一部上場 カー用品小売チェーン 事業開発部 プロジェクトリーダー
世界四大監査法人(フランス法人) ジャパンデスク 副責任者
永島 正司 氏 55歳 / 男性
学歴:早稲田大学 第一文学部 日本文学専修 卒
日商簿記2級
米国公認会計士 USCPA (イリノイ州)
私は子供の頃から海外に興味を持って英語に馴染んでおり、学校での英語も得意な方であったことから、いつか外国に住んでみたいな、と漠然とした思いを持っていました。
大学では日本文学を専門にしていましたが、英語への親しみは続いていました。3年生の夏休みにはクラスの友人と2人でアメリカ大陸をグレイハウンドバスで横断し、日本に戻ってくるとFEN(Far East Network:米軍極東放送網)の英語を聞いて分かるようになっていました。この頃には、やはり外国に行くには自分の国である日本のことを良く知らないといけない、と言うことも分かるようになりました。
また、高校時代からバイクに乗り、大学でもツーリングクラブに所属し、北海道から九州まで10万キロ、日本中を走り回る程バイクが好きだったので、卒業後は自らの地元企業であり、国際的企業でもある輸送用機器メーカーに入社しました。
同社では神奈川・北海道の営業所や販売会社本店および本社での勤務を通じ、バイクの営業、国内販売会社全社をとりまとめる経営管理・経営企画や営業所への内部監査、販売法務、経理・税務の実務を経験しました。また、販売会社の経理業務担当時には、日商簿記2級を取得しました。
35歳を目前とした頃、応募上限年齢に近づいていたこともあり、海外駐在員試験を受けることとしました。しかし最終試験を受ける前に本社工場である製造本部に配属されることとなり、フランス工場駐在候補としてそこで原価管理業務の実務を経験し、ノウハウを習得することになりました。
その後、得た知識と経験をもとに、1998年にフランス工場へ転勤になりました。
フランス工場のある北フランスの町はサトウダイコンやジャガイモの畑か森ばかりの、地平線まで見渡せる田舎の大地でした。そこで居を構えた近くの村は1000人足らずの人口で、ローマ時代からの砦跡も残る、長い歴史のある村でした。
フランス語も話せない私たち夫婦を村の人々は温かく受け入れてくれ、村長さんもいつも挨拶をしてくれる程の特別待遇を受けました。また、自分の子供の頃のような、昔の田舎らしさの残る村の生活はとても懐かしく、異国の地とは思えない程の居心地の良さを感じました。
家内も、言葉が分からなくても見よう見まねでできるエアロビやフランス額装(Encadrement)、アンティーク家具の修復等の習い事をし、村の人々は優しく教えてくれるようでした。また、日々の生活でいろいろと助けてくれることもあり、夫婦共々この土地での生活に感動と愛着を覚えていました。
4年間の駐在勤務後、日本への帰任命令とNY市場上場プロジェクトへのアサインの命を受けました。しかし、家内がフランスに残りたいと言い出し、私自身も後ろ髪を引かれる思いでしたので、約1ヶ月間、家の2階の窓から近くの丘の上に立つ村の教会を眺めながら悩んだ末、フランスに残るために退職を決意しました。
ちょうどその年から、退職金が定年間近になればなる程有利になる2次曲線カーブではなく、勤務年数に比例して支給されるようになったことと、その少し前から例年募集していた早期退職制度もあり、まとまった金額の退職金を受け取れるようになったことも私の決意を後押ししました。
退職にあたり、その後の仕事はどうしようかと悩んでいたところ、家内が米国公認会計士(USCPA)と言う資格があると教えてくれました。調べてみると、アメリカに住んでいない日本人でも取得可能なことや、日本の公認会計士資格よりも合格しやすいこと等が分かり、私自身も経理や税務、内部監査業務を前職時代に経験し、駐在生活で英語や英文会計にも慣れていたことから手ごたえを感じ、USCPA資格取得への挑戦を検討し始めました。
会社に退職の決意を報告する前に、当時フランス工場の担当監査法人のジャパンデスクの日本人の方に相談し、USCPA資格を取得したら採用してもらえるか、と尋ねたところ、「採用のスタート地点には立てる」との言葉をもらい、本気で挑戦をすることにしました。
退職を機にそれまでの社宅から自分で借りた家に引っ越し、最初の半年間は1日12時間、週に6日間勉強をしました。シカゴに行って最初の試験に臨んだところ、4科目のうちの3科目に合格して科目合格ができたので、次の半年では1科目だけ勉強をすれば良く、生活にも精神的にも余裕ができ、時間も体力もお金もあり、フランスでの生活を十全に楽しむことができました。
2度目の試験で無事公認会計士(USCPA)に合格し、あらためて前述の監査法人の方に報告をしたところ、「他の監査法人には応募していませんよね?」と再確認の言葉を頂き、無事就職となりました。
同法人ではジャパンデスクの後継者として12年半勤務し、世界でもBIG4と呼ばれる国際監査法人に勤め、お客様である日系企業を専門知識でサポートする仕事に、やり甲斐と喜びを感じていました。
また夏は約1ヶ月、冬は2週間とその他の連続休暇を含む年間7週間の有給休暇をエンジョイし、当時2台持っていたイタリア製のオープンカーとスポーツワゴンでイギリスとイタリアの1周ツーリングやチェコやドイツ、ベルギー、オランダその他の国等、ポーランドからスペインまでヨーロッパ中を50万キロ以上走り回り、各国でTVRやJaguar、フェラーリやポルシェ、BMW等の車の工場や博物館を訪れ、ヨーロッパを満喫しました。
ところが、その後上司となったフランス人監査パ-トナーから、それまで私が行ってきた会計・監査・税務・法務・コンサルティングや内部統制、M&A等、全ての提供可能なサービスの支援は、今後彼自身の監査クライアントへの支援や獲得業務しか認めないとの通告を受けました。そして次第に、今まで行ってきた支援活動や営業活動を行うことが難しい環境となり、とうとう彼は私のお客様である日系企業との関係維持や出会いの場である在仏日本商工会議所からの退所を決定したのです。それに異を唱えたところ、翌週には解雇通知を受け取ることになりました。
私自身お客様企業の従業員解雇のお手伝いをしてきましたので、解雇のプロセスや必要な理由・事由は承知しており、解雇手続きも法律に沿ったものと理解できました。しかし、解雇事由は脆弱で不当であると感じていたために法的対応をとることとし、現在は来年の判決を待っている状況です。
解雇手続きと並行して転職活動を始め、最初は以前相談をしたことがあるヨーロッパ系のヘッドハンティング事務所に連絡をしたところ、「それは弊事務所でのフランスにおけるジャパンデスクのご提案ですか?」との返事をもらいました。「そんな可能性があるのか!」と喜び、日本とフランスの事務所にも訪問をして現地法人社長と面接をしましたが、その後当時その事務所では日系企業クライアントは減少の方向であって投資意欲が乏しいことが判明し、採用には至りませんでした。
これを起点に、いよいよ本格的に転職活動を開始し、10社以上の人材紹介会社に登録をしました。担当カウンセラーの方々とスカイプでの面談を行い、紹介される会社に応募をしましたが、なかなか書類選考を通過できる会社はありませんでした。
並行して他の大手国際会計事務所の日本とフランス事務所にも直接履歴書を送り、それぞれに面接まで行って頂きましたが、まだBIG4程は国際的戦略や方向性が煮詰まっていない、とのことで採用には至りませんでした。
多くの日本の人材紹介会社と相談をするなかで、外資系やグローバルな求人に強い会社や弱い会社、希望やキャリアに合わない求人を紹介してくる人材会社等が少なくないことを感じ、自分に合った人材紹介会社に絞って相談をした方が良いな、と悟りました。そこで、定型的業務のみが自動的に送られてくる会社は重視しないことにしました。
今までの個人的ネットワークからも海外関係に強い知人・友人に相談し、6社程のヨーロッパ現地系の人材紹介会社を教えてもらい、応募や相談をしましたが、やはり私の特殊なキャリアでは、すぐに当てはまるような日系企業のヨーロッパ拠点での求人は見つかりませんでした。
転職活動をするうちに、日本の人材紹介会社でもヨーロッパに拠点を持つ会社がいくつかあること、そして日本の会社への登録情報は自動的にはその現地の会社には共有されないということを発見し、あらためてフランスやイギリス、ドイツ、ルクセンブルグの子会社に登録をしました。
そのうちの1社はすぐに日系企業の英国・米国・オーストラリア子会社の責任者のポストを紹介してくれ、スカイプで現地法人の社長・経営陣との面接をしました。現地法人社長は推してくれたのですが、会社のオーナーである日本の会長からはOKが出ず、採用には至りませんでした。
その人材会社からはもう1社、日系大手商社のロンドン子会社の日本人社長のサポートのポストの紹介を受け、スカイプでの面接を受けましたが、他に日本語が堪能な英国人の候補者が見つかったとのことで、こちらも流れてしまいました。
本格的に転職活動を始めてからこの時点で既に3ヶ月、解雇の時点からは半年以上が経過していました。書類選考を通過する会社が少ないこと等、具体的な成果が出ないことから、やはりフランスやヨーロッパに残るのは難しいかもしれないと感じはじめ、真剣に日本での求人も探すことにしました。
それまで不採用であった面接から、会社の求めるスキルや人材は、経理なら経理業務における数十年の経験等、募集のポストの実務に長く従事していることや、組織や拠点のマネージメント経験を持つこと等を求められていると感じました。これを踏まえ、あらためて履歴書や職務経歴書の表現を見直し、実際に自分が経験・従事してきたことや強味がはっきりと分かりやすい表現に直して登録をし直しました。
その成果なのか、少しずつ書類選考を通過する会社が現れ始めました。東京の税務コンサルティング事務所や、予想外であった神奈川のドメスティックな税理士事務所、同時にフランスの人材会社からもフランス法人の責任者ポストの紹介があり、それぞれ選考が進んでいました。
そんな時、別の展開をと思い、あらためて海外関係、外資関係、プロフェッショナル関係に強い人材紹介会社を検索し、ここで出会ったのが(株)エリートネットワークさんでした。
登録するとすぐに返事があり、スカイプ面談を受けたところ、担当の転職カウンセラー、高橋さんは私と同じ年齢であり、私の話も共感を持って良く聞いてもらえるためにすぐに馴染んだような気がし、ざっくばらんに私の今までのキャリアと転職活動の話ができました。
面談の際には、私も自信のある内部統制関係のポストがいくつかある、とのお話を頂いており、具体的なご紹介を楽しみにしていました。
その後数日で、今回入社することとなった企業の、買収時における法務DDの管理リーダー、と言うポストのご紹介を頂きました。最初の内部統制のポストはどうなったのかな?と疑問は持ちましたが、求人票の内容を読むと、私の知識と経験でも十分にやれそうな職務内容でしたので、即日で応募の返事をしました。すると、またすぐに役員とのスカイプ面接のスケジュール調整のお話を頂きました。
早速可能な日程のお返事をし、翌週にスカイプ面接が確定しました。まずは役員ではなく、人事部長の方との面接と言うことで、少しハードルが下がったような気がしてホッとし、面接に臨みました。
同社は以前より前監査法人のクライアントで、日本の本社への訪問の経験等により監査役や事業部の方々と面識がありました。フランスでも現地人マネージメントの方々や駐在員を含め、会社の方を数十人存じ上げており、また業種も私の大好きな車関連と言うことで、面接の日が待ち遠しく感じる程自分のできることや提案等のアイデアが沸き上がってきて仕方がありませんでした。
当日の面接は、まずは今までのキャリアの説明よりもなによりも、自分が大変に車・バイク好きであることで盛り上がり、先方とも若い頃の少しやんちゃな頃の話題も合い、是非そんな皆さんとご一緒にお仕事をさせて頂きたい、とアピールしてしまいました。
その後業務のご説明があり、私の経験を説明したところ、納得して大きく頷かれ、メモを取られる様子がありました。
無事最初の面接も終わり、高橋さんにご連絡をしたところ、なんとその2日後に2次面接のご提案を頂きました。まさかそんなに早くお返事が頂けるとは思いもよらず、以前から旅行の予定もありましたので、面接を翌週に延期して頂きました。
2次面接は担当役員の方との面接でしたが、既に人事部長からお話があったようで、面接の最初から好印象を持って頂けたような感触がありました。会社や関連取引先も前監査法人のクライアントとのことで「ご縁があって」とのお言葉も頂き、まだ入社前にも関わらず、会社の現状と問題等をざっくばらんにお話頂いたことで、私自身を信用して頂けたのかな?と感じました。
そして翌日には内定のご連絡を頂き、後は待遇条件の交渉をするだけの段階となりました。これまで約1年間、なかなか進展もなく、くじけかけていたのに、こんなに素早くお話が進んだことには驚きを感じました。
待遇条件の交渉には、その時他に東京のコンサルティング事務所と、フランス法人の責任者とも交渉中であることを高橋さんに包み隠さずに相談をし、第三者からの的確で妥当なアドバイスを頂きました。報酬も特に金額だけにはこだわらず、業務内容や社会への貢献ができるかどうかといった遣り甲斐を重視する旨を説明しましたが、結果的には提示の範囲内の最上限の条件に加え、フランスからの引越費用の上限半額の負担と船便で家財道具が着くまでの3ヶ月間の借上げ社宅の提供の条件まで引き出して頂き、大変感謝しております。
無事引っ越しも終わり、新しい会社に入社してみると、やはり思っていたようなアットホームな雰囲気の会社でした。社内で困っているとすぐに誰かが声を掛けて助けて下さる様子には、あらためて良い会社に入社できたな、とホッとしています。
早速大きなミッションをもらいましたが、プロジェクトの説明を受けると、行程やトランザクションのイメージが湧き、私からの返答や疑問もキーとなるものであるようで、これからの業務遂行を自信を持って行うことができるという確信を持ちました。
あらためてエリートネットワーク社、そして同社の転職カウンセラーの高橋さんに感謝致します。
本当にお世話になりました。ありがとうございました。