東証プライム上場 財閥系総合化学メーカー 知的財産部
老舗食品メーカー 中央研究所 微生物制御関連研究担当
→国際特許法律事務所 化学・材料・医薬品グループ 弁理士
浦松 徹 氏 35歳 / 男性
学歴:埼玉県立高校 卒
国立大学 理系学部 卒
国立大学大学院 理系研究科 修了
弁理士試験試験 合格
TOEICスコア 915点
大学学部や大学院では、主にバイオテクノロジー(農芸化学、生化学、生命工学等)に関して学んできた。
大学院修士の新卒の際は、バイオテクノロジーのバックグラウンドを活かしつつ、それまでの学生時代に注いだ労力(特に大学受験時の労力)が、ある程度金銭的な形で報われるようにしたいと考えていた。
その為、メーカー、特にバイオテクノロジーを扱うような製薬企業や食品企業を中心に就職活動を行った。
就職活動は想像していたよりも難航した。自分自身の考え方が甘く、自己分析や企業研究が不十分だったという反省もある。
しかしながら、そもそも自身が学んできたバイオテクノロジーの技術分野は、他の技術(例えば化学、機械工学、電気電子工学、情報工学等)と比較して企業側のニーズが乏しく、採用枠自体が非常に少ないこと、また、特に東日本大震災の直後だった為、従来よりも更に採用枠を絞っていたこと等も大いに影響していたことを後から実感した。
そのような技術分野を学ぶ選択をしたのは何より自分の責任ではあるが、そもそも自身の純粋な興味で選んだ技術分野であるが故に、このような不利益を被ることにやりきれない気持ちに苛まれた。
上記の通り、新卒時の就職活動には苦戦したものの、自分としてはそこまで志望度の高くない食品メーカーに唯一内定を貰い、技術職として入社した。
側から見れば十分に立派な会社であったし、震災直後の時期に内定をくださった同社には感謝している。
食品メーカーでの仕事は一言で言えば退屈だった。
食品業界という保守的な業界であることや、所属部署の業務の性質等の理由から、新しい技術に触れる機会がほとんど無いことが大きな理由である。
仕事において技術に関わるような内容はほぼ皆無であり、部署内外の人間関係等の調整に関するものがほとんどだった。
自分の知識や経験に基づく考えや意見、判断を業務に反映させる機会がほぼ無いという点にも非常に退屈を感じた。
一応は目の前の仕事を真面目にこなして同期内では早めに昇格させてもらったし、部署異動によって様々な仕事を経験させてもらったが、会社の中でしか通用しない知識やスキル等ばかり身に付いてしまう点は非常に退屈であり、同時に将来的な不安も感じた。
それに加えて、待遇面が大して良いわけではなく、将来的な昇進についても、所属部署や上司等の運の要素に大きく左右される点に不満を感じた。
このように、仕事がつまらない上に、大して待遇が良いわけでは無いという自分の置かれた現状を直視して、どうにかしようと考えるようになった。
就職活動や食品メーカーでの上記経験を踏まえ、知的財産の業務や弁理士の資格に興味を持った。
知的財産の業務、特に弁理士の仕事は、特許法等の法律の視点で技術を分析・判断する性質の仕事であるが、このような仕事であれば、時代や環境が変わって技術が進歩したとしても通用する為、仕事も面白いだろうし、将来的な待遇面の向上も期待できるのではと考えた。
そこで、弁理士試験の勉強を開始。
その時は、食品メーカーを辞めて転職することまでは考えておらず、とりあえず働きながら予備校に通い、猛勉強した。
幸い短期で弁理士試験に合格。
会社に留まって知財部に異動し、知的財産の業務に携わるには少なくとも数年待たなければいけない状況だった為、試験に合格した勢いそのままに転職を決意。少しでも早く知的財産の業務経験を積みたいという思いが強かった。
特許事務所から内定を貰い、そちらへ転職した。
特許事務所での仕事は大変だったが、今の自分にとって非常に重要な経験だった。
主に化学メーカーの特許出願、及びその後の権利化に関する業務を担当した。
弁理士資格は取得したものの、知的財産の業務は未経験であった為、クライアント企業との打ち合わせから、特許明細書等の書面の作成方法等の業務についてゼロから教わった。
初めのうちは、上手く書面を作成することができず、非常に多くの時間を要してしまった。
今考えるとあり得ないような時間の残業もしてしまったが、必死に一件一件の案件を丁寧にこなしていく日々を過ごした。
大変ではあったが、良い上司等に恵まれ、社会人になって初めて、有意義な経験を積めている感覚を掴んだ。
2年後くらいには、上司による同席やチェック等を受けることなく、クライアントとの打ち合わせから書面の作成までの一連の業務を単独で任せてもらえるまでに成長。その頃から待遇面も順調に向上していき、とても嬉しく思った。
特許事務所の仕事は、1社目の食品メーカー等の一般企業とは異なり、個人としての業務の遂行能力が重視される。
それさえ身に付いてしまえば、自分の居場所がある程度確保され、人間関係等の調整事に巻き込まれる機会が少ない。
その点が非常に居心地が良く、この仕事が自分にとって天職ではないかとも思った。
幼少期からある個人競技のスポーツを十数年やっていた経験があり、今思うと、そのような個人競技の世界で生きてきた自分にとっては、同じく個人としての能力が求められる特許事務所の環境が合っていたのではないかと推察する。
特許事務所での業務にある種の限界を感じてきたことがきっかけだった。
代理人弁理士としてクライアント企業から相談を受け、それに対してこちらなりに検討して提案をするのだが、クライアント企業の事業環境や、特許出願の時間的制約等に照らすと、その提案内容が本当に有益なのか疑問を持つ場面も増えてきた。
そこで、企業の内部に入り込んで、技術者の方々とより近い立場で提案できる企業知財部員として働くのも良いのではないかと考えるようになった。
特許事務所の代理人弁理士の仕事は好きだったが、知的財産に関して自身の取り扱える業務の幅をもう少し広げてみたいという思いも生じた。
特許事務所内でもそれなりに評価して頂いてはいたとは思うが、それでも長い将来を見据えると、待遇面等で自分の望むレベルまで到達するのかという不安もあった。
特許事務所でのキャリアを積み、仕事の量が増え、業務時間は当然増えているにも拘わらず、家庭環境や勤務形態(在宅勤務化)の変化等により育児に費やす時間も増えていた。安心して頼れる人もいない為、心身への負担を感じ始めてきた。
今の時点では大丈夫だという自信はあったが、将来的に心身を壊すリスクもあるのではと考え、早めに手を打ったほうが良いと感じるようになった。
特許事務所という職場は、自分の勤めている事務所に限らず、一般的にどうしても激務になりがちである為、その点でも企業知財部で働く方が良いのではと考えた。
待遇面を少なくとも現状維持(あわよくばアップ)すること、及び、在宅勤務が可能な限り許されること、という2点はどうしても譲れなかった。
また、前職の特許事務所で担当していた化学メーカーの特許出願等の業務経験を活かすべく、化学メーカーを中心に企業の知財部への転職を希望していた。
今考えると、転職にあたって何一つ妥協した要素はなく、前職の良いところは全部そのままキープしつつ、業務時間を減らそうという虫の良すぎる考えだったと思う。
そのようなスタンスで転職活動をできたのは、前職の満足度が高く、居心地も良かったので、前職よりも明らかに魅力的な職場でなければ転職したくないという思いがあったからである。
(株)エリートネットワークの転職カウンセラーの保坂様にはその点大変なご迷惑をかけたと思う。
上記のような余裕のあるスタンスで転職活動を始めてみたものの、いざやってみると、魅力的な企業の求人案件も沢山あり、かなり必死になったし、内定を貰えるのか不安になったりもした。
経験豊富な面接官の方々からすれば、私自身の経験や能力等は大したことがない為、虚勢を張ってそれらの点をアピールしても無駄だと思った。
それよりも、これまでのキャリアで経験した2社の業務の中で苦労したことを思い出し、その時にどのような姿勢で仕事に取り組んだのか、ということを中心に面接で話すように心がけた。その点は良かったのではないかと思う。
面接では、業務に関する苦労、苦悩、工夫、心がけ等についてなるべく具体的に話すように意識したが、それでもまだ内容が不足しているように感じた。
それは日々の業務での気付きが少ないから、あるいは、そもそも気付こうとする意識・姿勢が不足しているからかもしれないと反省した。
自分の年齢や特許事務所での経験等を考慮すると、新天地では人格としても業務能力としても高いレベルが要求されると思う。
周囲の皆様からいち早く信頼を勝ち得ることができるよう、誠心誠意業務に取り組んでいきたいと思う。