東証プライム上場 農機メーカー 部品営業部内 機械部品の海外営業職
東証プライム上場 航空機部品メーカー米国機体メーカー向けの法人営業→シンガポールに駐在して現地法人のマネジメント→東京本社 企画部 経営戦略立案・遂行担当
岡西 洋一 氏 39歳 / 男性
学歴:私立高校 卒
法政大学 経済学部 国際経済学科 卒
中国の大学 中国語コース履修
英語:ビジネスレベル
中国語:日常会話上級
韓国語:日常会話上級
1983年に大阪府で生まれました。
幼少期の記憶はほぼありませんが、やんちゃだったと聞いています。
物心つく前から空手を始め、小6までイヤイヤ続けていましたが、今では空手を通じて得た柔軟性に感謝しない日はありません。
初めて自分自身が本気で没頭したのはサッカーです。Jリーグが始まったのが確か小4の頃で、地元にもサッカークラブが出来、すぐに参加しました。そこからは、ずっと勉強もせずサッカー三昧でした。
契機が訪れたのは、高校受験の時でした。
サッカーばかりでろくに勉強していなかった私は、内申点も良くなく、公立高校ではいわゆる進学校に進むのは難しい状況でした。私自身はこれまでも ” それなり ” に出来ていたので、高校進学も同様に考えていましたが、そんな私に父が「中途半端な高校なら行かせない」と言って、その日は大喧嘩になりました。
父と喧嘩したのなんて、後にも先にもあの日くらいかと思います。いや、あるか探せば…。
それから何日か経つ間に、父は進学先の高校候補を探していてくれていたようで、サッカーも勉強も出来る高校を進学先として勧めてくれました。
当時の私は特に何も考えていなかったので、単に「男子校は嫌だ」という思いでしたが、以降は受験に向けて塾に通う日々が続きました。とはいえ、そこまでやる気スイッチが入っていなかったので、入試は普通科専願にも拘わらず、ギリギリ合格という結果でした。
そんな感じで入学した高校ですが、この3年間で私は別人になりました。
まず、サッカー。
中学時代、市の大会で優勝していい気になっていた私は、レベルの高い仲間に出会い、井の中の蛙であったことを知る程の衝撃を受けました。
そして、勉強。
なんと、サッカーが上手い仲間達は、勉強も一級品でした。
サッカーだけでなく、勉強までも…。どっちも勝ちたい!!と思えた反骨心が人生の転機だったと思います。
そこからは、全てに対する姿勢が変わりました。
劣っているなら力を付ければいい、知らないなら知ればいい。そういう思いで勉強とサッカーに励み、3年間を終えた私はサッカーではレギュラーに、勉強では学年で10番になり、勢いそのままに法政大学に入学しました。
大学でも多くの事を学びましたが、何といってもハイライトは大学3年終了後、1年間休学して実行した中国留学だと思います。
就職を前に自身の強みを振り返った時、他の学生と差別化出来る程の強みを見出せなかった私は、父に相談したところ、中国への留学を指南し、機会を与えてくれました。
もともと私は、海外志向が無く、この手の話は拒絶し続けていたのですが、中国への留学を一大決心しました。
いざ中国に行くと、留学生は日本人と韓国人が大半で、日本人同士和気藹々としている様子でしたが、私は折角留学をしてまで日本語を話す気が一切ありませんでした。
寧ろもう一言語習得してやろうという気持ちだったかは定かではありませんが、韓国人の友人達と留学生活を共にし、結果約10か月でしたが日常会話上級レベルの中国語と韓国語を習得しました。
2005年12月に帰国し、そこからは就職活動に励みました。
父の背中を見て育ってきた私は、メーカーでの海外営業に憧れがあり、メーカー中心に就職活動し、尖った技術力で高シェアを獲得している精密機器メーカーへの入社を決めました。
入社後は、航空宇宙事業の国際営業部に配属されました。
国際営業部の業務は、米国機体メーカー向けに、機体を制御する装置を中心とした新製品を受注開発から量産販売までを取り扱う営業活動と、同社が製造した機体を運行する航空会社向けに製品の保守メンテナンスを提供するカスタマーサポートがありました。
私は、いずれの営業も経験しましたが、総じて言えることは、製品が生まれた背景、技術者の想い、製品が持つ特性、市場に出てからのパフォーマンス、経年による劣化傾向を分析して理解すること、自分の中で腹落ちするまで自社の強みを理解することが最も重要である、ということです。
そうすることで、いざ他社と比較した時に自社の競争優位性が浮き彫りになり、競合他社との差別化部分を強みとして顧客へのアプローチが出来ます。
製品以外では、私は特に顧客の問い合わせに対するリスポンスと対応の速さを意識していました。
カスタマーサポートは、価格に重点を置く3rd partyとの闘いですが、価格の安さをアピールする彼らは、不具合を直すことは得意でも、不具合の背景にある原因などの分析が出来ません。または、出来たとしても網羅的ではないことが常であり、まさにその点に製造メーカーの強みがあると考えていました。
良いものをより長く、使いやすく、何かあったらすぐにサポートする。そこに価格には現れない付加価値があり、それこそが顧客満足に直結する部分だと考えています。
また、単発のコストではなく、ライフサイクルコストで考える場合、3rd partyを利用することで転売する時に製品の市場価値が下がるなど、最終的には高くつくことになる点も重要なポイントだと思っています。
2012年から15年末までの約4年間に亘り、カスタマーサポートの拡販を目的にシンガポールへ駐在しました。
シンガポールでは、現地法人を設立して航空会社向けの法人営業(上述したアプローチ)に従事しました。
2022年1月からは、航空宇宙事業を離れ、本社の企画部に異動しました。
企画部では、事業ポートフォリオの制度策定、運用開始、また、新規事業創出の為の制度策定及び運営に携わるとともに、全社的な計数管理などに経営補佐役として従事しておりました。
前職の会社は、うごかす・とめるを軸とした技術で、安心・安全・快適を提供することで社会の発展に貢献しています。
私自身、社会の発展に貢献していることに誇りを持って仕事をしています。
そんな中で昨年1月に企画部に異動し、よりマクロの視点で経済動向や社会情勢や社会課題を捉えるようになりました。
食料・水・環境分野において世界や社会が直面する喫緊の課題があると感じ、私自身がその領域において直接的な解決策を提供する仕事に携わりたいと考えたことが、転職を考えた一番のきっかけです。
また、それに加えて、子ども達が学校教育を通じSDGsに非常に興味を持っており、関連の書籍やテレビなどを一緒に観ております。その中で、私自身がそういう事業に携わることで、娘にとってもよりSDGs、それから社会課題を身近なことに感じられる、これによって彼女の将来にとっても、非常に良い影響があるだろうなとも感じております。
私は、現場の声に耳を傾けながら顧客との対話を通じ、win-winとなるソリューションを提供してまいりました。
異業種ですが、コミュニケーションの形成は、いずれの業種でも必須の要素と考えています。
このスタイルを継続しながら、社会課題と向き合い、一人でも多くの子ども達の笑顔を咲かせる、そんな仕事がしたいと考えています。