東証プライム上場 財閥系海運会社 本社総合職
東証プライム上場 老舗非鉄金属メーカー 生産管理→海外営業部→タイ支社駐在(マネージャー)→本社 海外事業部門 営業リーダー職
神崎 重行 氏 34歳 / 男性
学歴:有名私立大学 経済学部 卒
TOEIC800
学生時代は、毎回の長期休みを使って世界中を旅していました。
世界史の資料集や写真でしか見たことがないような場所に自分の足で訪れ、計40か国以上訪問したと思います。
その経験の中で、インフラ整備がされていない国々を目にし、せっかく働くなら発展途上国の生活の基盤に役立つ製品を作るメーカーで働きたいと考え、インフラメーカーに絞って就職活動をしました。
入社後は生産管理として工場に配属され、希望していたインフラ製品を担当いたしました。工場勤務であったため、客先と直接話す機会はありませんでしたが、とにかく欠品を起こさないことを第一に考えてがむしゃらに仕事していたのを記憶しています。
その後、担当製品を海外へ拡販するチームが発足したことを契機に、本社の海外営業部に配属されました。
私に営業経験はありませんでしたが、チーム長とは生産管理時代から仲が良く、留学経験や英語が話せることもアピールできたため、チーム長の後押しもあってチームに入れてもらうことができました。
しかし、初めての海外出張では、遊び気分が抜けておらず、出張報告書提出時に各部課長からコテンパンにされたことをよく覚えています。
その後は、仕事に対する姿勢を改め、現地ローカル企業を中心に折衝・交渉する機会をいただき、回数も重ねていったことで、海外営業の実力も高めることができました。
また、タイに駐在するチャンスも頂戴し、海外出張だけでは得られない地に足をついた営業や現場感を学ぶこともできました。
マネージャーとしてタイに赴任し、若い時から責任ある立場を任せていただいたことは、私のキャリアにとって非常に大きいものになったと思っております。
正直、前職への大きな不満があったわけではなく、すぐに職場を変えたい状況ではありませんでした。
ただ、同時期にタイから帰任した友人が転職をした話を聞き、新たなチャレンジをしている友人の姿を見て「自分にももっとやれることはあるのではないか?」と考えるようになりました。
加えて、自分という人間・キャリアは社会でどのように評価されるか、どのようなことにチャレンジできるのかを知りたいという気持ちが強くなり、転職活動を開始しました。
前職では本社の課長までは最短でなれるという自信があったため(過信だったかもしれませんが)、絶対に転職したいと思える企業のみの選考を受けることにしました。
他の誘因としては、前職ではキャッシュフローの問題で投資を中々させてくれない、入社してからコアとなる新製品が全く出ていない、新技術に対しての危機感が薄い、等があったのは事実です。
転職活動で(株)エリートネットワーク様、特に転職カウンセラーの保坂様と出会えたのは、本当に幸運だったと思っています。自分のキャリアにはある程度自信はあったものの、実際に希望条件で転職先を探すと、所謂難関企業しかなく、少し二の足を踏んでいました。
そんな中、保坂様から賜った「受かる可能性があるから紹介している」という言葉が非常に後押しになったことは、今でもはっきりと記憶に残っています。保坂様には転職活動中、とにかく全ての事に迅速に対応していただきました。本当に感謝してもしきれないぐらいありがたく感じております。
●こだわった点
・年収は最低でも200万円UP
・グローバル企業(海外駐在ができる可能性がある)
・少数精鋭
・大手海運、重工業への転職
・7月末で転職活動を終える
B to Bのインフラメーカーとしては比較的良い給与をもらっており、課長も狙える立場であったため、1年待てば、年収が100万~150万円上がるのが見えていました。
転職は家族にも影響があるため、年収面には強いこだわりを持っていました。おそらく100万円程度の年収UPでは前職を辞めていなかったと思います。
●こだわりを捨てた点
・5大商社への転職
待遇面で国内外の他社を圧倒している5大商社はやはり魅力的でした。
しかし、年齢的にポテンシャル採用は難しく、今までの経験を活かせる募集がなければ合格可能性が非常に低いという現実も同時に認識していました。
1社だけキャリア的に引っ掛かりそうな募集があり受検をしましたが、残念ながら3次面接で不合格。
総合商社への転職活動を続けるには、夏以降まで待つ必要があり、なおかつ、自分のキャリアに合った募集要項がでるかわからないという状況であったため、5大商社への転職は難しいと判断し、そのこだわりは捨てました。
結果的には、内定先の待遇でも十分満足であることから、こだわり過ぎなくてよかったと思っています。
海外営業経験も長く、駐在経験もあることから、駐在中も帰任後も「メーカーであれば自分はどこにでも転職できるだろう」という妙な自信がありました。
加えて、仕事の内容もローカル企業を相手にしたものであったため、自分の海外営業としての市場価値は日系相手の海外営業より一段高いという過信がありました。
しかし、実際に有名メーカーでの面接では非常に手応えがあったにも関わらず、予期せぬ不採用通知を貰ったことで、自分の考えの甘さに気づかされました。
幸いにも比較的早く不採用通知を貰ったことで、ギアを一気に切り替えて転職に関する全ての事に徹底して取り組むようになりました。
私の場合は、比較的仕事の裁量権があったのと年度初めに大型案件を受注していたことから、仕事をしながらでも企業研究に相当の時間をかけることができました。転職先の企業研究には、1か月で軽く50時間以上は費やしていたと思います。
私には運よく転職活動に集中できる環境がありましたが、一般的には現職の仕事と両立する必要があるため、どう時間を捻出するかによって結果もかなり変わってくるのではないかと思っています。
実際に内定をもらい、34歳という年齢で転職をするという事実を目の当たりにして、全く不安を覚えなかったといえば嘘になります。
ただ、一生懸命やってきたこと、自分の考えを受け入れ、迎え入れてくださる企業(それも好条件で)に勤められることに感謝しつつ、次の職場でも誠心誠意仕事に向き合っていきたいと考えています。