自動車デザインのデジタルモデラ―28歳。下請け会社から、中学生の頃からの夢を叶え、年商1兆円の自動車部品メーカーの工業デザイナーに

自動車デザインのデジタルモデラ―28歳。下請け会社から、中学生の頃からの夢を叶え、年商1兆円の自動車部品メーカーの工業デザイナーに

No.1571
  • 現職

    【東証プライム上場 世界を代表する自動車メーカー系列 自動車部品メーカー】
    デザイン開発部 デザイナー

  • 前職

    【自動車デザインデータのデジタルモデリング請負会社】
    デザインデータセンター デジタルモデラー

白井 信輝 氏 28歳 / 男性

学歴:私立高校 卒
日東駒専のデザイン学科 卒
デザイン系の専門学校 卒
【使用ツール】
[3D]Autodesk Alias、ICEMSurf NX
[グラフィック]Photoshop、Illustrator

① 新卒での就活について

幼少期は、スポーツカーが大好きで、よく車の絵を描いていました。
そこから、「絵を活かせる仕事は何か」ということで、中学生の時に「工業デザイナー」という職業を知りました。
大学に進学する際には美術大学を志望していましたが、学費の問題で断念するしかありませんでした。
しかし、デザイナーに対する夢は諦めきれるものではなかったため、美大と比較して学費が安い理系の大学に進学し、デザインについて学び始めました。ただ、大学では様々なデザインについて学ぶ機会はありましたが、自分が本当は何をしたいのか、定めきれてはいませんでした。

そんなある日、大学の教授からの紹介で、大手自動車メーカーのデザインワークショップに参加する機会があり、参加させて頂きました。そこでは同級生達の技術力の高さや思考の深さに驚きました。また現役のデザイナーと話す機会もあり、自分も同じ舞台で働きたいと強く思い、この時に初めて「カーデザイナー」を目指し始めました。
とはいえ、大学にはカーデザインの授業もなく情報もありませんでした。その中で独自に調べ、勉強はしてきましたが、やはりカーデザイナーを目指した就職活動は、上手くいきませんでした。

しかし、簡単には諦められなかったので、カーデザインを専門的に学べる学校へ、卒業後に編入学しました。
早く就職をして、親の生活を楽にしなければいけない立場ではありましたが、頭を下げ生活費を入れることで、なんとか学校へ通うことを認めてもらいました。
専門学校の授業はやはり厳しいものでしたが、自分の目標のために必死で食らいついていきました。授業がない時間にはアルバイトで、インターンのための交通費や宿泊費、生活に関する費用を稼ぎました。また、迷惑をかけている実家には、少しでも助けになるように生活費を入れたり家事を手伝ったりしてきました。
休みなく食らいついていった結果、大学時代では行くことさえ叶わなかったインターンシップに参加することができ、同じ夢を持つ同級生たちと切磋琢磨しながら作品を作り上げました。

しかし、ここで問題が起きてしまいました。休みなく勉強、学費のためのバイト、そして参加できるようになったインターンに邁進した結果、気持ちが燃え尽きてしまいました。完全に気持ちが切れてしまった私は、スケッチの練習等も手が進まなくなってしまいました。本来でしたら休みで気持ちがリフレッシュするのですが、ずっと動き続けてきた私は燃え尽きてしまいました。その結果、最も大切な就職活動の時期の実技試験では結果が振るわず、再びデザイナーとしての道が絶たれてしまいました。
また、コロナ禍ということもあり、人との接触も難しい時期でしたので相談できる人もおらず、自分一人で抱え込んでしまい、病みかけてしまいました。
少し休養を取り、回復後は「自動車関係でデザインに携われる会社」という方向で会社選びをしました。自動車関係のデザインの仕事なら、いずれはデザイナーへの転職の可能性が少しでもあるかもしれないと、淡い期待を抱きながら、デジタルモデラーとして前職の会社に入社しました。

② 入社した会社での担当業務と、転職に至ったきっかけ

入社後は、コロナの影響もあり、売り上げが落ちている中でのスタートとなりました。
仕事がないのでOJTもできないとのことで、研修課題を繰り返し行っていました。
1年程経つと徐々に仕事の量が回復し、実務に入ることが多くなりました。
その中で驚いたことは、線一本取っても、1000分の1単位という細かい世界でモデリングをしていることです。また、どんなに有機的な形であっても構成の成り立ちの基礎は変わらない等、立体の考え方を学びました。学生時代に自分がいかに適当に勢いだけで描いていたか、立体の構成を考えていなかったかを考えさせられました。
また、仕事自体もモデラー1人ではできません。関連する法規や要件を理解し、設計の方やデザイナーとコミュニケーションを取りながら理想の形を追い求めていくという、デザインという仕事に携わる上で大切なことを学びました。

入社した時から決めていたこととして、デジタルモデラーとして3年程経験を積んだら、完成車メーカーへ転職をしようと考えていました。完成車メーカーに入社できれば夢であるデザイナーに異動するチャンスがあるかもしれない、年齢的にもそのチャンスは多くないと考え、最低限働いて経験を積んだ後に転職しようと考えていました。
また、奨学金の返済が全額で始まる時のことを考えると、前職の収入ではとても生活していけない等の金銭事情もあり、早い内から転職活動をしようと考えていました。
しかしここでもまた問題が発生しました。配偶者の仕事の関係上、「引っ越しが発生する転職は春しかできない」と言われてしまい、満3年勤務する前に転職活動を始めることになりました。

③    転職活動

転職活動を本格始動させる前から、準備として複数のエージェントサービスに登録して、情報収集を始めていました。
しかし当初の予定より転職時期が前倒しになったことから、実績や成果が足りません。従って、前回の就職試験ではおざなりになってしまった点も分析し、できることは最大限備えて、転職活動を始めました。
その中でも、業界についての情報や面接対策、書類の添削等、(株)エリートネットワークの担当カウンセラーである黒澤佑太郎さんには大変お世話になりました。そのおかげで、可能な限り最大限の準備ができていたのではないかなと感謝しています。

デジタルモデラーとして勤務していたので、転職活動では同様の職種から夢であるデザイナーまで、幅広く探していきました。
その中で、前職の経験を活かせること、可能性があるのなら工業デザイナーとして働けること、前職より年収を上げて奨学金の返済や実家への仕送りの負担を軽減することを大切にしてきました。

非常に厳しい条件でしたが、何社かご紹介して頂き、応募をしながら、面接の対策、企業との本番の面接、面接の反省、改善というサイクルを回し、自分自身のレベルアップを並行して行いました。
その中で個人的に特に大切だと感じたことは、「相手(企業)のことを徹底的に調べ上げ、自分の言葉で説明できるようにすること」、「面接は練習の回数を重ねること」、「自分のやってきたことは胸を張って自信を持って説明すること」です。これらに関しては、黒澤さんからのアドバイスもあり、自信を持って本番の面接に挑むことができました。
結果的には、最終面接まで6社進み、その内3社から内定を頂きました。
その中で、デザイナーとして採用して頂ける会社が唯一あり、夢であった工業デザイナーとして、現在勤務しています。

④    新しい職場にかける意気込みや覚悟

新しい職場で働き始めて1か月経ちました。前職で学んだことだけではまだまだ不十分なので、常に初心の気持ちを忘れないで貪欲に挑戦を続け、採用して良かったと思って頂けるように、そして魅力的なデザインができるように、日々鍛錬に励んでいきたいと思います。

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