感謝しており、悔いはない。

しかしながら、国家公務員として走り続けることは、家庭との両立において困難を極めていた。平日は連日深夜まで様々な案件の対応に追われ、土日も業務のことで頭がいっぱい。子供が2人いるが最低限の世話をするのがやっとで、心のケアなどじっくりと向き合う余裕がなかったところ、小学生になった子供はそれまで以上に親を必要とするようになっていた。
家庭との両立を考えれば、省庁での働き方はサステナブルではないと悟り、悩んだ末に新たな生き方を模索しようと退職を決意。そうした状況も含めて理解し、自分のペースで働いていいと言って受け入れてくれたのが、それまでとは異世界の小規模な建設会社だった。

1回目の転職でアイデンティティ・クライシス

温かい会社だった。経営陣も皆温厚で、古き良き日本的な伝統を守っていた。家庭に対して十分過ぎるほど配慮していただき、残業は一切していない。
総務法務を担当し、初の民間企業での色々な発見もあり、最初の数か月は面白味に湧いていた。
しかし、である。建設業界は複雑な階層構造になっているが、下請という立場になって初めて、少しずつ、窮屈さ、違和感、やりがい欠乏の状態に陥っていった。現実として、会社の置かれている立場が、主体的に議論する余地や裁量がほとんどないことに気づく。周囲の社員も、そういうものとして現実を受け入れているように見える。転職時に納得したはずの給与水準の低下も、徐々に、自分の価値が値下がりしたように感じるようになり、閉塞感に拍車をかけた。

キャリアダウン。その言葉が、自分に重くのしかかる。
このまま、私は定年までこの会社にいるのだろうか? それでいいのだろうか?
私は元来、負けず嫌いで上昇志向の強い人間だ。死に物狂いでクリアしてきた大学受験、国家Ⅰ種、待機児童を遠くの無認可園に送迎しながら必死で続けてきたキャリア。代わる代わる熱を出す子供たちに病児保育サービスをフル活用しながら出勤した日々。
それらは一体、何だったのだろうか? ガラガラと崩れていくアイデンティティを、一人必死で拾い集めるような思いで、転職から10か月が経過する頃に(株)エリートネットワーク様へ相談を持ち掛けたのだった。

高橋様との出会い

エリートネットワークの転職カウンセラーの高橋様と初めてオンライン面談した夜は、痛いところを抉られるような、それでいて「よくぞおっしゃって下さいました!」と、一気に視界が開けるような、不思議な感覚にとらわれた。
「仕事のレベルを下げ過ぎ」「ミスマッチ」と、ズバズバと本音の指摘をいただき、「あなたなら必ず、一流企業に行ける」と言って鼓舞して下さった。過去の女性転職者の成功例を挙げながら具体的なイメージと自信を植え付けて下さり、「私にもまだ、やりがいもワークライフバランスも両方犠牲にせずに、這い上がれるチャンスがあるかもしれない」という希望が湧いた。

また、一度転職してから短いというマイナスポイントについても、それを気にして来年まで待ったところで短いことに変わりはなく、選考でのハンディが緩和されるわけではない、と助言いただき、行動を先延ばしにする理由もなくなった。
行動しないことにはチャンスは巡ってこない。迷う余地はない、チャレンジするのみだ。

運命の会社

グローバル展開していて、かつ定年まで腰を据えて働ける日系大手企業を理想としてイメージしていたところに、後日、高橋様から複数の魅力的な求人案件をご紹介いただいた。その中に、「これだ」と運命を感じるものがあった。日本のみならず世界中で信頼の厚い財閥系の海運会社だ。
歴史上、古くは遣隋使、遣唐使の時代から、日本の文明はいつも海が運んできた。現代日本の暮らしやビジネスを支える資源や生活必需品は貿易に支えられ、その多くが海上輸送されている。その公共性と国際性は、前職の国家公務員の経験を必ずや活かせると確信した。すぐに高橋様に応募の意思を伝え、早速企業研究にとりかかった。

書籍を注文し、財閥の創業からグループ発展の歴史を辿った。有価証券報告書や決算報告、中期経営計画から直近の動向をキャッチし、広報動画のコンテンツは全て視聴した。通勤の合間には社歌を聴き、週末は同企業が運営する博物館を訪問し、ネット上で収集し切れない実物の産業遺産に触れた。知れば知るほど、その歴史、社風、業界をリードする最新の取組み、経営理念に共感し、この企業に行きたいという思いは一層強くなった。自分の過去を整理し、現在に向き合い、採用されたらどういうことがしたいのか、どう貢献できるのか、自分ととことん向き合い、明らかにしていった。

選考過程

まずは書類選考に通らなければ、スタートラインにも立てない。事実を羅列しただけの私の職務経歴書を見ながら、高橋様はZOOMの画面越しにひとつひとつの経験を深堀りして下さった。
「諸外国の制度調査を担当していたのなら、その業務を通じ特にどういうことを学んだんですか?」
「そうですね、例えば、外国政府の情報公開は英語よりも現地語のウェブサイトのほうが、詳細かつ最新の情報を得ることができます。こうした深度ある調査の手法を体得しました。」
「だったら、それも職務経歴書に盛り込みましょう。単なる事実の箇条書きでは、せっかくの実務経験の価値が伝わらずもったいない。」
高橋様の問いに自然と思い出したことを答えているうちに、自身が総合職として積み重ねてきた多種多様な業務とそこでの成功と失敗、反省と成長が浮かび上がってきた。書き切れないほどのエピソードを盛り込んだ職務経歴書を提出し、書類選考を突破。

筆記試験ののち、一次面接では、自分の人となりや過去実績はアピールできたものの、海運でこれをやりたいという観点において少々インパクトに欠ける、とのフィードバックをいただき、数日後に迫った二次面接を前に焦っていた。
企業の取組みは多くの情報を広く集めていたが、ジョブローテーションのある「総合職」ということもあり、法人営業、船舶手配、運航管理、管理部門などどれでも喜んでやりたい、こだわりはないというスタンスで臨んでいたのだ。これが、やや押しが弱いように映ったようだ。
高橋様はすぐに先方人事担当者へフォローを入れて下さり、併せて、二次面接前の対策ミーティングの時間を設けて下さった。このミーティングまでに二次面接用に回答をブラッシュアップし、高橋様を面接官に見立てて新たな回答案を聴いていただいた。
自分の率直な思いを具体性を持って伝えることを第一としつつ、一次面接との整合性などアドバイスをいただき、これでいこう、という自信を持った回答を用意することができた。

一次面接、二次面接、最終面接それぞれ前日の夜には、作成した想定問答を声に出して、身振り手振りを含めて繰り返し練習した。選考が進むにつれて少しずつ新たな問を追加し、最終面接前には18ページの渾身の知恵袋が出来上がっていた。
ちなみに、一番多く練習したのは、実は初めの自己紹介。ここで一方的なプレゼンではなく、受け手を意識した対話に持って行けるかがその後の勝敗を決める!と信じて、飽きるほど自宅の窓ガラスに向かって自己紹介した。「奇妙な練習をしているお母さん」を理解しようと努め、応援してくれた夫と子供たちにも感謝したい。

内定、そしてこれから

合格の一報を受けた瞬間は、喜びとともに信じられない、本当に?という思いで胸がいっぱいだった。国家公務員から、わずか1年前に異業種の建設会社に転職していることからも、選考は不利だと覚悟していたし、まさか大本命の企業にこの年(30代半ば)で内定できるとは夢のようだ。人生、やってみるもんだな。

新卒から社会人として育ててくれた省庁、事情を理解し全面的に受け入れてくれた建設会社、そして新たな挑戦に導いて下さったエリートネットワーク様。
今ここに繋がる全ての方々に感謝し、これから始まる新たな舞台で、新しい仲間との信頼を一つ一つ築き、会社に、そして世界に誇る日本の海運業の発展に、初心を忘れず謙虚な気持ちで貢献していきたい。

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