元市議会議員48歳。デジタルマッチングの違和感を教訓に、対面カウンセリングを経て納得したプライム上場 日系コンサルティングファームへ

元市議会議員48歳。デジタルマッチングの違和感を教訓に、対面カウンセリングを経て納得したプライム上場 日系コンサルティングファームへ

No.1552
  • 現職

    【プライム上場 経営支援・M&Aアドバイザリーに強みを持つ日系コンサルティングファーム】
    DX戦略コンサルティング部門 ディレクター

  • 前職

    【プライム上場 大手広告代理店】
    営業部門 アカウントプランナー(新規事業コンテスト銅賞受賞、最年少で本部長賞受賞)
    →マーケティング部門 チーフプランナー(統合マーケティング企画・コンサルティング)
    →事業開発部門  スーパーバイザー(事業戦略・活動計画作成支援、管理会計・BIシステム導入、M&A戦略推進等)

    【地元の市議会議員】

    【財閥系総合商社のメディア事業を担う中核子会社】
    ビジネスコンサルティング部門 マネージャー(デジタルマーケティング支援、DX実装支援等)

御村 耕平 氏 48歳 / 男性

学歴:私立 武蔵高等学校 卒
東京大学 文学部 卒
中央大学 ビジネススクール 修了(経営修士MBA)
市より功労者表彰
武蔵高校 水泳部 OB

① 新卒で入社した会社での業務

小さな頃からの催し事の段取り好きが高じ、マスコミやイベント関連の仕事に関心を持ちつつ大学とへ進学。

入学とともに自立し、学費は奨学金、住まいは住み込みの管理人、食事はアルバイトでの賄いという清貧生活を送る中、管理していたマンションのオーナーやアルバイト先の常連客といった大人のネットワークに触れ、新卒時に大手広告代理店へと導かれ内定。

折しもサッカーW杯招致決定などで日本中が盛り上がる中、イベントプロデュースを強く志望するも配属は法人営業職。
その後はアカウントプランナーとして、広告からリサーチ、プロモーション、展示会、デジタルなど豊富な自社のリソースとソリューションを組み合わせた提案で業績を伸ばし、若手の中ではそれなりに高く評価されていたかと思います。

30代に入り家庭を持つようになったのと併せ、大企業の統合マーケティングプロジェクト等の中堅メンバーとなりました。
一方で、日本企業の中国、東南アジア等への進出についての戦略立案といった仕事も増えるようになり、箔をつけたいとビジネススクール派遣を志願。
2年間の夜学通いではあったものの勤務しながら無事修了。

間も無くして大幅組織改編のタイミングで異動。
より上流領域の事業開発、グループ経営企画等に従事し、充実していたものの、その時期には地域活動やPTA役員なども多く引き受けているという公私共に多忙を極めていた中で、第二子が誕生。
さらには脳卒中で父が要介護状態となり、さすがにキャパオーバー気味となりました。

当時は保育園に入れない、介護の仕組みも整っていないという状況の中で、肝心の政治は不祥事ばかりで混乱していました。
自身の疲れや地域活動で日々触れる困窮者の声、中国や新興国の経済成長も目の当たりにし、本心からこの国は危ういと感じていました。

② 1社目の退職、市議会議員当選

仕事は忙しくも順調でしたが、それを支えるはずの政治や制度の仕組みがあまりに杜撰で、育児や介護と仕事を両立させることが極めて困難な状況をなんとか変えたいという思いが高じ、この際地域で働こうと思い至り退職。

そしてその後に東日本大震災が発生し、直後のタイミングで地元の市議会議員に立候補し当選。
それから約10年に亘って育児や介護、地域活性化の支援制度見直しを行政の内側から働きかけるべく努めてきました。

議員だった時期に起こったことの詳細はとても書き切れませんが、政党に属さず地域の名士でもない、住宅ローンを抱えた一介の民間企業出身者だからこその現実的な提案で成し得たことは多かったと思いますし、社会の多様性、ソーシャルなビジネス機会、ESG経営の意義などについても現場で体感できたことはキャリア的にも頗る有益であったと考えています。

一方では、政治の世界につきものの裏側には辟易したことも多くありました。
選挙のために自腹ではない桁違いのコストをかけ、平然と法螺を吹いて回る多くのセイジカ達を見て、この業界に長く身を置き続けていきたいとも思えず、選挙を迎えるたびに就職活動を併行して行っていました。

結果3度目の選挙で次点落選。
応援して頂いた方々のことを思うともちろん残念ではありましたが、40代も後半に差し掛かり、家計の維持と自身のキャリアを建て直す最後のチャンスでもあると考え、未練を断ち切って民間企業への再就職を決めました。
とはいえ無所属の地方議員には失業保険や退職金といった一切の手当がなく、事務所を畳み、契約関係の処理や支援者への挨拶のために2ヶ月の時間と残っていた預金の大半を使い果たしてしまい、正直焦りも生じていました。

③ 1回目の転職活動

それまで本格的な転職を行ったことは一度もなく、コロナ禍での変化もあったのかもしれませんが、当初は近年の転職活動のイメージが理解できず困惑していました。

とりあえず転職サイトに登録し、出てくるPRやスカウトの中からポチポチと応募していく中で面接依頼が来て、WEBで面接やテストを受け、最終面接のみ来社。

転職エージェントの役割や差異も考えず、面接確約スカウトが来たと返信したら、転職エージェントに繋がり、登録を勧められ、言われるがまま登録。
20代後半と思しきコンサルタントにサイトの利用法を伝えられ、「おすすめの求人が毎日アップされますので、あまり細かいことは気にせず、まず1週間で30件以上応募して下さい」と……。
はあ、そういうものなのかと思い、あまり希望条件に適しているとは言えないものが大半を占めていた100件余りの求人票の中からポチポチと5段階くらいの応募意思の評価を丸1日かけて入れていくと、1週間ほど後に6社ほどのWEB面接を受けることとなりました。
その翌週には結果3社が最終面接まで進むも、あまりに非人間的な感覚に嫌気が差し、辞退。

その後はサイトからの個別応募に切り替え、最終的に広告ディレクターとマーケティングコンサルタントのポジションでの2社から内定をもらいました。
その時期には、別で志望度合いも待遇も高い公共政策コンサルタントの面接も進んでいましたが、内定承諾期間が短かったこともあり、大手資本の後者に決定。

2回のWEB面接と15分ほどの最終面接のみの内定でマッチングにやや不安があったものの、早く就職先を決めたいという焦る気持ちもあり、ひとまず安堵しておりました。

④ 前職での担当業務、2回目の転職に至ったきっかけ

さて、そこで前職への就職となったわけですが、入社日からさっそく違和感あり。
組織改編があったとのことで部署名と担務が想定していた内容と何やら違いました。
リモートワークOKの会社ではありましたが、配属部署の人間は誰も出社しておらず、紹介や引き継ぎもないままプロジェクトのアサインがなされ、オンボーディングに四苦八苦。

出社メインでリモートも活用という心構えでいたものの、1か月経ってもオフィスでプロジェクトメンバーと直接出会うこともないため、自身も出社が遠のきがちになりました。
半年あまりは休日返上で案件処理に勤しんでいたものの、その後も全社的な業績伸び悩みによる相次ぐ方針転換や異動で、社内の雰囲気に何やらギスギスした空気が感じられてきました。

そんな折、父の他界後に認知症になっていた実家の母の介護が佳境を迎え、毎晩のように車で2時間かけて実家に通うこととなり、以前の時のように公私共にパンク寸前に。
介護については利用できる制度をフルに使っていましたが、常時介護が必要となり、もはや家族では手に負えない状況となってしまいました。

就職して半年足らずではあるものの、転職を急いで内定した企業の状況確認が足りなかったこと、また、母の介護計画を立て直すための時間も必要なことから、自身の体力の限界も悟りました。
ここは一旦時間を空けて再転職するしかないと結論を出し、再度転職サイトに登録し、転職活動を再開することとなりました。

⑤ (株)エリートネットワークとの出会い

年齢的なことはもちろん、入社1年を経たずしての再転職で不利になることが予測できていたとはいえ、想定以上の苦戦となりました。

前回途上で断念した会社に再度アプローチするも、ポジションが空いていないとのこと。
新規でオープンしている求人票の内容も、わずか1年でDX案件やエンジニア募集がさらに多くを占めるようになっていました。
どちらかというと経営に近い上流での仕事、できれば公共政策に近い業界での管理職という希望があり、経験は多様だけどこれといった資格を有していない自身にとっては、なかなか思うような求人案件が見つからない、応募条件が合わないという状況が続きました。

ある日、検索からリンクを辿っていくと、いくつか気になる求人案件が。
見てみれば「エリートネットワーク」というエージェント扱いの紹介求人でした。
ただ、以前の活動で転職エージェントには不信感を持っていたため、とりあえず連絡せず「エリートネットワーク」の扱い求人をざっと見渡してみたところ、希望に近い求人案件が複数見当たりました。
その中で、その後お世話になる転職カウンセラー「高橋さん」の担当となっている求人案件の内容には特に関心を持ち、半信半疑ではあるものの連絡希望を入れました。

その後、数日して「WEB面談」となったのですが、正直なところ最初は面喰らいました。
それまで面談経験のあったエージェントとは趣を異にし、私よりは一回りほど上の年齢の企業役員といった紳士的な風貌と語り口。
面談初期からこちらの発言の曖昧な点や矛盾点を突かれ、追いつくのに四苦八苦。
10分も経たずに「あなたは全く転職に慣れていませんね」と看破され、登録の話などは一切出ないまま、自身の状況やこれまでの活動経緯など気付いてみれば1時間を超えても質疑応答は続き、「次回は銀座オフィスでお会いして話しましょう」とのこと。

その時の自分の状況からは平日日中に銀座まで行くことにやや逡巡したものの、もう少し高橋さんと話してみたいということで昼下がりに銀座に向かい、直接高橋さんにお会いしました。

和やかな雰囲気だけど鋭い眼差しで本質を突いてくる高橋さんを前に、これは自分を良く見せるように飾っても通用しないと観念し、あからさまな話も含め90分ほど面談。
特徴的だったのは趣味や価値観や学生生活、これまでの人生などについてのあれこれを熱心に聞いて頂き、「あなた体育会だったでしょう」と履歴書に書いてないことも見抜かれたことです。
これは人を見てきた経験が違うなということで、その場で今回の転職活動の軸を高橋さんに委ねてみようと決めました。

⑥ 2回目の転職活動

一両日のうちに希望に合う求人案件を複数ご紹介頂き、いくつかは面接に至ったものの、なかなかマッチングしませんでした。
その後は紹介求人案件に加え、希望する会社やポジションがあれば具体的に呈示してみて下さいと言われ、まさに伴走して頂いた感覚がありました。

採用見送りの連絡がある度に「転職先が決まるまでは決して見捨てません。お約束します」という高橋さんの言葉に助けられました。
エージェントは高橋さんに絞り、それまでに直接応募していたいくつかの企業の面接を並行して進めながら、最終的に入社を決定した会社の紹介を高橋さんより受けることとなりました。

面接はプライム上場企業の法人営業幹部ということでしたが、いきなり副社長との対面面接。
流石は高橋さんと感心し、上首尾と考えていたものの、面接後に副社長より「あなたの採用は難しいです」と即断。
帰り際に「あなたの力は法人営業ではなく企画のフロントの方が向いていると思うので改めて連絡する」ということでその日は終了し、後日ポジションチェンジでの再面接を受けることとなりました。

その後、表立って募集していないが、公共政策やマーケティング領域での管理職を求めているとのことで、自身の経歴や希望にも近く、担当本部長等との複数回に及ぶ面接を経て、無事内定へと漕ぎ着けました。

前職よりも年収が少し下がることと初回面接から1か月以上経過していたことで、他にも2社最終面接を残していました。
しかし、1.5回のWEB面接で決定した前職や、WEB面接主体の他社と異なり、企業に対する高橋さんの助言と同社との4度にわたる1時間以上の濃い対面面接ができたことで入社後の業務イメージが描けていたことが、入社の決め手となりました。

⑦ 最後に

昨今ではAIによる求人紹介やデジタルマッチングなども増えている中で、明確なスキルや資格がないビジネスマンにとっては、マッチングが難しくなっているようにも感じています。

2度目の転職活動は、デジタルなマッチングではなかなか紹介されることがないような非公開の求人案件や異業界・異業種の企業を数多く受けた活動となりました。

入社後にも周囲の期待値に十分応え続けるには、さらなる努力が必要になることは間違いありませんが、時間は掛かったものの、即断せず、妥協せず、納得のいく決定ができたことが何よりも良かったように思います。
改めてエリートネットワークと高橋さんに心より感謝をお伝えしたいと思います。

最後に蛇足となりますが、この間の就職準備期間中において、母は実家近くの介護施設に入所することとなりました。
同時期に娘の大学受験も終わり、新年度からは母、自分、娘の三世代それぞれが同時に新生活を迎えることとなります。
人生この先も山あり谷ありかもしれませんが、初心を忘れることなく、日本社会に貢献できるような仕事を続けていきたいと思っています。

高橋さんお世話になりました。
また今後ともお話できることを楽しみにしています。

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