【メガバンク系シンクタンク】
コーポレート・コミュニケーション室 社内外向けデジタル広報の企画・運用担当
【メガバンク】
総合職 首都圏支店 顧客サービス担当
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【全国ネットのテレビ局】
北陸地方放送局 ディレクター 番組・企画制作担当
→ドラマ部 助監督
→国際局 英語でのコンテンツ制作
佐野 杏奈 氏 30歳 / 女性
学歴:国公立高校 卒
大阪大学 外国語学部 卒
※在学中にロシアへ交換留学(1年間)
TOEIC 920点
ロシア語検定試験 第1レベル
テレビが大好きな子どもでした。
中学生の頃は再放送のドラマを見るのが楽しみで、早く部活を終えて家に帰りたいと思っていました。
ドラマ、ドキュンメタリーを見ることで自分が知らない世界を体験できるところに惹かれていました。
いつか自分もそうした番組を作って、テレビを見ている人たちに色々な世界を知って欲しい。そう思うようになっていました。
高校、大学とテレビ好きは変わらず「就職するならテレビ局へ」と、就活ではキー局、準キー局、地元の局全て受けましたが、全滅しました。
テレビ局の就活は他の業界より早く本選考が行われることもあり、切り替えて金融業界を目指すことにしました。
実は学生時代、JICAやJETROが主催する海外インターンに参加したこともあり、海外への日本企業の誘致や海外進出といったテーマにも興味がありました。
1つの企業ではなく色々な企業のサポートができるのは銀行ではないかと思い、入行試験を受け始めました。
すると、運良くメガバンクから内定を頂くことができました。
メディアと金融、全く違う業界で一貫性のない就活と思われる方もいるかと思います。
「知らない情報を届けることで、誰かの役に立てたら」
「海外に日本の技術や製品、サービスを届けることで誰かの役に立って欲しい」
情報やサービスを届けることで誰かの心を豊かにしたい、生活を豊かにしたい。
広く言えば、自分の仕事が社会をより良くすることに役に立っていて欲しいという思い(自己満足かもしれませんが…)を抱えて就活していました。
入行した銀行では同期、同僚、先輩に恵まれ、楽しく働いていました。
ただ、入行後すぐにモチベーションを保てなくなってしまいました。何を目標に頑張ればいいのか分からなくなったからです。
個々人の数値目標はあり、達成できたこともありましたが、目標を達成することでお客様にどのような利益やサービスを提供できているのか、誰かの役に立っているのか、当時の自分には見つけられませんでした。
やはり、コンテンツを届けることで一人でも多くの人を笑顔にしたい、誰かの役に立ちたいと思い、入行してからわずか3ヶ月ほどでしたが、無理も承知でテレビ局への再就活を始めました。
数ヶ月間だけですが、銀行で接客等を経験したおかげで、面接では緊張せず、どのような質問に対しても焦らず答えることができました。
そして、入行1年目であったにも拘わらず、放送局から運良く内定を頂き、ディレクターとして働くことになりました。
地方局に配属され、ニュース特集やドキュメンタリー、スポーツ中継など、分野を問わず様々な企画や番組を制作しました。
興味があるテーマを取材し、企画書にしてプロデューサーにプレゼンし、OKが出ればコンテンツ制作に取り掛かります。
とてもやりがいのある仕事でした。
取材先との交渉、撮影クルーを導くリーダーシップ、自分が面白いと思った点や、テーマや取材先に共感した点を言語化する能力、ストーリーテリングなど様々なスキルを身に付けることができたと思います。
基本的にニュース企画や30分程度の番組であれば、一人でリサーチ、取材、撮影、編集を担当します。
撮影にはカメラマンや照明さんに音声さん、編集には編集のスペシャリストが付いてくれることもあります。
私は番組や企画を作る度に、一番無力なのはディレクターである自分自身だと感じていました。
映像が撮れるわけでもなければ、編集がずば抜けて上手なわけでもない。
だからこそ、自分が表現したいこと、やりたいことを言葉にして伝えて、力を貸して頂く。
その過程で色々な方と議論し、企画や番組の内容をブラッシュアップする。
扱うテーマや番組のスタイルは変わったとしても、基本的にこの繰り返しです。
私はディレクターという仕事を通して一番身に付いたことは、物事を進めていき、形にする力だと思っています。
やりがいを感じていた仕事。この職場で定年まで過ごすと思っていましたが、だんだんと自分の中でモヤモヤが生まれてきました。
思い当たる理由は2点ありました。
1点目は、大衆に情報を届けていても大きな変化は生まれない → ターゲットを絞って、情報を伝え、誰かが行動をするきっかけを作ってみたい、という思いが出てきたからです。
2点目は、地方から東京に異動になったことをきっかけに、仕事量が増え、自分の体力に見合わない働き方になっていったからです。
私の特性として、自分の世界を広げる時間や大切な人たちと過ごす時間が新たなアイデアを生む源泉となっていました。
プライベートの時間を充分に確保できないと、新しい企画のアイデアも生まれにくくなります。
人生のうち仕事が100%になってしまうと、自分の中の好奇心も奪われてしまうことに気づきました。
私にとって何かを知ることは生きる源でもあります。
こうした時間もとりつつ、仕事も全力投球できる環境に行きたいと思うようになりました。
そこで、転職活動を始めました。
大手エージェントにいくつか登録し、最初は手当たり次第に気になった求人に応募していました。
しかし、いざ志望動機を書くとなった時、手が止まる求人が多かったです。
その仕事の具体的なイメージができず、どのようなポイントを押さえて書類を書けばいいのか全く分からなかったからです。
薄っぺらい内容の書類を出していたこともあり、書類選考で落ちることが続きました。
もう転職をやめようかと思っていた時、ネット検索で出てきたのが株式会社エリートネットワークさんのHPでした。
最初は社名のインパクトの強さから、「面談を申し込んだら何か勧誘でもされるのでは?」と不安に思っていましたが、私の担当をして下さった転職カウンセラーの保坂さんは勧誘なんかせず、懇切丁寧に話を聞いて下さいました。
また、私の嗜好に合いそうな求人案件を、初回の面談の中でも複数ご紹介して下さいました。
その中には、最終的に行くことになるコンサルティング業界の求人がありました。
コンサルには興味がありつつも、自分には向いていないと決め付けて、受けることはあまりしていませんでした。
ですが、保坂さんの話を聞く中でその業界の面白さを知り、挑戦したいと思うようになっていました。
転職でこだわったのは
・社会課題の解決に何かしら携わっていること
・色々な分野に関われること
・伝えることは続けたいので、職種として広報ができること
です。
条件でこだわったのはワークライフバランスがとれること、転勤がないことでした。
こだわりで捨てたのは希望年収額です。
新しい業界・職種にチャレンジしたかったので、スタート年収が低くても仕事内容を優先しました。
転職活動で最初戸惑ったのは、ディレクターとして身に付けたスキルが他の業界や職種でも活かせるのかという点でした。
しかし、面接を受けていく中で、ディレクター業で養われた能力が広報にも活かせることにだんだん気づきました。
面接でも自分を大きく見せることはせず、等身大の自分で受けていました。
面接選考が始まる前には、保坂さんからどのような対策をすべきか具体的に教えて頂きました。
志望動機、転職する理由、企業研究(逆質問)の対策はしっかりするようにしました。
私の場合、面接に進めた全ての企業に対して、同じ熱意で取り組めるわけではありませんでした。
面接対策をすることで、自分が興味のある分野、やりたいことがマッチする企業が分かり、自ずと第一志望や第二志望が決まっていきました。
自分が進みたい道について、もう少し深く事前に考えられていたらと反省します。
転職活動する中で、今の企業に残る方がいいのか、或いは出る方がいいのかも分かると思います。迷っている人は、一度転職活動をしてみることを私はおすすめします!
新しい業界、未経験の職種ということで不安はありますが、今度はいわゆるネタ元をやることになります。
情報の発信の仕方も映像だけでなく、対面、新聞、WEBなど様々な方法で行うことになるかと思います。
放送は知ってもらうことが主な目標ですが、広報は情報を提供して終わりでなく、その後の行動を促すところに大きな違いがあると思います。
まずは一つ一つの仕事を覚えることに注力します。
そして、いつか自分が担当した広報で行動が生まれ、誰かの人生を豊かにする、社会を良くすることに繋がれば嬉しいです。