【老舗貴金属メーカー】
産業用貴金属製品の開発業務全般
【東証プライム上場 表面処理メーカー】
研究所 海外ユーザーの技術サポート並びに金属材料向け表面処理剤の開発
→海外現地子会社(出向) テクニカルアドバイザー(製造管理・技術指導)
→三大都市圏の営業所 薬剤の法人営業職、技術サポート
神藤 充 氏 41歳 / 男性
学歴:地方公立高校 卒
国立大学 卒
旧帝国大学 大学院 修了
TOEIC 665点
危険物取扱者(甲)
防錆管理士
甲種防火管理者
幼少の頃から漫画や映画の世界に出てくるような科学への憧れがあったため、自ずと理系の道に進みました。
材料工学という一般には馴染みの薄い分野に強い関心を持ったのも、とあるアニメ映画の影響です。
研究室では実験装置を自作したり、測定を自動化するプログラミングをするのが楽しく、時間を忘れて没頭していました。
職人である父の影響もあったと思います。
学業以外ではギター演奏に没頭していました。
あえてサークルなどには所属せず独自にバンドを組んで、演奏のみならず宣伝用のウェブサイト、ポスターなど全て自分達で準備し、精力的に活動していました。
5歳の頃からピアノを始めた私にとって、音楽は一過性の趣味ではなくライフワークの一部になっていたため、所謂多くの方が仰る「社会人になったら辞める」という感覚はありませんでした。
寧ろ社会人になったら金銭的な自由を得ることで音楽をより深く楽しめると期待していたため、いち早く手に職をつけて自立したいという気持ちは強かったと思います。
就職にあたっては上記のような背景から、ものづくりへの関心と、持ち味である自由な発想と凝り性が活かせるであろう研究開発or技術職で就職先を探していました。
その時、所属していた研究室の教授から自身の修論テーマ(鋼のさび層の水分吸着)と関連の深い前職を勧められました。
BtoB企業のため全く知らなかったのですが、よくよく調べてみるとその業界ではトップクラスのシェアと技術力を誇る会社であることがわかり、入社を志願しました。
入社から10年ほどは、希望通り研究所に配属され、自社製品の改良や開発、ユーザーのラインで起こったトラブルの原因究明などに従事していました。
海外出張の機会にも数多く恵まれ、大変やりがいを感じていました。
データの納期が迫っている時は残業と休日出勤もそれなりにありましたが、のめり込む性格のおかげでそれほど辛いとは思ったことはありませんでした。
ところが、数年前に東南アジアの現地法人への海外出向を命じられてから状況が一転しました。
年一度の自己申告で毎回研究職の続投を希望していたにも関わらず、何らの事前調整も無しに海外出向の内示が出ました。
そればかりか、出向先での主な業務は全く経験がない製造管理と、全く取り扱い経験のない製品群の技術フォローでした。
さらにこのタイミングで受諾すると、結婚したばかりの妻に仕事を辞めてもらい海外生活を強いることになるため、受けるべきか否か、大変悩みました。
それでも海外出向は得難い経験であるし、妻も承諾してくれたので辞令を受けることにしました。
何もかも未経験づくしで始まった海外赴任は、予想を超える過酷な日々が続きました。
自身が開発で携わっていた分野ならまだしも、言葉と文化の壁がある中で、日本国内でもその道のエキスパートがいるような高度なノウハウを一から学ぶことは簡単ではなく、非常にしんどい思いをしながら仕事をしていました。
追い討ちをかけるように、コロナウイルスのパンデミックによる一年近い強制自宅待機や行動制限が重なったことでストレスが限界に達し、任期満了を待たずして強制帰国となり、そのまま法人営業職に配属されることになりました。
この時、帰国できた安堵感よりも、自分からは何もできず、ただ会社に指示されるがままになっていることと、またしても一度も希望したことのない営業部門に配属されたことに強い戸惑いと苛立ちを感じていたことを鮮明に覚えています。
多数の顧客企業に対して過不足なく対応することが要求される法人営業職は、凝り性・一点集中型である私の持ち味が殆ど活かせず(寧ろネガティブに捉えられることの方が多かった)、新卒で配属されていれば多少違ったかもしれませんが、職務と自身のパーソナリティとの折り合いがつかないまま無理矢理業務に当たる日々が続きました。
一番悔しかったのは、営業の場で得られた幅広い商品知識こそが、先の海外出向で必須のスキルだったことです。
なぜ法人営業を経験してから出向させてくれなかったのか?と思ったものです。
その結果、海外赴任の時と同様に碌な成果も出せないまま、もどかしい思いを抱えながら仕事を続けていました。
これまでも様々な苦労がありましたが、その時は全て開発業務を遂行する上で自らが克服すべき試練と前向きに捉えることができました。
しかし直近の状況は明らかにそれとは異なり、私にとってはただただ理不尽に感じる受け入れ難いものでした。
このような状況を見つめ直し、今の暮らしが新卒の頃に思い描いていたキャリアプランとは随分違ってしまっていることを再認識しました。
「やりたい業務内容とのズレを誤魔化しながら仕事をしているにも関わらず、業務負荷は高い。 この状況で自分はもちろん、妻と生まれたばかりの娘はこの先を生き生きと暮らしていけるのか?」
「この先も自分自身のキャリアディベロップメントへの配慮がなく、家庭状況も鑑みてくれない突然の異動の可能性に怯えながら働き続けるのか?」
「結婚してすぐ海外移住、日本に戻ってきても馴染みのない土地で初めての子育てに奮闘している妻に負担をかけっぱなしではないか?」
「そういえば、仕事に忙殺されて趣味もしばらく楽しんでないな、そもそも何で今の仕事をしているんだっけ?」
など、様々な思いが頭によぎった末に辿り着いた結論は、
「原点回帰! 好きな仕事に就いて、好きなことをして家族と明るく生きたい!」
というシンプルなものでした。
そして変えるなら40歳になり人生折り返し点に入った今、このタイミングしかない!!と思い立ち、転職活動を始めました。
- 実務経験が活かせる研究・開発職であること
- 勤務地が夫婦共に馴染みのある土地であること
- 少なくとも、ここ数年は転居を伴う転勤の可能性が低いこと
- 海外転勤に際しては、職務内容が明確で、かつ準備期間が十分に確保されている体制が整っていること
製造業で海外転勤が無いことの方が珍しいことは理解しており、また前職での苦い経験からきちんとステップを踏んでもう一度海外にチャレンジしたい思いは少なからずありました。
給与アップが転職の主目的では無いため、希望年収は現行同等、または現収入の1割減を限度としました。
早速、某転職サイトへの登録をすると大量のスカウトメールが届きましたが、機械的にばら撒いていると思えるような見当違いの求人案件が殆どでした。
メール自体はそれらしくても、WEB面談の時に、私の年齢を確認した直後トーンダウンするなど、本気でスカウトする気がなかったのが見え見えの場合もありました。
また、親身に相談に乗ってくださるエージェント様であっても、勤務地はクリアできても営業職しかない、化学分野ではあるが全くの異業種、といった様に、前職の経験が活きる求人ではないこともありました。
実際、前職は大変ニッチな分野なため転職のハードルが高いことは覚悟していました。
そういった状況で半年ほど進展がなかった中、(株)エリートネットワークの転職カウンセラーの篠原様にお声をかけて頂けたのは本当に運が良かったと思います。
篠原様との面談の感触は、それまでのものとは明らかに異なっていました。
レジュメから得られる表面的な情報だけではなく、前職の技術分野、私の人間性、転職理由などから総合的にマッチする企業を選定してくださろうとしている姿勢を強く感じました。
初回のカウンセリング後に頂いた求人案件リストは、これまでのどのエージェント様よりも私の経歴と希望に則したものでした。
また、履歴書の添削、面接リハーサル、先方企業様への私の意向の伝達、内定後のフォローアップ面談のセッティングなど、業務と並行しながら一人では到底やりきれなかったであろう事柄についてきめ細かく対応していただけたのも、大変頼もしかったです。
特に内定後のフォローアップ面談は、入社後の予定、職場の制度、および雰囲気について実務をなさっている方とざっくばらんに話せたことで、自分が働いてるイメージの解像度が各段に上がり、内定受諾の決め手になったと思います。
最終的にはやり取りを始めて約三ヶ月で希望を満たす企業様から内定を頂くことができましたが、やはり年齢と初の転職であることを考えると、独力でこの結果に辿りつくことは無かったと思います。
転職先企業への初出社を目前にして今、非常に晴れやかな気持ちで過ごしています。
それは良かれ悪しかれ、自分で決めて、自分で動いて、自分で人生の舵を切ることができたからだと思います。
転職活動を通じて、それが生きていく上で一番大事なことだと改めて気付かされました。
これからも今の気持ちを忘れずに、新しい職場で邁進していきたいと思います。
改めて私の意向を後押ししてくださったエリートネットワーク篠原様へ御礼申し上げます。
ありがとうございました。