一部上場 モビリティーサービス最大手企業 経営企画部 経営企画担当
メガバンク 地方都市の営業店 法人営業
医療・介護系ベンチャー 投資先 代表取締役社長
秋山 俊和 氏 26歳 / 男性
学歴:栃木県立 真岡高等学校 卒
北海道大学 経済学部 経済学科 卒
体育会野球部 卒部
証券外務員
生命保険募集人
損害保険募集人
2級ファイナンシャル・プランニング技能士
この度、エリートネットワークの転職カウンセラー高橋様にご尽力いただき、納得のいく転職をすることができました。誠にありがとうございました。私のように銀行から事業会社の代表になり、その後また転職というキャリアを歩む方は少ないと思いますが、少しでも、今転職を考えている方々への励ましになればと思い、この文章を執筆致します。
■銀行で歩んだキャリア
2015年4月にメガバンクに入行し、地方都市S支店にて2年半法人営業を経験した。ここではお客様に恵まれ、毎期優秀賞を獲得するだけでなく、同期500人のうち5人しか受賞できない常務賞も受賞。個人運用取引キャンペーンで同期中1位になるなど、今でも少し自慢できる営業成績を残した。自分より営業ができる人はいないと本気で思っていた。
思い返すと本当に有意義で幸せな時間を過ごさせてもらった。新人の時は右も左も分からず、“社会人とは言えない” などと罵倒されたこともあったが、最終的には人に恵まれ、いい経験を多くさせてもらった。
営業成績が認められ、2017年10月に人事部に異動し、新卒の採用活動に携わった。若手が30人ほど一斉に集められ、9か月後に一斉に現場に戻るという仕組みで新卒採用チームは組成されていた。
9か月間ひたすら採用業務を行った後、2018年7月に都内O支店に異動。大企業を担当し、ある業界で世界トップシェアの商材を扱う企業や新しいPOSシステムを開発する企業など幅広い業種を担当することになったが、S支店で味わった業務の楽しさ、苦労して目標を達成した時の喜びを味わうことができず、悶々とした時間を過ごしていた。この時の思いが1回目の転職を決意させることとなる。
■一度目の転職
2018年9月。東京で働く私のもとに一本の電話が入った。名前を見ると人事部で一番お世話になった先輩からであった。この先輩は人事部への若手一斉異動の前に元々担当していたH社(医療・介護系ベンチャー企業)から引き抜かれ、そこで働いていた。話を聞くとH社が私の出身大学近くのS病院を買収することになったので、現場とH社の懸け橋として、買収後にS病院のMS法人の代表取締役社長になってほしいとの話であった。年商70億円近い企業の代表に弱冠26歳の私が就くことに躊躇がなかったわけではないが、銀行に対する悶々とした気持ちが圧倒的に強く、1回目の転職を決意するに至った。
■代表取締役社長として
2018年11月より社長として勤務することになった。これまで事業会社で働いた経験がなかったため、1日1日の業務が新鮮であった。予算の作成や予実管理、銀行向けの資料作成、人事労務関連手続きや新規介護施設出店に伴う行政とのやり取りなど、経験したことのない業務に毎日楽しさを感じていた。
ただ、楽しい時間はそう長く続かなかった。当初は私ともう一人の社員で現場を仕切っていたのだが、H社会長の息子が現場に顔を出すようになったのである。その息子がなぜか現場の指揮を執らせろと口を出すようになり(だったらなぜ私を引き抜いた?)、息子の息のかかった従業員3人をS病院に派遣してきたのであった。その後、会長からも「あまり現場のことは見なくていいので、数字だけ管理して」と言われた。私は社長でありながら、ほぼなんの権限も持たない事務屋となった。
そんな折、S病院の社員5人から一度面談をしてほしいと連絡があった。私は会長から現場を見るなと指示を受けていたため、業務時間外に喫茶店で5人の話を聞くことにした。聞くと、息子から派遣された社員の態度があまりに横柄かつ高圧的で、まるで「人を物のように扱う」と言うのである。ある社員は私に相談しながら泣き出してしまった。あの時見た「やるせなさ」や「憎しみ」を表した表情は一生忘れられないと思う。
話が脱線したが、その時の話を派遣されてきた3人に話した。何が現場で起こっているか分からないが、現場から上がっている意見をありのままに伝えた。
話をすればS病院の意見や私の気持ちも理解してもらえると思っていた。そんな私の思いに反し「あなたはどっちの味方なんだ?」と詰め寄られることとなった。このことが火種となり、私はS病院とH社の間で板挟みになってしまった。H社から派遣された人間は元の従業員の意見を全く聞かず、自分たちの意見ばかりを言い、挙句の果てに私をS病院から追い出そうとしたのである。
■途方に暮れ
2019年2月。私は途方に暮れていた。自分の無力さ、自分がもっと強ければS病院の人たちを守れたのではないか。今となってはどうしようもなかったと割り切れるが、この時期は強くそう思っていた。H社の中には、先輩を始め私を庇ってくれる人が沢山いた。ただ、もうこれ以上H社では働きたくないと自分自身の気持ちが固まってしまっていた。
■転職活動開始
H社に辞意を伝えたその日から転職エージェントに会った。総勢15人ほど、今考えればここまでの人数に会う必要はなかったのかもしれないが、自分の考えを固めていくにあたって必要なステップだったと思っている。そんな中、あるエージェントに紹介された企業に出向いたところ、その企業の面接官が偶然大学の同窓であった。その方に「大学の同窓に高橋さんという方がいるから、相談してみたらいいよ」と紹介いただき、後日すぐに高橋さんに会うことになった。
■高橋さんとの出会い
1度目の面談の時、私がこれまでやってきたことの深掘り、そして今後の転職活動における心得、面接の取り組み方など全ていちから教えてもらった。他のエージェントはこちらから希望した企業の人事との面接を急いでセットしてくるが、高橋さんはこちらの考えを基に企業を選択し、提示してくれた。また「転職は長期戦になるから、3か月は活動することを覚悟しなさい。職に6か月就いていなくても転職で不利にはならないから」と焦って一刻も早く転職先を見つけようとしていた自分に、しっかりと考え抜いて意思決定することの大切さを気づかせてくれた。転職自体がゴールではない、今後の人生をより豊かなものにすることがゴールなのであると。
■高橋さんに出会えて良かった
高橋さんの凄みは企業とのリレーションが強く、仕事が丁寧であること、常にこちらのことを考えながら行動に移してくれる点である。高橋さんだからこそ、今の会社に入れたと思うし、高橋さんだからこそ、満足のいく転職活動をすることができたと言っても過言ではない。
特に驚いたのは、面接企業1社1社に対し、A4用紙いっぱいの推薦状を書いてくれていたこと。私は企業との面接中にこのことに気づいたのだが、ここまできめ細やかに一つ一つの面接をフォローしてくれるエージェントは他にいないと思う。
高橋さんのバックアップのおかげで一部上場企業の経営企画部門に転職することになった。元々は法人営業をしたいと思っていたが、最終的には今までしたことのない仕事をして自分の可能性を試したいと考えて決断した。企画業務にガッツリと取り組んだことはないので、正直なところ不安もあるが、ここでまた一つ成長すべく、日々仕事に邁進していきたい。
■好きこそ物の上手なれ
私の座右の銘であり、転職を考えている方々に一番届けたい言葉です。これから、社会は変わります。日本では年功序列、終身雇用が当たり前とされてきましたが、日系企業で最も自己資本の厚いトヨタですら終身雇用を守れないと公言しているので、これからはサラリーマンとして企業の中で働くという考えより、一人の人間として“社会の中で働く”という考えになっていくと思います。つまり、企業の看板で食べていく時代は終わるということです。そうなると普段から努力して自分自身のスキルを上げておく必要がありますが、スキルが最大限に上がるのは自分の好きなことをしている時だと思います。嫌々仕事をしているならすぐに辞めて新しい仕事を探すべきです。そして、好きだと思える仕事に時間を割きましょう。人生は短いし、これから社会は大きく変わっていくのですから。