一部上場 財閥系 総合不動産デベロッパー 総合職
一部上場 大手完成車メーカー 自動運転モビリティサービス事業開発
渋川 春海 氏 39歳 / 男性
学歴:東京理科大学大学院 工学研究科 建築学専攻 修了
ドイツ留学(ヴィスマール専門大学大学院 建築照明デザイン)
TOEIC 925点
(株)エリートネットワーク様で転職のサポートを頂き、不動産デベロッパーで働く機会を頂きました。つくづく、仕事とはご縁とタイミングだなと思います。
お世話になった転職カウンセラーの高橋さんからご依頼頂き、この『転職体験記』を記させて頂きます。他の方の参考になるような、胸を張れるキャリアではありませんが、私のようなケースもあるということで、これから転職を検討される方が肩の力を抜いて活動頂くためにも、ご覧頂けますと幸いです。
2000~2006年 理系の大学・大学院にて建築学を専攻
2006~2014年 日系IT企業のシンクタンクにてITコンサルタント
2014~2016年 アメリカ・シリコンバレーにて事業開発
2016~2020年 自動車メーカーにて社内コンサルタント、モビリティサービスの事業開発
私は理系の大学・大学院で建築を学びました。大学院では、ドイツ留学やコンサルティング会社でのインターン・アルバイトなどを経験したことが自分の仕事に対する価値観に大きく影響しています。その後、新卒で日系IT企業のコンサルタント職につき、シンクタンクへの出向を含め約10年間働きました。その中で、アメリカのシリコンバレーに駐在し、事業開発を担当したことがきっかけとなり、自動車メーカーに転職しました。
自動車メーカーでは、社内コンサルティングや自動運転モビリティサービスの事業開発を担当していましたが、この度、2回目の転職として不動産デベロッパーで内定を頂きました。不動産デベロッパーは、転職活動を開始した際に想定した業界・会社ではありません。高橋さんからのご紹介をきっかけに、当該企業の人事部の方々などとお話させて頂き、これからの自分のキャリアとして面白い場になると感じ、入社の決心をした次第です。
振り返ってみると①海外留学を経て理系にも関わらずコンサルタントになった、②シリコンバレー駐在で事業開発に進んだ、③自動車メーカーで新規事業開発を担った、それぞれが転機になって、この結果につながっています。
今回は自分のこれまでのキャリアを紐解き、不動産デベロッパーに進むことになった経緯をお伝えしたいと思います。
新卒で日系IT企業に入社した理由は、コンサルティングと海外向けビジネスの両方の経験を実現するためでした。
中学・高校・大学と日本からほぼ出たことがない私でしたが、大学院でのドイツ留学がきっかけとなり、いつか海外で働きたいと思うようになりました。一方で知識・経験がない、そして当時、ドイツ語はもとより、まったく英語も喋れなかった私が、海外でビジネスをするためには、海外にない強い製品・サービスをもつ日系企業で経験を積むことでチャンスを得るしかないと考えました。
同時に、インターンやアルバイトでコンサルティングという仕事に興味をもちました。その日系IT企業は、海外売上比率が高い会社でコンサルティングの部署があったため、この会社で日本発のグローバルビジネスとコンサルティングの両方ができるという仮説をもとに目指してみようと思ったのが理由です。
日系IT企業では、ITやコンサルティングには深く関われたものの、「グローバルビジネスの経験」という希望を実現するには数年かかりました。
最初の3年はデジタルマーケティングのコンサルティング、次の5年間は官公庁向けコンサルティングを行いました。この8年間、ごく稀に海外との電話会議などはあったものの、海外出張経験は1度もありません。同じプロジェクト・部署の人は海外駐在や海外出張の機会が多かったのですが、私自身にはその機会は巡ってこず、非常に悔しい思いをした期間でした。
しかし、離脱者続出の厳しいプロジェクトで最後まで逃げ出さず取り組んだ実績を評価され、常務の後押もあり、会社として初めてアメリカに駐在を出す際に、その第1号に選ばれ、アメリカのシリコンバレーに駐在となりました。海外駐在の話は社内でも社長と関係者しか知らず、それに選ばれたのはまさに青天の霹靂でした。海外出張もしたことがない人間をいきなり海外駐在とする珍しい人選だったと思います。
その後1年6か月現地に駐在し、帰国後は出張ベースでほぼ毎月アメリカで仕事をしていました。実は駐在員に選ばれる前、大規模プロジェクトも終わったことから新しい機会を求めて転職活動をし、あるコンサルティング会社からアジア金融市場開拓ポジションで、大幅な給与アップとなるオファーを頂きました。しかし、IT業界にいてシリコンバレーで働ける機会は人生経験として魅力だったため、このオファーを断り、シリコンバレーに渡りました。
シリコンバレーでは、日本でも未経験の市場調査と事業開発というミッションでしたが、ゼロからの立ち上げだったのが逆に幸いしました。日本では大企業の中での調整に多くの時間を割かれましたが、シリコンバレーでは全て自分で企画して社外の人脈を開拓し、提案して実行していくという非常にエキサイティングな毎日を過ごしました。日本から毎日リクエストを受けながら、現地の企業をドアノックし続け、大手企業のCEOでも1回は会ってくれるオープンマインドな環境にも救われました。
シリコンバレーは、車で1時間あまりの地域に世界各地から投資家、エンジニア、企業が集まる地域で、様々な社外のプレーヤーと頻繁に議論する機会があり、そのスピード感が自分のアイディアを磨くことに繋がっています。ステークホルダーマネジメント・ファシリテーション能力というコンサルティングの中で身につけたスキルをもとに、現地で社外の人脈・コミュニティを形成し、そこから日本とアメリカを横断した事業開発につなげるという実績と経験も得ました。ここで私が立ち上げたサービスのプロトタイプや企画が、その後、日系IT企業のオープンイノベーションのサービスとして柱になってくるなど、短期間ながら一定の成果は残せたと自負しています。
一方で、シリコンバレーで働いていたことで感じた挫折、ターニングポイントとなったこともあります。私はシリコンバレーに行くまで、コンサルタントとしての経験しかありませんでした。コンサルタントの価値の本質は第三者性にあり、自分でリスクをとって意思決定する立場ではありません。
一方で、新しいビジネスをつくるシリコンバレーでは、世の中にインパクトを残す新しい製品・サービスは過去に捕らわれず未来を志向して作られたものであり、過去や外部情報をもとに考えるコンサルタントのような立場ではそれを実行することが難しいと感じました。
初めての海外ビジネスとしてシリコンバレーで一定の成果を出せたという自信と、コンサルタントとしての立場の限界を感じながら帰国し、自然と新しい環境でチャレンジしたいと思うようになりました。何より当事者としてグローバルマーケットで事業を作っていきたいという思いから、事業開発を軸に様々な業界を検討し、最終的に日本に本社のある自動車メーカーに転職しました。
自動車メーカーはコンサルタントとしても経験のない異業種だったため、最初は社長室のような部署で社内の戦略コンサルタントとして働き、事業戦略の策定や組織改革を行いながら、自動車ビジネスについて理解を深めました。そんな中、自動車産業は100年に1度の変革期となりモビリティサービスへの関心が社内でも高まっていました。
私のIT業界における経験、シリコンバレーでの経験、コンサルタントとしての戦略策定の能力が評価され、新たに立ち上がったモビリティサービスの部署に異動し、事業開発を担当することになりました。担当した自動運転モビリティサービスは、まさにゼロからの立ち上げ期であり、尊敬する上司にも恵まれ、事業戦略からビジネスプランの策定、数百億円規模のスタートアップ投資など様々なことにチャレンジさせてもらい非常に楽しい毎日でした。
自動車メーカーでの3年半を過ごす中で、改めて別の会社で働くことを考えたのは、社内の環境変化が大きな理由です。トップマネジメントが代わり、投資や事業の意思決定が停滞し、新規事業であるモビリティサービスのパートナーシップも社内事情で進まないことも多くなりました。さらに本業の自動車製造・販売事業の収益面での厳しさが重なって、役員からミドルマネジメントが全て短期的視点の活動に移行し、中長期のモビリティサービスへの積極的なサポートを得られなくなりました。
自動運転モビリティサービスは世の中に大きな変革を起こす分野であり、その最前線の仕事にやりがいはありましたが、改めて自分の能力を活かし、結果に繋げることを目指せる場所を求め、別の環境に目を向けるようになりました。
そんな中、エリートネットワークの高橋さんには、転職サイトに紹介されていた総合商社のモビリティサービス部門の募集でコンタクトを取らせて頂きました。ただ、当該企業は、最終的には、新型コロナウイルスによる影響で、面接の途中で採用中止となってしまいました。
実は、このポジションは一度枠が埋まっていたものの、高橋さんが私の経歴もとに先方に提案してくださり、先方から「ぜひ会って話をしたい」と、新たに機会を作って頂いたものでした。これだけ洞察力や企業とのパイプがあるエージェントというのは稀だと思い、非常に力のあるエージェントさんだな、と感じた次第です。
総合商社以外でも、私の志向に合う企業があればご紹介頂きたいと高橋さんにご相談したところ、今回ご縁を頂いた不動産デベロッパーをご提案頂きました。総合職(デジタルマーケティング・IoT人材)という募集要項を見ただけでは具体的な業務がイメージ出来なかったのですが、面接でその会社がスコープに入れているテーマを伺った際、自身の経験を掛け合わせて実行できる仕事の可能性・スケールの大きさを感じ、ぜひこの会社を舞台に働きたいと思うようになりました。
この不動産デベロッパーは、中期経営計画で、本業の街づくりの強化、テクノロジー、海外展開の3つを柱に掲げています。私は、IT業界での経験と自動車産業というアセットヘビーな事業をテクノロジーでサービスと融合させた経験があり、さらに日本発のグローバルビジネスを当事者として牽引していきたいという思いがあったため、まさに面白いフェーズにあると感じました。元々、大学時代に建築や都市計画に進んだのも、世の中や人々の生活に強い影響を与えられるところに魅力を感じていたため、不動産デベロッパーで、街づくりを通して、自分の経験を活かせるというのはこれからの長期的なキャリアに合っていると考えました。
不動産デベロッパーへの転職というのは当初プランにはなかったものですが、振り返ってみると、これまでの自分のスキル・経験も活かしながら、これからのキャリアを築いていく上でワクワクする素晴らしい機会だと捉えています。この記事を執筆しているのは、転職先での就業前ですが、引き続き挑戦して、思い切り仕事を楽しんでいきたいです。
以上