工学系修士の26歳女性、鉄鋼メーカーのエンジニアからコンサルティングファームへキャリアチェンジ

工学系修士の26歳女性、鉄鋼メーカーのエンジニアからコンサルティングファームへキャリアチェンジ

No.1264
  • 現職

    製造業専門コンサルティングファーム 経営コンサルタント

  • 前職

    大手高炉メーカー 地方の主力鉄鋼一貫工場 生産技術職

山口 怜花 氏 26歳 / 女性

学歴:桜蔭高等学校 卒
東京大学 工学部 卒
東京大学大学院 工学系研究科 修了

1.新卒当時の就活

就活当時の私は工学系の大学院に進学していたが、技術系就職をするか事務系就職をするのか、と迷いがある状態だった。
非常に情けない話だが、広く様々な業界に興味があるものの20代半ばに差し掛かりながら、自分のやりたい事やキャリアと深く向き合った事がなかった。大学の部活動でチーム運営を経験した事で、漠然と経営などに興味を持ちながら、自分が大学で専攻したモノづくりの経験を活かしたいという思いもあった。また、ある程度安定感があり、将来不安のない状態で働きたいという点で大手企業へ、とも思っていた。

最終的には、大学院時代の経験を生かす方が得策だろうと判断し技術職を選択。重厚長大な大手製造メーカーや、プラントエンジ系のメーカーを志望し、大手鉄鋼メーカーに技術職として内定を頂き入社に至った。

2.新卒入社後の姿と転職を決断するに至るまで

新卒入社した私は、せっかくなら自分の手でモノづくりが経験出来るところで働こうと思い、工場での生産管理職を希望した。また、会社の中で最も規模の大きい工場に従事するため、20年以上生活した関東から遠く離れた地方に拠点を移す決断をした。

これらすべての希望をおおむね叶えて頂き、何の不満もなく、地方にある会社の主力工場で勤務させて頂いた。実際に働く中で、日々変化する工場で起こる問題に対して頭を悩ませて対応したり、工場で働いていらっしゃるオペレータの方と密にコミュニケーションをとってプロジェクトを進めていくという業務は私自身の性格に合っていた。また、上司に恵まれたため、自分で手を挙げた挑戦はほとんどやらせて頂けるような状態だった。
ここまでで分かるように私は2年目の夏頃まで全く転職を考えておらず、「関東に戻ってきたら?」と言ってくれる両親や多くの友人を振り切ってまで働いていた。それこそ昼夜問わず休日出勤も厭わなかったのを覚えている。

そんな風にわき目もふらず働いていたが、2年目の夏(2020年7月頃)を過ぎて2つの転機が訪れた。

1つ目は、米中貿易摩擦とコロナ禍の煽りで生産に大打撃を受けた会社を目の当たりにした事だ。
もともと、日本において鉄鋼産業は縮小傾向に入っている事を認識した上で入社しており、それでもどこかで「大丈夫だろう」と高を括っていた。だが、実際に現状を目の当たりにすると、自身の認識の甘さを痛感した。新卒入社時に、将来不安のない状態で働きたいと希望したが、とんでもないと感じたのだ。「40才でこの会社は潰れているかもしれない」という危機感が差し迫ったと同時に、「会社が潰れた時の自分」を初めてリアルに想像し、市場価値の無さに一気に不安感を覚えた。私は工場の制度や設備には詳しいが、工場を一歩出たら何も出来ないのではないか、とその当時焦りに焦ったのを覚えている。
こうして今後のキャリアについて悩み始めたが、自分が新卒入社時にした決断を正解にする方が大切だと思い、その方法を模索していたため、転職は考えなかった。

そこに2つ目の全く違う転機が訪れた。元気だった親族が突然倒れ、会話が全く出来ない状態となってしまった。これは、今まで一度も「あの時こうしていればよかった」と思わないように生きてきた私にとって避けられない後悔となり、私が関東に戻ろうと決断するきっかけとなった。再三、関東に戻ってきたらと言ってくれた家族や友人にずっと会えないまま突然会えなくなる事が怖くなったのだ。この点に関しては今の状態では絶対に後悔するという確信があった。

こうして私は二つのマイナス感情を抱え、①とにかく自分の市場価値を上げる事と、②関東に戻る事を軸に見切り発車状態で2020年の11月頃に転職活動を開始した。

今思えば非常に浅い考察であり、今後も絶対に反面教師にして頂きたい部分である。

どうしてこうなったのか、それは私の就職活動に遡る必要がある。
新卒での就職活動当時、自分のこれからのキャリアやどのように生きていきたいのか、という考えが圧倒的に不足していた。だから少しの障害で揺らいでしまい、「絶対にこの選択を正解にする」という方向に舵を切れなかったのだ。

3.転職活動について

転職活動をぼんやりとした軸で始めた私だったため、当然上手く進むわけがなかった。
数社のエージェントの方とお話しし、紹介して頂いた求人案件に、「なんか納得いかないな」や「この履歴書で通るのかな」など、謎の理由をつけて応募せずにもやもやと過ごしていた。

そんな中で偶然お会いしたのが、エリートネットワークさんだった。
初回面談が90分以上のZoom面談で、自身のキャリア観や転職動機などじっくりと聞いて下さった担当の転職カウンセラーの西堀様は、すぐさまたくさんの求人案件の提示と応募に踏み切って下さった。
転職活動には様々なスタイルがあると思うが、このスピード感は私のような曖昧な動機でいた人間にはとても大切だったと思っている。なぜなら一歩踏み出さないと分からない事が沢山あったからだ。こんなに曖昧な理由でキャリア転換をしようとした私を後押しして下さったのを感謝してもしきれない。

ようやく転職活動が始まったが、ここからが本当に大変だった。数社、書類審査が通り面接を組んで頂いたのだが、自分のキャリアに対する考えの浅さにここで初めて気が付いた。
面接での「なぜ転職をするの?」「何がやりたいの?」「どういうキャリアを歩みたいの?」という質問に答えられない。理由は明白だった。

冒頭で申し上げたが、私は、自分の将来像を考えた事が一回もなかった上に、自覚はなかったがそれを考える事が苦手だった。当然、面接官の方に「やりたい事を考えたことのない人間である」のが伝わって何度もご指摘を頂いた。自分が何をやりたいのかという事に向き合うのは、これまでしっかりと決められたルートを歩んできた私にとっては本当に大変な事だった。しかし、ここで諦めれば新卒当時の二の舞だと直感的に理解しており諦める事だけは出来なかった。

この過程でも、担当の西堀様には本当に感謝している。毎回の面接終わりに1時間以上フィードバックを頂き、要領を得ない私の話を聞いて下さり、何度も「ちょっと整理します」とばかり言って、やりたい事の決断を下さない私にとにかくお付き合い頂いた。
本当によかったなと思っているのは、西堀様が私が納得するまでとにかく待って下さった事と、何度も何度も将来像を描く事が大切だと指摘して下さった事だと思っている。だから、自分のキャリア形成において最も重要かつ苦手な部分から逃げずに答えを出せた。

そしてもう一点、自分のやりたい事で悩んでいた私は、西堀様からの「まず内定をとる」という言葉がとても大切だった。実はこの視点が転職活動で一番の肝なのではないかと思っている。
内定を頂けるまでは「選んで頂く側」という事を絶対に忘れてはいけない。そこをしっかり切り分けて転職活動に臨む事が出来たのがよかった。結果、私は自分自身と向き合いながら面接ではしっかり切り替える事ができ、最終的にはいくつかの内定を頂く事が出来た。

私ごときが意見する事でもないので完全に余談だが、面接で大切なのは、その企業を代表して面接をして下さっている方を面接時間内に全力で理解しに行く努力をする事だと思う。だから、面接では頭をフル回転させヘトヘトになった記憶がある。

4.転職先を決定するまで

転職先の選択は開始当初は、①自身の市場価値を上げる事と、②関東に戻る事を軸にしていた。しかし、①については活動を通しキャリアと向き合う中で徐々に変化していった。

①自身の市場価値を上げる事について。
ここからは私の個人的な意見となる。①のような話をすると、日系大手企業の年功序列制度や評価制度などに苦言を呈し、そのような環境を抜け出したい、という主張になる方が多いように思う。つまり、年功序列でポジションが上がるため、いつまでもやれる事が限られる、成長が滞るなどといった話だ。当初私もそう思っていたし、そのような面も少しはあると思う。しかし本質的な問題はそこにはない。(転職活動が終了するまではわかりませんでした)

どうにか今回の自分の選択を正解にしたくて、必死になって会社での業務と転職活動の両立に挑んだ結果分かった事がある。どのような環境であれ向上心と覚悟があれば人は成長する。
人事制度や評価制度はモチベーションに関わる問題である。それが自身のモチベーションに影響して、どうしようもないなら環境を変えればいいと思う。

年功序列でも上に上がった時になんでもできるように、たくさん知識と人脈を蓄える選択も出来るのだろう。そしてこちらもスピード感やもどかしさを不満に思い、どうにもならないなら環境を変えればいいと思う。

日系の大手メーカーのような環境では成長できない、市場価値の低い人間になってしまうのでは、絶対にない。成長できないのではなく、安心感故に当事者意識が薄れがちになり成長しない選択をしてしまう可能性が比較的高いかもしれないだけだ。

私の尊敬する上司は毎年パワーアップしていたし、とんでもなく頭が良く、素晴らしい方で、会社の主力として働いており、誰からも信頼されている。それは会社の業績に対して当事者意識を誰よりもお持ちで、会社が扱っている商品と技術力に強い興味があるからだ。

そしてもう一つ、市場価値の低い人間になるのではなく、「会社にとって価値の高い人間になる」という方が正しいのではないだろうか。会社の価値を高める事が出来る存在になる。そしてこれは絶対にとてつもなく大変で難しい。

上記を認識した私がやった事は、自分の尊敬する上司のように、今関わっている分野に必死になり続けるだけの興味があるだろうかと考える事、そして、将来自分の上司が歩むであろうキャリアを自分も歩みたいか、と考える事だった。
結果、転職を決断した通り、私は工場の現場で生産を支えていく技術職を辞め、コンサルティング職を選択した。技術に特化した専門知識を蓄えていくより、経営や事業形態にキャリアの中で出来るだけ長く関わっていく方が興味がある、と判断し選択するに至った。

結果として新卒で就活をした時に回帰する形となった。こうして私の職業選択の軸は、市場価値から自分の興味関心へ移ったというのが結論である。

またもう一つ大きな事は、内定が出揃い企業選択をするという段階において、西堀様だけではなく梨本様にも2時間にも及ぶ面談をして頂いた。この面談の意義は非常に大きく、自分が抱いている企業に対する不安と期待を明言化して頂く機会であったと同時に、自分の野心を改めて自覚する機会となった。また、強烈な刺激になったとも思う。これだけの助言を頂きながら中途半端な決断をしたくないと思った。

私はだいぶ長いこと悩んだ末、製造業に特化したコンサルティング職を選択した。軸は明確だった。①キャリアの中で可能な限り長く経営や事業の成り立ちに関われる事、②技術には特化しないが製造業に関わっていく事、③関東を拠点に働く事だ。

最終的に、私は製造業に関わっていく仕事を選んだし、実は最後まで悩んだのは新卒で入社した会社に残るかどうかだった。本当に色々な事に恵まれていると思う。

5.最後に

この転職活動を経て私が学んだ事は、二つある。

一つは、自分のいるステージを見誤らないために、客観的な意見を常に頂く事だ。自分が全力で夢中になっている時こそ気を付けるべきだ。

もう一つは、自分が下した決断を正解にするために、決断までとにかく全力を尽くす事だ。頂いた機会を全部生かし、欲しい情報は全部入手し、決まったと言えるまで粘る。梨本様と西堀様に言われた事だが、「決断に正解はない。決断を正解にする事が大切」だ。

この『転職体験記』からわかるように、私はエリートネットワークの転職カウンセラーの方がいらっしゃらなければここまでたどり着けなかったと思う。梨本様には最初の面談から最終決定を下す時にも企業選択のアドバイスを頂いた。これがなければ私は今も悩んでいるように思う。西堀様には長期間にわたり、常に誠実に色々な話を聞いて頂いたし、本当にご迷惑をおかけし、お詫びとお礼以外の言葉がない。客観的なご意見を頂けた事、ぎりぎりまで悩んで、と言って下さった事をとても感謝している。
本当にありがとうございました。
 
私と同じように新卒で入社したものの早期に転職を考え始める方の参考になればと思い、『転職体験記』を書かせて頂きました。第二新卒での転職は様々なスタイルがあると思いますが、私のように自分のキャリア観を考え直すような選択も可能である事を知って頂ければ幸いです。

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