山形県から首都圏へUターン転職した54歳人事マン

山形県から首都圏へUターン転職した54歳人事マン

No.1006
  • 現職

    JASDAQスタンダード上場 介護サービス企業 人事部長

  • 前職

    一部上場 大手自動車メーカー 人事課長補佐
    外資系 コンサルティングファーム バイスプレジデント
    新規事業の育成・支援企業 人事・総務・IT部門責任者
    大手ジェネリック医薬品メーカー 営業部門部長 → 物流部担当部長

寺嶋 賢太 氏 54歳 / 男性

学歴:千葉大学 法経学部 経済学科 卒

新しい職場で働き始めて約1カ月半が経ちました。想像していたよりも忙しく、バタバタとした毎日があっという間に過ぎ去っていったように思います。
忙しい中でもいろいろな課題が見えてきたり、やらなければならないことも徐々に見えてきつつあり、何とか無事に転職先でのスタートが切れたと思っています。
ただ、5年半の単身赴任による家庭生活面でのブランクは大きく、久しぶりの自宅での生活は思った以上に戸惑い?が多いため、こちらの方が職場よりも慣れるのに時間が掛かりそうです。

さて、公私共に少し落ち着きを取り戻してきたところなので、エリートネットワーク転職カウンセラーの杉本さんから依頼をされていました『転職体験記』を書きたいと思います。

今回の転職は54歳と高齢だったことや、転職回数4回と数を重ねてしまっていたこと、前職の職場が「山形県」と地元の首都圏ではない遠い場所からの転職活動だったこと等、かなりハンディキャップを背負っての転職でした。そのため、同じような状況で転職を考えられている皆さんには参考になることも多いのでは、という杉本さんからの勧めもありましたので、改めて転職活動を振り返り、文章にしたためてみることにしました。

【転職の理由とそこに至るまでの背景】

もともと人事マンとしてキャリアを積み重ねてきた自分の強みを、前職で活かすことができる可能性がなくなったからです。
詳細は書きませんが、会社の将来性に不安を感じていたこと、処遇や経営方針に対する不満、その他諸々も積み重なり、これ以上前職に踏み留まってもいいことはないなあと思い始め、それであれば早いタイミングで転職をしようと決意し、活動を始めました。
単身赴任期間も5年半となり、「何のために単身赴任までして働いているか」という意味が見出せなくなっていたことも、転職に踏み切った大きな要因です。

ちなみに、前職はジェネリック医薬品メーカー。
国の政策にも掲げられている後発医薬品使用促進の追い風に乗って急成長していく中で、会社の仕組みも人の成長も追いつかない状況下、営業部門の管理面の強化を目的に管理部門の責任者として5年半前に入社しました。
以来約4年弱、管理部門の部長として日々起こる様々な出来事に向き合ってきましたが、約2年前に物流部門へ異動。昨年12月から山形県にある物流拠点へ赴任しました。

【これまでのキャリア】

1社目。新卒で大手自動車会社に入社。以来約15年、工場や開発部門他で人事・労務業務に従事しました。
その間、自動車市場を取り巻く環境変化に会社が大きく左右され、その栄枯盛衰の中で様々な業務を経験。その範囲は人事・労務領域を超え、企業変革のための各種会社施策にも携わることができました。

2社目。外資系コンサルティング会社に約8年勤務。
先に転職していた自動車会社の先輩からお誘いを受け、自分の経験を活かして、数多くの企業様のお手伝いをしたいという思いから、転職を決意しました。
自動車会社は一般的に、一定の年齢で関連グループ会社に出向・転籍となり、定年を迎えます。出向先には人事部門の先輩が先に出向していますので、同じ会社圏内で生きていくことになります。
自分にはそれが窮屈に感じ、世界を広げたいと思って外に飛び出すことにしたのです。

この時は、管理職一歩手前のタイミングでの転職でした。
人事課長に昇格すると責任が大きくなってしまい、自分の性格上、一度その任を受けたら中途半端に投げ出すことはできないだろうなと感じていましたので、飛び出すタイミングは、その一歩手前しかないと思っていました。
とはいっても、転職するのは自分にとっても大きな決断で、決意するまでの1年半は散々悩み続けました。
コンサルティング会社に移ったタイミングは、社会全体がリストラブームの最中で、最初の数年間はほとんどがリストラ支援の仕事でした。その後、多くの企業が業績回復傾向に転じるのに伴い、業務の中心もポスト・リストラ策の支援に移り、人事制度の設計、人づくりのための仕組みづくりや研修を手掛けてきました。

3社目。起業を専門に行うベンチャー企業に約4年在籍。
外部のコンサルタントとして起業をお手伝いするのではなく、当事者として組織の中に入り込んで仕事がしたいという思いから、転職を致しました。
2社目はガチガチの人事コンサルティング会社ではなく、少し違った切り口からコンサルティングを行う会社だったので、豊富な人事経験を積んだコンサルタントがなかなか入ってこず、体制とサービスの質の向上が進まなかったのも転職に気持ちが傾いた大きな理由の一つでした。

3社目の会社では、起業を管理面からサポートする仕事でしたが、体制も整っていないことも相まってやることが多く、その面では仕事も充実していたのですが、起業のサポートは思うように成果が出ず、実質はリストラ支援が業務の中心になっていたところに、4社目への転職の話が持ち上がったことから、転職に踏み切ったわけです。

4社目。大手ジェネリック医薬品メーカーで前述した通り5年半勤務しました。
もともとコンサルタント時代のクライアントで、人事制度を設計し、研修等も行っていた思い入れもある会社でしたが、組織体制を強化している最中で、昔の縁もあり転職した次第です。
また、自分の作った人事制度がどのように運用され、どのような影響を及ぼしているのかを直接自分の目で確かめたかったという点も大きな転職の動機でした。

【転職を思いついてから転職活動を開始するまでの期間】

転職活動を始めたは今年の2月下旬からです。

実は1月中旬頃、会社の体制が翌4月から変わり、自分のようなラインから外れた部長のほとんどが部長職級から外されるらしい、との情報が入り、妻とも相談した上で転職活動に踏み切ることにしました。
実際に4月から降格となり、給与も大幅ダウンとなってしまいましたので、今回の転職はいいタイミングだったと思っています。

過去の経験から、転職活動には時間も労力もエネルギーも、相当の量が必要だとわかっていました。また過去の活動時に比べて、すべての面で不利な状況だった今回の転職は、余計に苦労すると思っていましたので、そんな激動の日々に突入する覚悟ができるまで少々時間を要しました。
(ちなみに、覚悟を固めるまで約1カ月掛かりました。)

現在の会社に内定をいただいたのが5月1日でしたので、本格的な転職活動は実質2カ月。正直、もう少し時間が掛かると覚悟していましたから、2カ月で転職活動が終了したのは、とてもラッキーだったと思っています。

【具体的な転職活動内容 ①】 <転職サイトへの登録段階>

まず履歴書と職務経歴書を作成し、転職サイトへ登録。転職エージェントから求人案件の紹介を貰ったら中身を確認後に応募し、書類選考が通れば面接に臨む、という定石通りの形で転職活動を進めました。

転職活動の入り口である職務経歴書の作成には、一番エネルギーを使ったと思います。社会人生活が長い分、書きたい事柄も多く、掲載する内容の取捨選択に手間取りましたし、うまくまとめるのにも多くの時間を要しました。

手間が掛かったのは職務経歴書だけでなく、転職サイトへの登録にもかなり手間取りました。転職サイトがそれぞれの運営会社によって異なった様式のため、内容を微妙にアジャストしなければならず、記載量が多ければ多い分、大変だったように記憶しています。
更に、人事労務関係の仕事に従事していたことと、コンサルタントとして様々な企業のデリケートな業務も手掛けていたことから、オープンにすべき内容の選別と記載方法、オープンにして良い企業群の選別等、当たり前のことかもしれませんが神経を使うことも多く、すべての登録作業が完了するまで、かなり時間が掛かりました。

これから転職活動を始める皆さんは、入り口のところでエネルギーをかなり費やされることは、覚悟をされた方がいいのではないでしょうか。
(こんな細かいことは、あまり転職サイトにも出ていませんからね。)

【具体的な転職活動内容 ②】 <応募から面接まで>

転職サイトへのエントリーが終わると、私の公開情報に興味を持たれた数社のエージェントからオファー連絡があり、それらへの登録も併せて行いました。オファーがあったエージェントとはメールや電話でコンタクトをとりながら、求人案件を紹介していただきました。

一般的には、転職サイトにエントリーすると、次は転職エージェントのカウンセラーやコンサルタントと面談を行い、転職理由・条件・スキルセットの棚卸しや紹介企業の方向性等のすり合わせを行う段取りになるかと思います。
しかし今回の転職活動では、カウンセラーと直接会って面談をすることはありませんでした。山形県と少々不便な場所に住んでいたこと、私の年齢の求職者には紹介案件がほとんどない等の理由から、面談を断られたケースもありましたし、お声すら掛からないところもありました。

今回の転職は厳しいだろうと覚悟していたものの、実際に転職活動の入り口である面談を断られたのは、精神的に大きなダメージを受けました。それゆえ、電話やメールでコンタクトしていただけるエージェントにはより丁寧に対応をしましたが、やはり直接会って話をするのと、電話で話をするのとでは、その差は非常に大きかったように思います。

また、前職の本社が大阪にあったのも、若干の向かい風でした。
もともと単身赴任自体は苦にしていませんでしたし、可能性を狭めないためにも全国区で転職先を探してはいましたが、コンタクトしていただけるエージェントは関西地区の拠点や担当者だったりすることが多く、紹介される案件も関西地区のものが多かったように記憶しています。
企業数や転職市場の状況を考えると、もう少し首都圏の情報があってもおかしくなかったように思いましたが、なかなか思い通りの情報が集まってこなかったのもストレスでした。

エージェントを通して20社以上の企業に応募しましたが、ほとんど書類選考を通過することができませんでした。そんな厳しい状況の中で何とか転職まで漕ぎ着けることができたのは、改めて振り返ってみてもラッキーだったと思います。

【具体的な転職活動内容 ③】 <日常の転職活動>

平日は会社から帰宅すると、すぐにパソコンを立ち上げ、メールや登録したサイトで更新情報をチェックしつつエージェントとのやりとりをしたり、追加資料を作成して提出したりしていました。
複数の転職サイトを確認したり、個々に対応したりするのは意外に手間が掛かるもので、あっという間に深夜になってしまうこともありました。単身赴任で、家事も掛け持ちしていたので、余計に時間が掛かっていたのかもしれませんね。

ちなみに、エージェントとの電話連絡等はほとんど平日の昼間になります。なので、職場にいる時は自分のデスクを離れ、近くの会議室や資材保管庫等にこもって対応していました。
転職活動時、最初の頃はまだ部長職でしたし、部長職を外れても「元部長の肩書き」というメリットを最大限活かし、比較的図々しく動いていました。
周囲には「ちょくちょく電話しているなあ」と感じていた人もいたかとは思いますが、ここは自分の大切な人生が掛かっている大事な場面と割り切り、人の目は極力気にしないよう努めました。

前述した通り、決して順調な転職活動ではありませんでしたから、遅々として進まない状況に悶々としたり、諸々考える日々を過ごしたりという2カ月間でした。
たった2カ月なのですが、自分ではとても長く感じたように思います。
そういった意味では、メンタル面でのタフさは必要だったかもしれません。
ともすると心が折れそうになりますからね。

メンタル面の維持という点では、適当に「現場視察」と称して現場をブラブラしたり、現場作業を手伝って気を紛らわしたり、それこそ鼻歌を歌いながら現場の雑務を手伝ったりして、とにかく何があってもくじけない、負けないといったモチベーションの維持に努めていました。
会社休日の土日は、平日やり切れなかった転職活動の続きをしていました。尚、単身赴任先の環境に溶け込み、情が湧くのがイヤだったので、観光やレジャーの類いには一切手を出しませんでした。
(気分転換に、たまに映画を見に行くくらいはしていました。)

【具体的な転職活動内容 ④】 <面接から内定まで>

今回の転職で実際に面接に進んだのは2社です。そのうちの1社から内定をいただき、そこに決めたわけですが、その2社ともエリートネットワークさんから紹介された求人案件でした。

エリートネットワークさんは、以前ベンチャー企業に勤めていた際に、何人も人材を紹介していただいた実績があり、杉本さんとのお付き合いはその時からのものです。
今回、転職を決意した際にも真っ先に相談をさせていただきました。
自分のこれまでのキャリアと志向をご存じだった杉本さんだからこそ、今回の転職先の会社を含め、適切な案件をご紹介いただけたと思いますし、安心して求人案件に応募し、内定にまで漕ぎ着けられたのではないかと思っています。

そういった意味でも、エージェントに実際に会ってお話しをして、活動を進めることは大切だと思いますし、それがエリートネットワークさんと他のエージェントとの実績、結果の違いになったのではないかと実感しています。

今回の転職活動の中で一番私を勇気づけてくれたのは、杉本さんとメールのやりとりをする中でいただいた、「これからも、最後迄、責任持って、お手伝いさせていただきますので、ご安心下さいませ。」という文言でした。
書類選考や面接を通過しなかったお知らせをいただくメールには必ず上記の文言が付記されていました。ただでさえ、うまく転職活動が進んでおらず、他のエージェントとは電話とメールでの簡単なコミュニケーションだけの状態だったところに、このような力強いお言葉を掛けていただいたお蔭で、どれだけ勇気づけられたかは、言葉で表すことができないほどです。

【地元から離れた遠隔地での転職活動と人材紹介エージェント】

今回の転職活動では、面接数はそんなに多くなく、場所はすべて東京でした。
山形県在住の私にとっては東京での面接は時間もお金も掛かるもので、その負担も決して少なくはありませんでした。
それだけに面接は極力月曜日か、週末の金曜日の帰郷のタイミングに合わせられるようにエージェント(結果的には、すべてエリートネットワークの杉本さんでしたが)へ調整をお願いしていました。

山形⇔東京間は飛行機か新幹線での移動となりますが、飛行機は1日3便しかなく、天候による欠航もこれまでに何度か経験をしていたので、万が一欠航になっても大丈夫な余裕のある時にしか使用せず、それ以外は新幹線での移動にしていました。
山形空港からJRの山形駅までは車で1時間くらい掛かるので、臨機応変な対応にも限界があり、帰郷の交通手段についても、神経を使いました。
特に、面接時刻ギリギリでの移動は心と身体の準備ができませんし、ましてや我々シニア世代でそのリスクテイクができない人物は、企業サイドから見ればアウトだと思うでしょうから、その辺はかなり気をつけていたつもりです。

前述の通り、紹介していただく求人案件に偏りが出やすかったり、エージェントとのコミュニケーションも図りにくかったり、面接に出向くにもコストと時間が掛かり、しかも会社が終わっての平日の面接等は望むべくもなかった状況を振り返ると、地元が首都圏の人間が地方勤務になった後、再び首都圏に戻るような転職活動をするのは、かなり大変なことだと思います。
だからこそ、しっかりとサポートしていただけるエージェントとの出会いは重要で、今回、エリートネットワークさんという力強いパートナーがいた私はとても幸運だったと思いますし、改めて感謝を申し上げます。

読者の方から見れば「やけにエリートネットワークさんにおべっかを使っているなあ」と、思われるかもしれませんが、決してそんなつもりはありません。きっと皆さんも、一人でこんな状況に追い込まれたら、私と同じように実感するのではないでしょうか。

限られた経験ではありますが、私の経験が少しでもお役に立てればと思います。
お悩みの方はエリートネットワークさんにお問い合わせされることをお薦めします。

皆さん、頑張って下さいませ。

以上

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