東証プライム上場 老舗海運会社 新規事業推進部 工務担当監督
造船会社 品質管理部 機関グループ 機関装備機器の検査担当
大手エネルギー関連企業グループの海運会社 工務部 原油及び液化石油ガス運搬船の保船担当
内堀 勝也 氏 38歳 / 男性
学歴:県立工業高校 電気科 卒
東京工芸大学 工学部 画像工学科 卒
TOEIC 715点
2級ボイラー技士
高所作業車運転者技能免許
自身は、今回で2回目の転職となりました。
県立工業高校の電気科を経て、学生時代から興味があった画像工学を勉強するために、当時は専門の学科が設けられていた大学に入学しました。
卒業研究の際は夜通しで没頭し、卒業後ではありますが秋の日本印刷学会にて発表できるまでの研究をなんとか終えることができました。
しかしながら、高校から大学までの勉学を終えるまで1年となる中、修士課程へ進むか、就職をするか日々悩んでいました。
そんな中、今後のグローバル社会を考えた際に、自信を持って英語でコミュニケーションをできるほどの知識や経験がなかったことから、卒業後は海外への1年間の留学を計画しました。
約半年間は海外の語学学校に通いながら勉学に励み、その後半年間は現地で仕事をしながら学校で学んだ言語を実際の海外(実)生活を通して身に付けて、帰国後に就職活動を行いました。
当時は第二新卒の枠は無かったため、大学卒業後は中途採用枠で応募するほかなく、今思えば初めての就職活動から私自身の就職活動形態は転職枠でした。
そのような訳で、実務経験がなかったため大学時代に学んだ画像工学の分野での就職活動は思うようにいかず、大変苦い思いをしたのを今でもはっきり覚えています。
その中で、私自身としては新しく物を作るという仕事に就きたく、求人を昼夜くまなく探している中で見つけたのが “ 造船 ” 会社でした。
募集要項には、船体/塗装/機関/電気の品質管理で各分野1名ずつの募集と記載がありました。
高校から学んできた電気関連分野にて自身の力を発揮し、かつ人類が製造する動く建造物の中で最大である船舶を建造することに大変な興味を持ち、好奇心がそそられて応募しました。
筆記試験/1次/2次面接を経て何とか内定を得ることができましたが、内定後の採用通知では配属先は自身が応募した電気分野ではなく、まさかの機関分野でした。
当時、1次面接後にリーマンショックが起こり、今まで毎週のように更新されていた求人案件が日に日に減少していく状況の中、自身の修学した知識とは全く異なる分野での業務をちゃんとこなせるのかという不安と、学んできた知識を生かせる職種でない仕事に就くことへの葛藤がありました。
熟考を重ね、新しい物を作り出すことへの興味、そして自分で掴んだこのチャンスを生かすため、造船会社への就職を決意しました。
この決断が今後の自身の進路を大きく決定づけるとは、この時点ではまだ理解していませんでした。
自身の思い描いた就職ではなく、1社目への就職後は学生時よりも新たに学ばなくてはならないことが多くあり、大変な毎日でした。
しかし、周りの人たちに助けられながら、自分が想像していた以上に充実した毎日を過ごすことができました。
入社5年目には海外で1年間業務を経験することができたものの、その海外赴任中に会社合併が実施されました。
形式上は新設合併との会社説明でしたが、実際は他方会社の規模が大きかったこともあり吸収合併の状況でした。
私が赴任を終えて帰国後に出社した時には半年以上が経過しており、合併前とは様々な部分で明らかに状況が異なっていました。
社内システムに関しては他方会社が採用している旧式のシステムに置き換わることで無駄な事務作業が発生し、給与形態も他方会社を基準としたために給与が下がる従業員が多くいました。
何より、あくまで私自身の所感となりますが、品質や良いものを造(創)るというよりも、利益を優先するという業務の流れ方に変わっていました。
企業存続のためには確かに重要なことであり、当然ながら利益を上げなければ存続のみならず成長も難しいのは理解しているつもりでしたが、利益>品質へ移行してきていると日々の業務をしながら肌で感じていました。
帰国後は今まで経験のなかった新造船の担当業務に必死で、モヤモヤを抱えながらも業務を続けていました。
入社から丸8年が経ち中堅となった頃、今までにないプロジェクトが立ち上がり、自身もこのプロジェクト担当として業務に従事することとなりました。
業務をこなしていましたが、合併前とは異なり各担当部門の同僚と泊まり込みで業務に従事する日々が続き、自身の確認不足によって大きな損失と工程後戻りが発生、結果的に納期遅延に至り客先のみならず業界全体へも知られる事態となりました。
無理な労務環境による注意力の著しい低下といえば確かにそのとおりであったといえますが、その背景には前述の自身の中の “ モヤモヤ ” を抱えた中での仕事のやり方に大きな問題があったのだと思います。
結果的に、納期遅延となり大きな損失を招いたものの、引き渡して完工、プロジェクトも完了となりました。
しかし、自身のミスと合併後の会社状況、そしてこの時発生した大きな問題への会社の対応とその後の改善内容にどうしても納得できない部分があり、結果的に自身が抱えていたモヤモヤがそれまでの業務への情熱を失う要因となってしまいました。
情熱を失うと向上心も無くなり、学ぶことを止めてしまう自分がいました。
このままでは当然成長は望めず、どうすべきかと考えていた中、自身の頭に浮かんだのが転職でした。
モノづくりへの情熱を失ってしまっていましたが、10年間培ってきた船舶の知識を基礎に造る側から使う側への興味が湧き、船舶管理会社の工務監督求人を探して前職の船舶管理会社へ応募しました。
前々職での自身の経験から転職に至った経緯を包み隠さず面接時にお話しし、実際に内定を得られた場合の労務環境を詳しく聴取し、転職を決意しました。
しかし、入社後の業務実態や働き方に関して、考えと事前調査が足りていなかったことを後悔することになります。
前職では、前述の通り船舶管理会社にて担当船舶の工務監督業務に従事してきました。
といっても、比較的特殊な内容ですので簡単に説明いたしますと、船舶管理会社の工務監督業務は保船を主としており(会社により異なる場合もあります)、保船とは船舶の定期整備(法定整備含む)や、突発的に発生する不具合や事故の対応、場合によって法令/条約の改訂に伴う船舶装備機器の改装や追設等、比較的幅広い業務を行います。
前職で入社した会社では工務監督の業務範囲が広く、改装の場合も改装図面の精査や予算の策定/管理に加え証書管理業務も実施していました。
証書とは、車の場合は車検証や自賠責等ですが、船舶の場合は条約/法令に従った証書に加え、船種別(液化ガスや原油等の荷物によって船の種類が異なる)に異なる証書も多数あり、取り扱いも造船所の時とは大きく異なるため、かなり多岐に渡る業務内容でした。
一般的には(昨今は変わりつつありますが)、船舶船員が海上勤務を一定期間終えた後に陸上勤務へ移って上記の業務をこなすことが多いため、船舶の運用に関する知識があることが前提とされており、船員経験もなく陸上勤務経験のみだった私はこの点で非常に苦慮しました。
入社後は、法令改訂に伴う脱硫装置の追設改装工事の準備を通して前述の業務内容を少しずつ覚えていきました。
海外での船舶修繕では、現地に赴いて監督も担当し、大変ながらも “ 造る ” とは異なる “ 使う ” 側の業務を経験しました。
他の船舶管理会社ではなかなか経験することのできない、深く広い知見を得ることができました。
入社1カ月後には担当船が割り振られ、先輩の工務監督からのOJTで業務を開始しました。
新卒ではなく中途採用であったことから、一日でも早く一人前になれるよう日々時間に追われながら業務を進めていました。
そんな中、大規模な船舶改装計画の1番船担当に抜擢され、社運を賭けたプロジェクトに挑むことになりました。
保船業務をこなしながらわからない点は学び、また、同時並行で大きなプロジェクトに従事する中、どうしても業務時間内に全て完遂することができず祝休日に隠れて出社する日々が続きました。
入社9カ月後にプロジェクトを無事完遂できて大きな自信になりましたが、船舶管理会社の工務監督という業務に関しては、担当船は当然ながら休むことなく基本的に24時間365日航行しているため、うまく仕事のON/OFFを切り替えることができずに業務をこなす日が過ぎていきました。
前述の大型プロジェクトは1隻だけではなく、次から次に休むことなく進めていかざるを得ない状況が続きました。
前職では自社管理船の工務監督であったことから、他船舶会社以上に多岐に渡る業務がある実態を把握していなかったことをこの時初めて理解しました。
また、入社後にしか把握できない社風に関しても、時間が経つにつれて違和感を覚えるようになりました。
1つ1つの事を進めるのに都度承認が必要であるためこの準備に膨大な時間を要し、かつ大きなプロジェクトであっても明確なマイルストーンは示されていませんでした。
監督自身で検討した骨組みに、会社役員クラスで決定されたことをブレイクダウンしていくのですが、明確な指示の下で業務を進めていくスキームになっておらず、予期せぬ段階でコメントが入り、後戻りを余儀なくされる状況でした。
これは他社でも同様で、当然ながら上長の承認を都度得て業務を進めていく必要があると理解していますが、指示を仰いでも明確なプランがなく時間だけが経ち、結果的に後で見直しを重ねる状況が続いていました。
当然ながら労務上業務指定時間内に完遂することはできず、時間外労働をせざるを得ない状況でしたが、この時間に関しても各部で定める重要業績評価指標(KPI)を事由に時間を削る指示が度々あり、自分の耳を疑いました。
そんな中でも、社会における自身の業務は非常に大きな影響があることを自負して日々業務を進めていきましたが、今積み重ねている嘘が今後30年近く将来の自分に降りかかると考えた時に、前々職で自身が経験した失敗を繰り返すことはできないと考え、転職することを決意しました。
私の前職、前々職からの転職となったきっかけは、他の方が聞いて必ずしも納得できるものではないかと思います。
矛盾しているようですが、自身で客観的に考えた時に、他の同僚は我慢して同じ環境で働き続けており、それをできなかった自分は忍耐力が足りていなかったのではないかと、悩まないといえば嘘になります。
ただ、いずれも共通しているのは、船舶関連の職種であったことです。そのため、今回の転職では船舶関連以外の業種で再スタートしたいと考え、転職活動を始めました。
端的に言うと、自分の自信を完全に失っていたのだと今は思います。
年齢も30代後半となって焦りもあり、エージェントも数社に登録したものの、海外出張が多々あったため業務都合上なかなか時間を作り集中して効率の良い転職活動を実施できていない状況でした。
そのため、今回の転職では離職してから転職活動を本格的に始めることとし、退職届受理後引継ぎを済ませ、溜まっていた有給休暇を取得して転職活動を開始しました。
しかし、やはり異業種への転職は容易ではなく、応募しては書類選考や適性検査で不合格になる状況が続きました。
有休が終わる師走に新たなエージェントサービスに登録し、その後まもなく(株)エリートネットワークの転職カウンセラーの黒澤氏より連絡をいただきました。WEBで打ち合わせの連絡をし、職務経歴書を見ながら面談をしていただきました。
その際にも船舶関連の職種は避け異業種で勝負をしたい旨を説明しましたが、黒澤氏から今までの経歴を踏まえこの経験を生かさないのは大変もったいないとのお言葉をいただきました。
一方で、私からは何故そのような結論に至ったのか包み隠さずお話しし、転職理由を理解いただいた上で、他の海運会社の紹介をいただきエントリーすることにしました。
正直、当初はやはり若干抵抗がありました。
自信を失っていたこともあり面接の練習になればと考えていましたが、面接を通して自分の意識が変わっていくのを感じました。
当然ながらエントリーした全ての会社から面接の約束をいただけた訳ではありませんでしたが、2社から書類選考通過のご連絡があり、結果的に2社共内定をいただくことができました。
両社の面接を通して自身の経験はとても有用なものであると気づきましたし、今までミスしてきたことも大切な経験になっていたのだと再発見することができました。
通常は事前に経歴をブラッシュアップし自分自身をきれいに整えた形で見せることが心象も良く大切なのだと決めつけていましたが、必ずしもそうでないと気づきました。
正直、私は転職体験記に掲載されている他の方々に比べたら学歴が低く、大学卒業後に語学留学を経験しているにもかかわらずTOEICの点数もかなり低いです。
しかし、今までの業務を通じて経験してきたことは量ることのできない貴重なものであり、それに気づくチャンスと活動期間中は日々アドバイスをくださいました、エリートネットワーク黒澤氏へは大変感謝しております。本当にありがとうございます。
前述の通り、前職の業務都合上、今回の転職では離職してからの転職活動となりました。
独身だったこともあってこのような転職方法を思い切って選択できたと思いますし、転職者の中では少数派の転職方法であったとも思います。
しかしながら、逆に離職してからの転職活動を本格始動するにあたり、今までなかったまとまった時間で適性検査対策や今一度TOEICを基礎から勉強し、面接前に会社の中期計画書や内部詳細情報を調べました。
焦りも正直ありましたが、1回目の転職時にできていなかったことを結果的にクリアすることができたと感じています。
何より、今まで年始を含めまとまった休みを取ることができない状況で心身疲弊している自分に気づき、期間を定め思い切って休むことでリセットできたのは、結果的に良い選択であったと今は思います。
面接前には、前職の経験範囲内のみの業務内容を行うと募集要項から推察して面接に挑みました。
しかし、実際は2050年の脱炭素へ向けて船舶業界でも日進月歩で技術革新が行われており、今回入社を決めた会社では、保船業務だけでなく新鋭設備や機器の審査から設置後の検証まで社全体で進めていくプロジェクトの部署新設が背景にあると知り、自分の中でワクワクした気持ちが再び湧き上がるのを感じました。
当然、先進技術のためまだ誰も経験していないことが起こるのは想像に難くなく、また一から勉強しなければならないことが多々あるかと思われます。
しかし、初心を忘れずに若かりし頃の自分が選んだ道が今そして将来につながり、社会のために自分ができること、やらなければならないことを諦めず、ゆっくり確実に歩を進めていきたいと考えています。